第9話 遺されたもの

辺り一面の白い大地に、真っ赤な鮮血が飛び散った。


そこに立っている大男の顎髭あごひげからは、血が滴り落ちている。

真っ赤な歯を見せ、男はにやりと笑った。


「どうた!次は、お前たちを噛みちぎってやるぞ!!」


九尺はある大男の手には、体を噛み切られて、だらりと垂れ下がった、大きな蛇の死骸が握られていた。


男は無造作に、蛇の死骸を草むらへ投げ捨て、顎の血を腕で拭いながら、二人の少年の前に立ち塞がった。

「解ったら、有り金全部、ここへ置いて行くんだな!!」

男は自分の足元を指で指し示しながら、高圧的な態度で大声を放つ。


「…だから、さっきから何度も言っているだろう…!」


長い黒髪を、寒風に吹き流したその少年は、恐れる素振りは見せず、うんざりとした表情で男を睨む。


「俺たちは、お前の相手をしている暇は無いんだよ…!!」

端正な顔立ちのその少年には、どこか冷ややかで、ぞっとする様な美しさがある。


少年は、腰の剣を抜き放ち、体の前に構えた。

それを見た大男は、ちっと舌打ちをし、

「大人しくしてりゃあ、命までは落とさずに済むものを…!」

と、自身の背に背負った、大きな斧の柄を掴んだ。


「その細っちょろい腕、叩き斬ってやる!!」


孟徳もうとく様…!ここは、僕にお任せを…!」

もう一人の少年も、腰の剣を抜くと、男の前に立ち塞がった。

虎淵こえん!お前は下がっていろ…!こんな木偶でくの坊、一人で充分だ…!」

二人の会話を聞いた男は、みるみる顔を赤くしていった。

豎子じゅしめが…!わしを舐めるなよ!!」

大男は吠えると、大斧を二人目掛けて振り下ろす。


ほぼ同時に、二人はさっとその場から跳び退き、二手に別れた。

斧は、地響きするほどの勢いで、地面をかち割った。

図体の割に、男は素早く動けるらしい。

斧を素早く地面から抜き取り、今度は横殴りに大斧を振り回した。


斧は孟徳に襲い掛かる。が、彼はひらりと身をかわし、男の後方へ回り込む。

力の差は歴然としている。男が振り下ろす斧を、まともに剣で受けるには無理がある。

孟徳は間合いを計りながら、男の斧から逃げ回っている。


虎淵は、はらはらしながら、その様子を見ていた。

「こやつ…!ちょこまかと…!」

男のこめかみには青筋が立ち、次第に苛立ちはじめた。

斧を振る腕も、やや鈍ってきたように見える。

孟徳は、それを逃さなかった。

男の呼吸が一瞬乱れたと見るや、素早く男の懐に飛び込み、擦れ違いざまに剣を払った。


大男は脇腹を斬られ、泡を吹いて白目を剥いた。

そして膝から崩れ落ち、凍った地面に地響きを立てて倒れた。




「孟徳様、流石さすがです!あんな大男を、一撃で倒してしまうなんて…!」


虎淵は、今だ興奮が冷めやらぬといった調子で、声を弾ませた。

二人は、川辺で手や顔を洗っている。

水は凍える程の冷たさだが、火照ほてった体には調度良い具合だった。


冷たい水に、やや落ち着きを取り戻した虎淵は、今度は決まりが悪そうに頭を掻いた。

「僕が孟徳様を、おまもりせねばならぬのに…先生が知ったら、怒られてしまいます…!」

顔を洗っていた孟徳は動きを止め、虎淵を振り返った。


「俺は、誰にも護ってもらう必要は無い!お前も、その為に俺に付いて来た訳では無いであろう!」

「ですが…僕は曹家の武士として、あるじをお護りする義務がございます!」

虎淵は力強く言うと、拳を固く握りしめる。


「今は、そんな事は忘れろ!俺の心配など、しなくて良い。俺たちの目的はただ一つ…!」

そう言いながら、孟徳は川辺から立ち上がると、服装を整え、腰に剣を差し直した。


「奉先を、必ず連れ戻す…それだけだ!!」


孟徳は、風にひらひらと舞い落ちる、小さな雪の華たちを見上げた。




切り立った山々に囲まれた、銀色の荒野の先に、高い岩山がそびえ立っているのが遠望出来た。

"龍泉谷"の獄は、その岩山の中腹に張り巡らされた城壁の中に存在する。


獄吏ごくりが薄暗い廊下を抜け、奥の部屋にいる将軍の元へやって来た。

曹孟徳そうもうとくと申す者が、将軍に面会を求めておりますが…」


「曹…孟徳だと…?」

将軍は、いぶかし気に眉をひそめたが、急に思い当たった様に腰を上げ、室内を後にした。



やがて、孟徳と虎淵の二人は、将軍の待つ部屋へと通された。

光の差し込まない、寒々とした室内には、燭台の明かりがひっそりと揺らめいている。

部屋の奥から、黒い影が二人に近付いて来た。

「こんな辺境の地まで、わざわざお越し頂くとは…」

将軍はうっすらと笑った。

三人の間に流れる空気は張り詰めていた。


やや沈黙が続いた後、突然、孟徳が床に崩れ落ちたかと見るや、彼は床に額突ぬかずいた。


「配下の罪は、あるじであるこの私の罪です…!どんな罰も、受ける覚悟がございます…どうか、奉先を解放して頂きたい…!」


「も、孟徳様…?!」

虎淵は慌てて、孟徳の肩を掴んだ。


「言ったろう、虎淵…俺の事は心配するな…お前は、奉先を連れて帰れ…!」

「そんな…駄目です、孟徳様…!!」


二人を黙って見下ろしていた将軍は、やがて口を開いた。


「その言葉…あなたの口から、もう少し早く聞きたかったものだ……」


そう言うと、首を回して二人に背を向けた。

将軍はじっと、揺らめく燭台の炎を見つめ、やがて肩越しに振り返った。


「奉先殿は、既に処断した…来るのが遅すぎたな…!」


二人は、雷に打たれたかのように硬直し、思わず息を呑んだ。

やがて、虎淵は肩を震わせ、


「せ…先生を…!よくも、先生を!!」

咄嗟とっさに、腰にいた剣に手を掛けた。


「よせ、虎淵!!」


虎淵の腕を、孟徳が強く押さえた。

将軍に飛び掛かりたい気持ちは、むしろ孟徳の方が強かった。

だが、不思議と孟徳の頭の中は冴え、体は感情のままに動く事はなかった。


将軍は再び、二人に向き直ると、孟徳をじっと見下ろした。

「麗蘭殿…いや、今は孟徳殿であったな。しばらく見ぬ内に、すっかり大人になられたと見える…」

将軍は、口元に笑みを浮かべながら言った。

孟徳は、鋭い眼差しで将軍を睨みつけた。


「奉先が死んだのなら…遺体を引き取り、故郷でとむらってやりたい…!奉先を、返して頂きたい…!」


「そうしてやりたいのは山々だが、最近この辺りでは、疫病が蔓延まんえんしておってな…遺体は全て焼却せねばならぬと、朝廷より達しが出ておる。だが…」


そう言って、配下の一人を室内へ呼び付けると、何やら耳打ちをした。

配下はうなずくと、急いで室外へ消えた。


「あなたに、お渡ししたいと思っていた物がある…」


やがて、室内に先程の配下が、手に箱の様な物を持って、再び現れた。

将軍は、その配下から箱を受けとると、蓋を開いて、中から白い布の包みを取り出した。

「さあ、これを…」

そう言うと、将軍は二人の前に肩膝を突くと、白い布を拡げた。


孟徳の心臓は、激しく鼓動を打った。

全身の血が、体から抜けて行く様な感覚に襲われる。


目の前に拡げられた布の包みには、一握りの髪の束が置かれていた。

あかい紐でくくられた、その長い黒髪には覚えがある。


「奉先殿の遺髪を、あなたに差し上げようと、取っておいた。」


頭上から降りて来る、将軍の言葉も、孟徳にはよく聞き取れなかった。

見つめている内、次第に視界が霞んでくる。

孟徳は強く目を閉じ、床に突いた両手を握りしめた。

耳元で、嗚咽する虎淵の声が聞こえる。


「残念だか、一度失った命は、二度と戻らぬ…諦めろ…」


将軍の声は、冷淡そのものだった。

「二人をまちまで運んでやれ。」

将軍は配下にそう命令を下し、冷たい空気と共に、二人の前から去って行った。

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