ラミエルの決死

 ミラケル王弟の屋敷が失火したという知らせは、王宮にも届いた。王となったサラエルは慌て、官僚も機能していない。なにより、情報が錯綜しミクが怪我をしたという知らせもミラケルのもとに入った。


「どうなっている? ジャガイモの種と……我が妻子に関して有力な情報を持つ者はいないのか?」


 馬を最大に駆けさせて、置いてけぼりになりそうな部下からの報告を後ろから聞く。胸は無遠慮に速く打ち、思考はまとまらないまま最悪の方向へ転がっていく。


 やっと掴んだ、公私をまたぐ幸せと成功。それを、火ごときに奪われてたまるか。


 やがてミラケルの治める領地に入ると、領民が麦を収穫しようとしていたところだった。彼らは最大速度で駆けていく領主に、慌てて低頭する。普段、ミラケルが来るときは先んじて伝令が走るので、ミラケルが前触れなく馬を駆けさせるのは領民にとっては不吉なことだった。


 わずかに不安を湛えた顔で、こちらを窺う領民たち。彼らを見て、領主であるミラケルの心が静まっていく。


 ミラケルは馬の速度を緩め、後ろをはしる騎士に静かに問うた。


「ラック、領民たちには火事のことは伝わっていないのか」


「……はっ。混乱を避けるため、火事を見た者には口外を禁じてある、と報告があがっています」


 ミラケルに仕える騎士は、彼への忠誠心の現れとして彼の馬より速い駿馬を平時には使わない。よって、いま騎士たちが跨っている馬はミラケルの馬より劣っている。そんな馬を駆けさせてきた騎士たちは疲弊し、額に汗していた。


「……うむ」


「どうかなされましたか?」


 ミラケルは平静を取り戻していた。


「心配をかけてすまぬ。ここからは、領民たちに余計な不安を与えぬよう、小走り程度で行こうか」


 騎士たちはというと、我を失っていた主が柔らかに言葉を紡ぐのを見て、胸をなで下ろした次第である。


「はっ、仰せのままに」


 馬は走り、ミラケルは領民に声を掛けて回る。そして広大な農地の果てに、ミラケルの「帰る場所」の高い塔が見え、門が見え、全容が見えてきた。


「屋敷全体が燃え落ちたわけではなさそうだな」


 ミラケルは声を引き締める。ここからなら早駆けしても問題あるまい。


「皆の者、付いて来い」


 そうミラケルが言うや、一同は駆けだした。



「……なに? 失火はボヤ程度で済んだ、と?」


「はい、申し訳ありません」


 かつてミクの世話係であったセバスチャンが、尾ひれがついて噂が広まったのは自分の責任だと詫びるのを、ミラケルは笑って許した。


「我が妻と子の無事を第一に確かめてくれたと聞いている。ありがとう」


「そんな……殿下が馬を駆けられていると聞いたとき、お叱りを受けることを覚悟いたしました」


「まさか、な。ミクを立派な淑女に育て上げた功績は計り知れまい。――それで、皆無事なのか?」


「はい。ファオン様を初めとするお妃方も、ラミエルさまもご無事です。倉庫が焼けたので作物の種が少し無くなりましたが、幸いなことに焼かれたのは一部です」


 ミラケルは、そこで初めて胸をなで下ろした。そんな主を、セバスチャンは見つめる。視線に気づいたミラケルは顔に陰りを見せる。


「他にもなにか報告があるのか? セバスチャン」


「悪いご報告ではありませんよ、殿下」


 老紳士といった風情のセバスチャンはなにか懐かしいものを見るように目を細めた。


「今夜はお泊りになられますか?」


「……? ああ、もちろん」


「ならば、今夜はラミエルさまを褒めて差し上げてくださいませ。ラミエルさまは、立派にあなたの息子としての使命を果たしましたよ」


 彼――セバスチャンはかつて、王子だったミラケルの世話係でもあった。当時のミラケルは第三王子であったため、気楽にやんちゃに生きていたのに、セバスチャンは大層手を焼かされたという。


 ラミエルはその名の通り、この国の光になりえる存在だった。なにより、放火による火事がボヤ程度で済んだのは、ラミエルの功績だという。


「あのお方は、炎に砂を掛けて火事を鎮火し、外で農作業をしていたラカルに助けを求められました。おわかりですか? あの方は種が発芽しないよう、水を掛けるという選択肢をご自分の考えで除かれたのです」


 種と屋敷と、何より多くの人間の命を救ったラミエル。ミラケルは頬をほころばせる。


「そのお顔を、どうかラミエルさまにも見せてさしあげてください」


「……わかった。今日はラミエルと腹を割って話そう」


 セバスチャンはそれでいいという風に頷いた。

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