第2話 麗蘭

 

城邑の大通りは、商人や旅人で賑わっている。

 店先で、旅人に酒を売っている女主人は、城邑の大門の前に佇んでいる、少女たちに気付いて、顔を上げた。


「母さま…!」

 

少女の一人が走り出し、女主人の前までやって来た。

「お前…!無事だったのかい?!」

 女主人は、娘の体を強く抱きしめた。

「よく帰って来た!」

「私たち…盗賊たちに捕まっていたのよ…」

 娘は、涙ながらに語った。

 少女たちは、それぞれの家族に迎え入れられ、人々は抱き合って喜び合う。


 そんな人々の姿を、不安そうな面持ちで見つめている少女がいた。

 やがて、少女の見つめる先に、探していた相手の姿を見付けた時、少女の表情は一瞬で綻んだ。


「孟様…!!」

「大華殿、必ず成功すると、申したであろう。」

「はい!信じておりました!」


 少女は潤んだ瞳のまま、満面の笑みを向ける。


「これが大蛇の正体よ…!!」

 

大華の目の前に、巨大な大蛇の首が現れる。

「きゃあ…!!」

 思わず、大華は悲鳴を上げた。

 大蛇の口を開くと、中から奉先が顔を出す。


「まあ…邑の人たちは、こんなものに騙されていたのですね…」

 

大蛇は、どう見ても精巧とは言えない、粗末な造りである。

 森の暗がり、人々の恐怖心によって、有り得ないものが、本物と見紛みまがわれたのである。


「この世に、鬼神の祟りなど存在せぬ…!」


 麗蘭は微笑すると、力強く言い放った。




「麗蘭!どこへ行っていたの?!」


屋敷の廊下を走って来た少女は、庭先で麗蘭をつかまえ、怒声を放った。

「またそんな格好を…!お父様に知れたら大変…!」

男物の着物を身に付けている麗蘭を見ると、眉を寄せる。

「早く着替えて!大事なお客様がいらっしゃるんだから!」

「は…はい!姉上…!」

麗蘭は、まるで蛇に睨まれた蛙のように縮み上がり、いそいそと自分の部屋の方へ走って行く。


「ちょっと、奉先!!」

「はっ…はい!」


先ほどから、麗蘭の傍らにいながら、その存在を出来る限り消していた奉先は、突然声を掛けられ、肝が冷えた。


「お前が付いていながら…ちゃんと見張ってよ!」

「す…すみません…」

「あの子も、もうすぐ十五歳…約束の日限まで、あと少しなんだから…」


少女は、遠ざかる麗蘭の後ろ姿を見つめている。


香蘭こうらん、支度はまだか?もうすぐ将軍がいらっしゃる。」


奥の部屋から、気品のある着物を身に付け、瀟洒しょうしゃな冠を被った、髭の豊かな男性が姿を現した。

「お父様、すぐに参ります!」

香蘭は、慌てて父に頭を下げる。


「お客人とは、呂興りょこう将軍ですか?」

「ええそうよ、反乱軍鎮圧の帰りに、この邑へお立ち寄りになるの。」

奉先の問い掛けに、香蘭は嬉しそうに答える。


「将軍の前で、舞を披露するのよ。見初められれば、将軍の夫人になれるかも…きゃーーー!」


先程までの、鬼の形相とは打って変わって、まさに華も恥じらう乙女、と言わんばかりに、体をくねらせる。


「それは…気合いが入りますね…」


奉先は、やや苦笑を浮かべつつそう言った。

「そりゃそうよ!呂興将軍は、お若くて格好良くて、それに…とってもお強い方なの!!」




広間では、華やかな宴が催されている。

「お招き頂き、感謝する。」

宴席に座した呂興将軍は、巨躯きょくと呼べる雄大な体格をしている。壮年に差し掛かったばかりで、眉宇には精悍せいかんさがみなぎっている。


屋敷の主人は、将軍に酒の盛られた杯を差し出しながら、兵たちの労を労った。

「反乱軍鎮圧の任務、ご苦労でございます。皆様、大変お疲れでありましょう。どうぞごゆるりと。」

「お言葉に甘え、今宵は大いに楽しませて頂く。」

将軍は微笑を浮かべ、杯を掲げた。


此度こたびの反乱軍は、いわゆる宗教団体によるものであった。彼らは、死をも恐れぬ狂気さを持っておる故、なかなか厄介である…」


将軍は溜め息を交えながら、主人に語った。


「そのような芽は、小さなうちから摘んで行かねばならぬ。やがて大きな大樹となれば、この国は大いに乱れるであろう…」


そう言うと、杯の酒を飲み干す。

そして、急に思い出したように顔を上げ、主人の方へ身を乗り出した。


「そうじゃ、ここへ来る前、近隣の邑で面白い話を聞いたぞ。」

「面白い話…ですか?」

「なんでも、その邑の北に、神をまつる山があるのだが、一年程前から、その山に大蛇が住み着いたというのだ。大蛇は邑人や旅人を襲い、恐れた邑人たちは、大蛇の怒りを鎮める為と、邑の若い娘を生け贄として捧げたそうじゃ。」

「何と…むごい事を…」

主人は、嫌悪感をあらわにする。


「ところがじゃ、ある若者が邑の娘に成り代わり、その大蛇を退治したのだという…」


将軍がそこまで話した時、部屋を仕切る簾の裏から、がしゃんという、何かを激しく床に打ち付ける音が聞こえた。


「これ!何をしておる?!お客様がおいでなのだぞ!!」

主人は険しい叱声を、簾の裏にいる者に浴びせた。


「すっ…すみません…!!」


簾の裏にいる人物は、慌てて返事を返し、落としたきんを拾い上げた。


気を取り直した将軍は、再び話を続ける。


「大蛇というのが、なんと偽物!その山に住み着いた盗賊たちが、邑人たちを騙していたという訳だ!どうじゃ、その若者は勇者であろう!!」


将軍は、子供のように無邪気な表情で笑う。

「おっしゃる通りでございます!」

主人が同意を示すと、宴席に居る全員が、愉快そうに笑い合った。


宴もたけなわとなり、やがて、長女香蘭の舞が披露される事となった。

香蘭は、鮮やかな薄浅葱うすあさぎの着物を身に付け、しなやかな肢体を華麗に操り、まるで天女のような美しさである。

その場に居る誰もが、香蘭の舞に釘付けとなり、将軍も自分の顎髭を撫でながら、香蘭の舞いをうっとりとした表情で眺めている。


舞を踊る香蘭の後ろでは、あでやかな唐紅からくれないの着物姿の麗蘭が、琴を奏でている。

腰まである長い黒髪が、首筋から肩を流れ、美しい艶を煌めかせている。


「これは、娘の香蘭でございます。」

香蘭は、しおらしく将軍の前に平伏する。


「香蘭殿、素晴らしい舞であった。」

将軍は上機嫌である。

香蘭は頬を染めて、俯いた。


「そして…」

将軍は、更に後ろで控えている、麗蘭の方へ目を向けた。


「見事な琴であった。」


思いがけず将軍から声を掛けられ、驚いた麗蘭は、慌ててその場に平伏した。


「次女の、麗蘭でございます。琴の腕前はこのまち一番でございます。」

主人は誇らしげに、麗蘭を将軍に紹介した。


「麗蘭殿…おもてを上げられよ。」


麗蘭が緊張している事を見澄ました将軍は、優しげな声で呼びかける。

麗蘭は、少し躊躇ためらいがちに、ゆっくりと頭を起こした。


将軍の胸元まで視線を上げたが、目を合わせる事が出来ず、麗蘭の黒い瞳は揺れ動いている。

将軍はその様子を、しばらく黙って見つめていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。


「実に美しい…わしの妻としたいが、どうか?」


その言葉に、一座はざわめき、麗蘭の顔は一瞬で青ざめた。

主人は慌てて、将軍の前へ進み出ると、

「こ…これはまだほんの子供でして…!将軍の妻になど、とてもなれませぬ…!」

と、額に汗を浮かべる。

将軍は笑いながら、


「心配と申すなら、姉と妹、二人とも貰おう。」


と言い、香蘭と麗蘭の二人を指差した。

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