怖い夢を見ただけだよ
栗色の髪、緑色の瞳をした女性と、黒い髪、薄紫色の瞳をした男性が、栗色の髪、薄紫色の瞳をした赤子を見る。二人とも柔らかい笑顔だ。だが、何かが近づいて来たのか、二人はハッとした顔をして顔を強張らせながら抱き合う。
二人が何を言っているのかわからない。だが、二人で切な気に抱き合ってキスをしたあと、男性は赤子を連れて踵を返して走り出した。
男性が見えなくなったところで赤毛に黒い瞳をした女性と兵士らしき人が数人現れた。赤毛の女性の目には、陰鬱とした狂気とも呼べそうなものが宿っていて、誰かを見ているようで誰も見ていない、濁った瞳をしていた。
女性二人が何かを言い合い、赤毛の女性がサッと手を上に上げたところで兵士がもう一人の女性を斬り捨てた。斬り捨てられた女性の目には、憎しみよりも憐れみと哀しみが宿り、最後に動いた口の形は『憐れな人』だった。
激昂した赤毛の女性は近くにいた兵士から剣を奪い、『あんたがいるから、あの人はあたしのモノにならない』と口を動かしながら、倒れている女性を何度も串刺しにする。
その様子を見ていた兵士の一人が『狂ってる』と口を動かした途端赤毛の女性はハッとして手を止め、周りにいた兵士を見回してから何かを叫ぶと、兵士は一斉にどこかへと消えた。兵士がいなくなると赤毛の女性はその場に座り込んで涙を流し始める。その顔と瞳は先ほどとは打って変わって知性が宿り、哀しみを浮かべていた。
『あたし……こんなつもりじゃ……どうして……それに……』
それだけがやけにはっきりと聞こえ、足元にあった三つの禍々しい水晶がコロコロと転がって、ベッドの下やタンスの下、倒れている女性のドレスの隙間に挟まって見えなくなる。赤毛の女性はそれに気付くことなくその場をあとにした。
一方、黒い髪、薄紫色の目をした男性は必死に走っていた。目的の場所は神殿だったらしく、目の前には神殿の入口で初老の男性が佇んでいた。
黒髪の男性はそれを認めると、そこにいた初老の男性に近づく。初老の男性は神官服を着ており、どうやら男性と知り合いのようだった。
黒髪の男性は抱いていた赤子の名を告げてから初老の男性に渡すと、黒髪の男性は赤子の額に唇を落とす。
初老の男性とあれこれやり取りをし、もう一度額に唇を落とすと、名残惜しそうに頭や頬を撫でて赤子の名前を呼び、何かに抵抗するように言葉を発するとその姿を変えて森の奥へと消えた。
――その姿は、躰の大きなフェンリルだった。
初老の男性はその顔を哀しみに曇らせながらも、足元に転がる禍々しい水晶を見つけて顔を強張らせる。水晶を持ち上げて浄化し、神殿の中に入るとそこには女神を降臨させた最高位の巫女がいた。
初老の男性が水晶を女神に渡すと、女神はもう一度浄化してから水晶を粉々に砕き、初老の男性に何かを告げてから粉々に砕いた水晶と一緒に巫女の体から離れた。
最高位の巫女と初老の男性は、すやすやと眠る赤子を労るようにそれぞれ頭を撫でると、初老の男性は赤子の名前を『リーチェ』と口を動かして巫女に告げ、一緒に奥へと消えた。
***
意識が浮上する。自分が泣いているのがわかる。
これは一体誰の記憶? それとも夢?
違う、と『リーチェ』の記憶が訴えている。なぜこのタイミングでこの夢を見たの?
顔を誰かに舐められている。誰かなんてわかってる。そっと目を開ければ、ドアップのカムイの顔。その首に腕を回してギュッとしがみつく。
「桜……? 泣いていたが、どうした? つらい夢でも見たのか?」
カムイの低い声は、いつだって私に優しくて、気遣わしげだった。その目はいつだって私を優しく見ていた。
フローレン様は、『リーチェ』と私の両親が一緒だと言っていた。でも、私の母とは、顔も髪の色も目の色も全く違う。でも、もしさっき見た夢の二人が『リーチェ』の両親で、フェンリルがカムイとするならば、カムイが『リーチェ』の父親と言うことになるわけで……。
カムイに確認したい。でも、今そんな話をして誰かに聞かれても困るような気がする。
『リーチェ』は捨てられていたのではなく、あの赤毛の女性から守るために一時期神殿に預けられたのではないのか。カタがついたら迎えに行くはずだったのではないのか。
そのはずが、『リーチェ』が思いの外早く巫女の力が発現してしまい、迎えに行けなくなったのではないのか……。
臆測でしかないけど、捨てられていたのではない……それがわかっただけでよしとして、カムイに聞くのはあとにすることにした。
『自然とわかります』
フローレン様はそう言った。だから今は、水晶とレーテのほうを何とかするのが先だ。
「……ちょっと、懐かしいというか、怖い夢を見ただけだよ。心配かけてごめんね」
「つらいことではないのだな?」
「うん」
「ならばよかった」
「とりあえず、朝ごはん作るね」
ギュッとしがみついていたカムイの柔らかい毛並みに「もふもふー」と言いながら頬擦りをすると「なんだそれは」と苦笑されてしまった。
「……桜、今夜またあの塔に言ってみようと思うんだが」
「いいよ。ただ、薄暗いあの部屋で水晶を探すのは困難かも……」
「そうだな……。なら、昼間に行ってみよう」
「そうだね。……あの兵士さんたちがいると厄介だけどね」
そんな話をしながらかじりついていたカムイの首から手を離して立ち上がると、涙を拭って暖炉に薪を少しくべる。火力がいいぶん、大人数の食事を作るのは暖炉のほうが楽だからだ。
暖炉のほうにはスープの材料を入れた鍋をかけ、南国で見るような大きな葉っぱにじゃがいももどき――見た目はさつまいものように赤い、形と味はまんまじゃがいも――をくるんで暖炉に放り込む。その間にパンケーキを大量に焼き、地球で言うところのラルドゥムや卵焼きにサラダを用意し、じゃがいももどきが焼き上がったころ皆が起きて来た。
それぞれに料理を配り、カムイには水と果物を与えて食事を始める。食事をしながら簡単に自己紹介をした。やはりレーテと一緒にいたもう一人の男性はボルダードの王太子殿下だった。
「クレイオンと言う」
「なぜ、三人があの塔に監禁……いや幽閉かな? されていたの?」
「それは……」
レーテたち三人が語った内容は、あまりにもくだらなさすぎて、その場にいた他のメンバー全員で頭を抱えてしまった。
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