第6話 呪い


夕闇が辺りを包み、建物のあちらこちらに、明かりが燈されはじめる。

やがて、強い風が草木を揺らしながら、まちの中を通り過ぎて行く。


「何…麗蘭殿が、わしに会いたいと…?」

宿舎の自室でくつろいでいた将軍は、怪訝けげんな表情で、伝達に来た家臣の方を振り返った。


宿舎の広間には、燭台の明かりが揺らめいている。

「はは…礼など不要。わしはあの盗賊共の命を、救ってやったまでよ!」

広間で待っていた麗蘭を、不快な顔を見せず、笑顔で迎えながら、将軍は、床に敷かれた筵に腰を下ろした。


麗蘭は、さっと自分の敷物から降りると、将軍に向かって拝手した。

「お心遣い、感謝します。実は…どうしてもお伝えしたい事がございまして、お邪魔させて頂きました…」

そう言うと、少し眼差しを下げた。


「厚かましいとは存じますが…どうか、姉の香蘭を将軍の妻に……」

俯いたまま、語りかける麗蘭を、将軍は黙って見つめていた。

麗蘭は、一度大きく息を吸うと、静かに吐き出した。


「それから……奉先を、将軍の配下に加えてやって欲しいのです…!」


「奉先殿を…わしに譲りたいと申すのか…?!」

将軍は、思わず腰を浮かせた。


「奉先は…忠義に厚い男です…私の為に、命を捨てる覚悟がある…!」

目を伏せたまま、そこまで言うと、やがて顔を上げた。

「だが、あいつはこんな所で命を捨てて良いはずが無い…!将軍の元で、天下太平の為、その才を使ってやって頂きたいのです!!」


麗蘭の勢いに、暫し呑まれていた将軍だったが、再び冷静な顔つきを取り戻した。

「しかし…奉先殿は、あなたの護衛隊長であると聞く…彼が、それを放棄するとは、考えられぬが…?」


「……将軍が、父から聞いた"呪い"の話には、続きがございます…」

麗蘭は、再び静かに口を開いた。

「?!」


「私が生まれた日、父は、わらにもすがる思いで、ある呪術師を尋ねました…その術師は、『呪いを解く事は出来ぬが、防ぐ事は可なり』と申しました。そして、『生まれた子は、十五の歳まで、女として育てよ…それまで、決して"龍神"に見付かってはならぬ…』と…その為私は、今まで曹家の次女といつわって、育てられて参りました…」

そう言うと、麗蘭は眼差しを上げ、将軍を真っ直ぐに見つめ返した。

そして、力強い口調で言った。


「私は、自らの力で呪いを断ち切りたい…!これからは、曹家の長男として、家を継ぐ所存です…!!」


将軍は暫くの間、沈黙したまま、麗蘭を見つめていたが、やがて静かに立ち上がり、自分の前に平伏した麗蘭のそばへ近寄った。

「麗蘭殿…あなたのお気持ち、よく分かった…」

そう言うと、麗蘭の左肩にそっと手を乗せた。


「だが…少し、遅すぎた…」

「?!」

深刻な面持ちの、将軍のその言葉に、麗蘭は、はっと顔を上げた。



吹き抜ける冷たい風に、草木がごうっと唸って、夜の闇に飛ばされて行く。

すっかり月の明かりを掻き消した空には、暗雲が立ち込め、やがて大きな雨粒が落ちはじめた。


邑の片隅に存在する、その小さな空地は、狭い路地を抜けた先にあった。

腰の高さまで伸びた草たちに、雨の滴が音を立てて降り注いでいる。


奉先は、その中に膝をつき、肩で息をしていた。

右手に握った剣を地面に突き立て、体を支えている。

濡れた頬や、肩口からは、赤い血が滲み出ていた。


「相手は手負いだ…!怯むな…!!」

数人の男たちが、奉先を取り囲み、間合いを取りながら、じりじりと迫って来る。

草むらの中には既に、三人の男が血を流して倒れていた。

男たちの身なりは、盗賊などとは違い、剣士といった風情である。


男たちが一斉に斬り掛かると、奉先は力を振り絞って体を起こし、素早く地面から剣を抜き取ると、横殴りに男たちのやいばを払った。

更に、打ち掛かってくる敵の刃に身をひるがえし、振り上げた剣で、一人の男の片腕を跳ね飛ばした。

腕を斬られた男は、もんどり打って絶叫する。


「ちぃっ…!しぶとい野郎め…!」

男たちは再び剣を構えるが、次第に強くなる雨の滴が、視界を奪って行く。

やがて、剣と剣がぶつかり合って火花を散らし、背後から迫った刃に、奉先の右肩が斬り下げられた。


鮮血が飛び散り、辺りの草むらは赤く染まった。



「わしはな…初めから、お前が男だと気付いていた…」

将軍はそう言いながら、麗蘭の肩に乗せていた右手を、青白い頬に添わせると、すうっと撫で下ろした。

きんを聞いた時からな…!」


外から吹き込んでくる風で、揺らめく燭台の明かりが、将軍の薄笑いを怪しく照らし出している。

いつの間にか降りはじめた雨が、建物の屋根を、激しく打ち付けている。

その雨音が、室内に掛けられた、簾の向こうから聞こえていた。


「曹家には、後継ぎがいない…そう聞いて、わしは嫁を娶る気になったのだ…」

麗蘭は、思わず息を呑んで、将軍の表情を見つめた。

「わしが欲しいのは、嫁では無い…!家の財産よ…!!」


その時、遥か遠くに雷鳴の轟きが聞こえた。

はっと我に返った時、将軍の右手は、既に麗蘭の喉元まで下がっていた。

すぐさま身を引こうとしたが、将軍の手は、素早く麗蘭の首を掴み取った。

そのまま後方へ押し倒され、麗蘭の体は、激しく床に打ち付けられた。

「うっ…!!」

麗蘭は、必死にもがきながら、将軍の腕を振りほどこうとするが、その腕はびくともしない。

麗蘭の体に馬乗りになり、将軍は片腕で、麗蘭の首を締めつけてくる。

「だが…息子がいた…!わしの計画は、変更せねばならぬ…」


麗蘭は、剣をいて来なかった事を悔やんだ。

懸命に腕を伸ばし、辺りを探るが、そこにあるのは虚空だけだった。

「奉先…あの男は、お前を始末するのに邪魔になる…今頃、わしの刺客せっかくたちに殺されているであろう…」

麗蘭を、冷ややかに見下ろしながら言うと、常人では考えられぬ程の力で、首を掴んだまま、彼の体を引きずって、柱の下まで連れて行った。


更に将軍は、片腕で麗蘭の体をぐいと持ち上げ、今度はその柱に押し付けた。

「それから、もう一つ教えてやろう…わしのあざなを知っているか…?」

将軍が口元に笑みを浮かべながら言うと、その瞬間、室内に鋭い閃光が走った。


「わしの字は、龍昇りゅうしょう…呂龍昇よ…!!」


青白い稲妻が、嘲笑あざわらう将軍の顔を、不気味に映し出した。


麗蘭の体からは、次第に力が失われて行く。

「くくく…残念だな。龍神の呪いは、まだ断ち切れてはおらぬ…!!」

やがて、視界から不気味な表情で見つめる将軍の顔は薄れ、真っ暗な闇に落ちて行った。

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