これが、シェイラ様のお力……

「わたくしがシュタールに嫁いだ時、後宮には既に側室といいますか、王妃候補が三人おりましたの。最高位の巫女が一人だったならば、その中の一人を王妃にというお話だったそうなのです。ですが、幸いにもと言いますか、不幸にもと言いますか、最高位の巫女が三人おりましたからその中の一人を王妃にというお話になり、わたくしがシュタールに嫁いだのですわ。わたくしが嫁いだことによって三人はそのまま側室となったのですけれど、その中でも公爵家のお嬢様は王妃に一番近い位置にいて、陛下――当時は王太子殿下でしたけれど――とも愛し合っていたとのお話でした。そのお話を聞いた時、わたくしは苦しみましたのよ? お二人の邪魔をしてしまった、と」


 スッと手を伸ばして優雅にコーヒーカップを持ち上げたアストは、喉を潤すようにコーヒーを一口飲むと、カップを戻してまた話し始める。


「表だって言う者はおりませんでしたけれど、それでも噂はわたくしの耳に入りますの。それが本当に辛かったですわ。ああ、陛下が好きとか愛してるとかいうわけではありませんわよ? お邪魔をしてしまったことが辛かっただけですわ。一応王妃の仕事も致しましたしこの三年で王子を二人を産みましたから、正直申し上げてさっさとその方のところに行ってくれたら良かったんですけれど」

「へっ? もう二人も産んでるの?! 全然そんなふうに見えない!」

「あら、嬉しいお言葉ですわね」


 うふふと笑ったアストは、本当に綺麗で。結婚も出産も経験してない私には、かなり羨ましい。

 ちなみに、最高位の巫女は、出産したからといってその力が無くなるわけでない。それは女神フローレンが祝福しているからだ。だからと言って子供に巫女の力が受け継がれるわけでもないのだが。


「けれど、三ヶ月くらい前からなぜか命を狙われるようになってしまって。陛下も『必死になって犯人を探している』と仰っておられますけど、本当に探しているのか甚だ疑問ですわ」

「あらら、辛辣だねえ。どうしてか理由を聞いてもいい?」

「その犯人が、公爵家のお嬢様だからですわ」

「その根拠は?」

「あの方の周囲には、『滅びの繭』が漂っておりますもの」


 アストの答えに納得する。

 あちゃー。ここにも『滅びの繭』がいるのか。てかお嬢様、最高位の巫女に手を出したらいかんでしょ。ラーディたちとの会話を思い出しながら、そんなことを考える。


「ん? てことは、そのお嬢様は最高位の巫女に危害を加えるとどうなるか、知らないってこと?」

「恐らくは」

「その辺の話って、王宮にいる神官や王族……陛下辺りから側室に話したりしないの?」

「わたくしが嫁ぐことが決まった時、真っ先に知らせたと伺っておりますわよ?」


 ってことは、そのお嬢様はその話自体を忘れているか、王様の子供を……次代の王を産んだアストを憎むか嫉妬に狂ったか、って辺りか。全く、どいつもこいつも。

 内心舌打ちしつつ、私にどうしてほしいんだと考え、ふと思い付いたことを聞いてみる。


「離婚……離縁はできないの?」

「離縁、ですか?」

「うん。貴方と同じように好きな人がいるから、離縁したいのー! とか」


 そう言うと、アストはハッとした顔をしてデューカスを見る。デューカスもまたアストを見つめる。二人の目は、すごく切なそうで……先に視線を逸らせたのはアストだった。


(おお、これは!)


 常に側にいて、王妃を護る護衛騎士。味方がいたかどうかはわからないが、もし、味方がいない状況で唯一の味方や話し相手がデューカスだけだったら。

 私はともかく、アストなら確実に恋に落ちそうだ。それにデューカスも満更でもなさそうだし。うん、ここはいっちょ一肌脱ぐか。


「……ねえ、アスト。ずっと王妃でいたい?」

「いいえ。本音を言えば、神殿にいた時のように、シェイラやレーテとお喋りしたり、大好きな装飾品を作りたいですわ」

「なら、試しに『陛下と離縁したい』って言葉に出してみて?」

「ですが、もし『滅びの繭 』が出てしまいましたら……!」

「それは、陛下がアストのことを好きだった場合でしょ? 多分大丈夫。言ってみて?」


 そう、なんの根拠もないけど多分大丈夫。王様は、今でもその公爵家のお嬢様を愛してるはず。アストに暗殺者を仕向けていることがアストにバレバレなのに、王妃を護るべき立場の王様が知らないはずがない。或いは、本当に天然か。本当に知らなかった場合、お嬢様への愛は一気に冷めそうだが。

 覚悟を決めたのか、アストが小さな声で「陛下、離縁してくださいませ」と言うと。


「…………あら? 何も起こりませんわね」

「ね? 言った通りでしょ?」

「……ああ! シェイラ!」


 ガバッと抱きついて来たアストを受け止めると、背中にチリチリしたものが走る。この感覚を知ってる。女神の託宣が降りて来る前兆だ。アストが抱きついて来た状況での前兆ってことは、アスト柄みだ。それをアストに伝える。


「あー、アスト?」

「はい?」

「何か……託宣が降りて来そう。アストと王様柄みで」

「まあ、それは大変ですわ! デューカス、急ぎ王宮に行く準備を!」

「畏まりました。イプセン、頼む」

「はい」


 綺麗な礼をして扉から出たイプセンは、侍女を呼んで部屋内のカップを片付けるように言うと、そのまま足早に去って行く。


「それと、デューカスさん、さっきのおじさんのところに連れて行ってもらえますか?」

「何をするおつもりですか?」

「もちろん、一気に傷を治すためですよ」

「ですが……」


 デューカスは私の言葉に訝しげにこっちを見る。まあ、中級巫女の力しか使ってないから、疑問に思うのも当然だよね。ただ、私の力をよーく知ってる人がこの場にいる。


「大丈夫ですわ、デューカス。リーチェの……いいえ、シェイラの癒しの力は、わたくしよりも上ですの」

「そんなことないでしょ?」

「そんなことありますわ。いつだって貴女は、わたくしやレーテよりも先に治していたではありませんの」


 ニコニコと笑うアストに、そうだったかなあと思い出すように考えつつもデューカスに案内してもらいながら、アストやカムイと一緒におじさんのところへ行く。指輪を抜いてアストに預けると、指示をし終えたのかちょうどイプセンもおじさんのいるところへ来た。恐らくデューカスに報告に来たんだろう。

 苦しそうな息をしているおじさんの額を触ると、どうやら熱が出て来ているのかかなり熱い。やっぱり中級の力じゃ無理があったかー、傷の処置が甘かったかー、と反省しつつもおじさんを治すべく、おじさんの額とお腹に手を宛て、心の中で祈る。


【彼の者を癒し、苦痛を取り除きたまえ】


 今回はアストが近くにいるから、敢えて最高位の巫女の力を使う。そのほうがおじさんの体内にある傷薬の力を引きだせるし、もし神殿にバレてもアストが癒したことにできるからだ。

 祈りが終わると共に両手が淡く光り、それと同時に全身も淡く光って髪をふわりと持ち上げる。

 私の身体の中から、最高位の巫女の力が溢れる。


「これは……!」

「ええ。最高位の巫女の力ですわ。それにしても……相変わらず綺麗なお姿ですわね。このぶんならすぐに終わりますわ。それに、わたくしではこうはいきませんもの。シェイラだからこそできることですのよ。……ほら、終わりましたわ」

「すごい……これが、リーチェ様の……いえ、シェイラ様のお力……」


 呆然と呟くデューカスとイプセンに、こんなのアストで見慣れてるだろうにと思いつつも、一息ついてアストに手をさしだす。


「ふう。アスト、指輪をありがとう」

「あら、まだお返しできませんわ」

「なんで?」

「託宣が降りそうなのでしょう? この指輪をしたままでは、託宣は降りませんわよ?」

「……そうだった」


 託宣は、最高位の巫女の身体から溢れる女神の神気を使って行われる、謂わば神託だ。だから、中級巫女の力しか出せない『封印の指輪』をしたままだと託宣が降りない。

 がっくりと項垂れた私に、アストは追い討ちをかけるように「王宮に行くのですから、その格好ではダメですわ!」と言われ、別室に連れて行かれて淡いピンクのドレスに着替えさせられそうになったものの、それを何とか拒否する。

 いや、二十六にもなってベージュならともかく、淡いピンクは着れない。それを聞いていたイプセンが、私の着ている道着をじっと見ながらしばらく考えていたのだが、何かを思い出したのか一旦部屋から離れた。

 しばらくしてから戻って来たイプセンのその手には、細長い見たことのあるものがあった。所謂、畳んだ着物を入れる袋だ。何でだろう……嫌な予感がする。


「あの……イプセンさん? それは何でしょう?」

「こちらの服は以前旅の者から買い取ったもので、東の大陸の巫女装束なんだそうですが、誰も着方を知らないのです。その旅の者もシェイラ様と似たような格好をされておりましたし、もしかしたらシェイラ様ならご存知かと思いまして」

「見せてもらってもいいですか?」

「はい」


 手を伸ばして細長い袋を受け取ってから結ばれた紐を解くと、一番上に乗っていた小さな袋のうちの一つを持ち上げて中身を出す。


「…………草履? ……まさか、ね」

「は?」


 イプセンの聞き返しを無視し、今度は白くて透けているものを広げると、それは鶴と松が描かれた千早だった。次々に中身を取り出してベッドの上へと並べて行くと、和装下着、襦袢、白衣 、緋袴、足袋が出てきた。そしてもう一つの小さな袋からは、紅白の水引き、白い和紙が出て来た。

 つまり、神社で良く見る、本職の巫女さんが着るような巫女装束だったのである。嫌な予感的中だよ。


「うわあ……マジか……。本当に巫女装束だよ……。道理で道着が残るわけだ……」


 頭を抱える私に対し、他の面々は見たことがない衣装に興味津々といった感じで巫女装束を見いてる。持って来た本人だからなのか、イプセンが訪ねてきた。


「シェイラ様、この服の着方をご存知ですか?」

「よく知ってる。これと同じものが、私のいた国にもあったから。しかも、この世界と同じように、本職の巫女さんが着る正式な服なの」


 簡単に説明すると、その場にいた人たちは一斉に驚きの声をあげた。ドレスは着たくないし、いっそのことこの服がある東の大陸から来た最高位の巫女で、見聞を広めるためにお忍びで旅をしている破天荒な巫女ということにしようとアストたちと決め、着替えるために一旦皆を追い出す。

 設定にかなり無理があるが仕方がない。護衛役はカムイにやってもらえるかどうかあとで聞いてみようと決め、いそいそと着替える。


 和装下着を身に付け、襦袢、白衣と着ていく。白衣は膝上くらいの短いもので、袖の長さは着物でいう小袖と同じくらいだった。緋袴は馬乗袴で、道着と同じズボンタイプ。現代はスカートタイプの袴が主流になっているようだが昔は馬乗袴だったと、友人の一人だった神社の娘に聞いた。

 その友人に拝み倒され、こんな正式なものではなかったが、一応巫女装束を纏って巫女さんのバイトをしたことがあるから着方は知っている。

 緋袴を身に付け、髪を一旦ほどいて近くにあったブラシで髪をとかしてから首の辺りで結わくと、千早を羽織って紐を結ぶ。足袋と草履を履き、仕上げに水引と和紙を髪に着けたら完成である。


 そう言えば私、昨日はお風呂入ってないじゃん。正式な巫女装束に臭いがついたらどうしよう、臭ったらごめんよと内心で泣きつつ、アストの代わりにどうやって迷惑な公爵令嬢にヤキをいれるかと物騒なことを考える。尤も、託宣の内容によっては自滅してくれそうだが。


 扉を開けて外に出ると、皆顎が外れそうなほど口を大きく開けた。それに眉をしかめ、不機嫌に口を開く。


「なによ。どうせ似合わないわよ」

「いいえ、シェイラ。貴女の雰囲気にピッタリですわ!」

「そうですね。よくお似合いです」

「神秘的な感じが致します」


 アスト、デューカス、イプセンがそれぞれの感想を言いながら、イプセンがコーヒーとお菓子を差し出してくれた。ラーディと違ってよく気のつく人だ、うん。

 薄く化粧をされて最後の一口を飲んでイプセンにカップを渡すと、馬車がある玄関まで移動する。その間にカムイに護衛を頼むと、カムイは「構わん」と言ってくれたのでホッとする。刀は持って行けないのでそれをデューカスに預け、代わりにナイフがほしいと言うとデューカスはナイフを二本用意してくれたので、それを懐にしまう。ナイフも刀も、もしもの時のための保険だ。

 イプセンにおじさんの食事や道着の保管を頼み、アストと私、アストの侍女が馬車に乗り込んだところでまたもやカムイが馬車に乗り込み、座り込んだ。それなりに広い馬車だから問題なさそうだったが、カムイはじっとアストの侍女を見ている。


「カムイ?」

『この者から悪意を感じる』

「え?」


 カムイが私にそう告げた途端、アストの侍女がドレスの中に手を入れた。無意識に懐からナイフを取り出してそれを投げると、首の横にあった三つ編みにしていた髪がバサッと落ち、馬車の背もたれに刺さった。おお、一か八かだったけど成功したよ! ダーツを教えてくれた、父方の伯父さんに感謝だよ。


「ひっ!」

「何をしようとしてんのかわかんないけど、ちょっとでも動いたら今度はそれだけじゃ済まないわよ?」

「ミリア、貴女……」


 呆然と呟くアストに、侍女はアストを見たあとで私を睨む。こっそりカムイを見れば、侍女の足の上に前足を乗せていた。何をしているんだろうと考えていると、カムイが話しかけて来た。


『この者は、そちらのアストリッド殿の命を奪うようにと、件の令嬢に言われたらしい』

「ふうん、バカな公爵令嬢の差し向けた暗殺者、ねえ。素人に頼んだところで、成功なんかするはずないのに」

「なっ?! どうして!」

「うふふ、秘密に決まってるでしょ? あ、そうだ! 王様と公爵令嬢の前で、公爵令嬢のしたことを、あんたに洗いざらい正直に吐いてもらおうかな。それに移動している間、動かれるのも喚かれるのも面倒だし鬱陶しいなあ……」


 できる? とカムイに目で問えば『もちろん』と言ってカムイはそのまま口を開く。


『我が正直に話せ、動いていいと言うまで、【話すな】【動くな】【逃げるな】。城に着くまで【眠れ】』


 カムイが命令するような感じの言葉を次々に発すると、侍女はその場に固まったような格好で眠りについた。まるで魔法みたいだなー、神獣って何でもできるんだなー、なんて感心していると、それを見たアストがおろおろしながら私の腕を掴んだ。


「シェイラ、ミリアに何をしたんですの?」

「暴れられるのも、睨まれるのも、叫ばれるのも鬱陶しいから、カムイに頼んで眠ってもらっただけよ?」

「シェイラ……」

「私に助けを求めたのはアストでしょ? 公爵令嬢にきっちりお灸をすえてやるから、アストはどーんと構えてなさい」


 ニヤリと笑った私に、アストはひきつった笑顔を浮かべた。


(アストを泣かせ、私を怒らせたことを後悔させてやる)


 女神の祝福を受けた者を害するとどうなるのか、その身をもって体験してもらおうじゃないのと物騒なことを考えながら、壁に刺さったナイフを回収して懐にしまう。ふと壁を見ると、はっきりくっきりナイフの傷が目に入って青ざめる。

 壁に傷つけちゃったよ、どうしよう?! と今更ながら気づき、デューカスやイプセンに怒られるよなあと内心頭を抱えた私を、アストは不思議そうな顔をしながら眺めていた。


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