第7話 朋友 《序章 最終話》


「……様…麗蘭様……!」


遠くから、誰かの呼ぶ声が聞こえていた。


「起きて下さい、麗蘭様…!」


その声に、麗蘭はゆっくりと目を開いた。


目の前には、麗蘭を覗き込む顔と、澄み渡る青空があった。

「?!」

体を起こすと、辺り一面緑の草原の中にいた。

その緑の中に、可憐な花が無数に咲き誇り、風に揺れている。

花びらは、の光にきらきらとまたたき、輝きを放っていた。


麗蘭の目の前に座っているのは、一人の童子だった。

そのあどけない童子には、懐かしい面影がある。


「奉先……?」


幼い奉先は、麗蘭の手を取って立ち上がらせると、その手を取ったまま、草原を走り出した。

麗蘭も、その後を追うように走った。


やがて、深い茂みの中へ踏み入れ、奉先は、簾を上げるような手つきで、生い茂った草木を掻き分ける。

すると、まばゆい光の中から、美しく広がる沢の景色が飛び込んできた。


「ここは、二人だけの秘密の場所ですよ…!」


奉先はそう言うと、にっこりと微笑みかけた。




「奉…先……!」


麗蘭は、振り絞るように、声を発した。

麗蘭の頬には、涙の筋が光る。


「心配するな…!お前も、すぐにかせてやる…!」


将軍は、右手で麗蘭の首を掴み、柱に押し付けたまま嘲笑っている。

左手には、黒光りする剣が握られていた。

その切っ先を、麗蘭の胸元に向けると、薄笑いを浮かべながら、一気に麗蘭の体を貫こうとした。


その瞬間、雷光が辺りを照らし、二人の背後に掛かる簾の前に、黒い人影を浮かび上がらせた。


「?!」


将軍は、その気配を察して、素早く振り向いた。

簾は斜めに一刀両断され、はらりと床に舞い落ちる。

そこには、左手に剣を握り、振り上げたままの奉先の姿が現れた。


将軍は思わず身を引いて、麗蘭の首から手を離した。


「き…貴様…!まさか、十人もの刺客せっかくたちを倒したのか…?!!」


奉先は無言のまま、ずぶ濡れの体を引きずるように、室内へ入って来る。


着物は赤く染まり、体中に刀傷を負っている。

右腕をだらりと下げ、指先から血が滴っていた。

床には、滴る水と、鮮血が混ざり合った足跡が残される。

奉先は、血走った目を将軍に向け、鋭く睨み据えている。


その異様な姿に、将軍はさすがに寒気を覚えた。

床に崩れ落ちた麗蘭は、そこで意識を取り戻した。激しくむせ返ったが、やがて呼吸を整え、顔を上げた。


「奉先…!」

「くっ…!!」

将軍は、剣を右手に握り直しながら、後退あとずさった。


「よくも…我があるじたばかったな…!!お前を、八つ裂きにする…!!」 


そう言うと、奉先は左腕を前に突き出し、血塗られた剣を将軍に向けた。


「今度は本気だ…!!」


怒りを込めた眼光で、睨みつける。


その時、廊下の方から、異変に気付いた家臣や兵士たちが、こちらへ向かって来る足音が聞こえてきた。

「将軍…!侵入者が…!」

慌てて広間へ足を踏み入れた兵士長は、将軍と対峙するちん入者を見咎めた。


「こやつ…!捕らえろ!!」

兵士たちが、一斉に武器を構える。


「待て…!奉先…!」


麗蘭は立ち上がると、奉先の左腕を押さえた。


「もう良い…剣を収めよ…!!」

「……!!」

「お前が、戦う価値のある相手では無いだろう…!」


奉先は、無言で麗蘭の顔を見つめたが、その目には、憤然とした不満の色が滲み出ている。

麗蘭は静かに将軍の方を振り返り、


「将軍…速やかに兵をまとめ、この邑を立ち去って頂きたい…!!」


そう毅然とした態度で言い放った。

「このガキ共…!」

兵士長は、今にも飛び掛からんばかりに、さっと剣把けんぱを掴んだ。


「やめよ…!」


将軍は剣を頭上に掲げ、兵士たちを制した。

そして、冷ややかな目付きのまま、二人を睨み返す。


「良かろう…ここはわしが引き下がる…だが、きっちりと始末は付けて貰う…」


そう言い捨てると、

「二人は帰してやれ…!」

と部下たちに命じ、広間を出て行った。




「しっかりしろ…!もうすぐ屋敷に着く…!」


宿舎から外へ出ると、雨脚は先程より弱まっていたが、相変わらず強い風が吹き続けている。

麗蘭は、奉先の肩を支えながら、屋敷へ向かう路地を歩いていた。


「はぁ、はぁ…!」

奉先は喘ぎながら、建物の壁に手を突いて、壁沿いを進んでいたが、泥濘ぬかるみに足を取られ、膝から崩れ落ちた。

麗蘭は、奉先を立ち上がらせようと、必死に彼の体を持ち上げた。

なんとか体勢を立て直した奉先は、建物の壁に背を付いて、肩を激しく上下させた。


「麗蘭殿…何故止めた…?奴を許すのか…!」

「お前…そんな体で…本気で、将軍と戦うつもりだったのか…?!」

麗蘭は青ざめた表情で、奉先の顔を見上げた。


「俺は平気だ…!まだ戦える!!」

「馬鹿な事を…俺たち二人とも殺されてた…!」


「そんな事はさせぬ…!死んでも、麗蘭殿を護り抜く…!!」

奉先は、激しい口調で言うと、麗蘭の肩を強く掴んだ。


「……!!」

瞠目した麗蘭は、やがて憤然と目をいからせた。


「いい加減にしろよ!お前を死なせて、俺が平気だと思ってるのか?!」


麗蘭は、奉先の腕を振り払い、両手で強く彼の胸板を押し返した。


「お前は、身勝手だ…!俺の為に、命を棄てるなんて…絶対に許さない!!」

「……!」


麗蘭の怒気に圧倒され、奉先は返す言葉を失った。

俯いた麗蘭は、深い溜め息と共に、奉先の胸に当てた両手を握りしめた。


「奉先…俺たちは、親友だ…そうだろう?!」


その声は、かすかに震えている。

やがて顔を上げ、真っ直ぐに奉先を見つめる麗蘭の瞳は、涙で潤んでいた。


「共に戦い、共にたおれるなら…それで良い…!!」


麗蘭が、淀みない声を発した時、一陣の激しい風が、麗蘭の長い黒髪を掻き上げるように、吹き去った。

雨はいつの間にか上がり、やがて雲間から一筋の月光が差し込んで来た。

月光が二人の上に降り注ぎ、二人の影を、はっきりと浮き上がらせた。




それから数日が経った。

城邑には暖かい、春の陽射しが降り注いでいる。

屋敷の庭に咲き誇った桃の花びらが、はらはらと風に舞い踊っていた。


その屋敷の一室には、屋敷の主人と奉先が向かい合って座っていた。


「この度の、呂興将軍との一件…朝廷より、書状が届いた…」


主人は、おもむろに書簡を開き、声に出して読み上げた。


「麗蘭の、将軍に対する非礼については、不問とする…しかし、将軍の配下他、数名を殺害した、奉先の罪は万死に値する…」


床に両手を突いたまま、黙って聞いていた奉先は、その場に額突ぬかずいた。


「主よ…ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません…!」


それを見た主人は、深い溜め息を吐いた。

「お前を、速やかに獄へ送らねばならぬ…」


「お前は…幼き頃より、麗蘭と共に育ち…わしの息子同然…死力を尽くして、減罰を求める…それまで耐えよ!」


主人はそう言って、俯いたままの、奉先の肩に手を置いた。

そして、再び溜め息を吐くと、目を閉じた。


「お前がここを去れば…麗蘭は悲しむであろう…」


主人の言葉に、奉先は、やや眼差しを上げた。


「麗蘭殿は…自らの力で、立派に運命を切り開かれるでしょう…!もう俺など、必要ありません…」


そう言うと、口元にうっすらと笑みを浮かべた。




桃の花びらが舞い落ちる庭を、虎淵が、息を切らせながら走って来る。

麗蘭の部屋の前に立ち、必死に涙をこらえた声で言った。


「麗蘭様…!先生が…去ってしまわれました!…僕たちを残して…!」


やがて虎淵は、声を放って泣きはじめた。

室内でそれを聞いていた麗蘭は、さっと立ち上がると、腰に剣を佩き、旅装を整えた身なりで、部屋から出て行った。


「泣くな、虎淵…!奉先は死なぬ、心配するな…!」


そう言いながら、虎淵の前を通り過ぎる。

虎淵は、目を擦って、麗蘭の後ろ姿を追った。

「麗蘭様…どちらへ…?」


「奉先を、連れ戻しに行くのだ…!虎淵、お前も来るか?」


麗蘭は、舞い落ちる花びらを見上げながら言った。


その言葉に、虎淵の顔は一瞬で輝き、表情は晴れ渡った。


「はい…!麗蘭様!どこまでもお供します…!!」

両手を合わせ、拝手する。


「良し…!それから、俺はもう"麗蘭"ではない…」

そう言うと、後ろを振り返って、虎淵に笑顔を向けた。


「俺のあざなは、孟徳もうとく……曹孟徳だ…!!」


「孟徳様…!良い名です!」

虎淵は顔をほころばせた。


「では行くぞ…千里の彼方であろうと必ず辿り着き、奉先を我等われらの手で取り戻そう!!」


遥かな地平の先には、きらめく朝日が輝き、二人は春の風をまといながら、颯爽さっそうとした足取りで歩き始めた。


-《序章 完》-

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