第四章(甲相同盟復活)
信玄の許に上洛を促す将軍御内書が届けられたようだ、という報せは、小田原に病臥する北条氏康の耳にも入っていた。彼は当主氏政を筆頭に、その弟
「信玄とは近年駿河を巡り干戈を交えたが、既に駿河の向背は定まった。越後は漁夫の利を得ようと傍観するのみで頼むに足りぬ。余の死を契機として信玄と再び和約せよ」
息も絶え絶えに氏康は言った。
武田による今川攻めを端緒として、激しく武田と相争ったのは実に氏康の意向によるものであった。その氏康が死に臨んで甲相同盟の復活を口にしたのだ。氏政一同耳を疑った。
その
「余亡くして信玄相手に勝てるか」
と大喝した。
氏政は一瞬、歯噛みするような表情を見せた。先年の三増峠における大敗がその脳裡を
「先月、信玄の許に上洛を促す将軍御内書が届いたと聞く。思うに我等との和約が成れば信玄の目はおのずと西に向くであろう。
それだけ告げると氏康は静かに目を閉じた。
軍事、内政の制度を整え、国内外に名君の名を
同じころ信玄は自らの体調に異変を感じていた。義信を弑した時に感じた上腹部の鈍痛に加え、飲み下した食が胃腑の上端辺りで
死を自覚しない信玄ではなく、それだけに小田原の北条氏康が卒したとの報せには
「あの氏康が・・・・・・」
と言ったきり絶句し、次いで瞑目したのであった。
先代氏綱の遺訓をよく守り、
もたらされた情報によると、氏康は子の氏政に対し、越相同盟を解消して再び甲相同盟を締結するよう遺言して逝ったという。
くだらない内容に終始していた将軍御内書では全く実感できなかった上洛の夢が、氏康遺言によって俄に現実味を帯びてきたのである。
だが家中には、氏康の死を契機として
「関八州を制圧して関東諸衆を糾合し、大軍を以て越後に無二の一戦を挑むべし」
などとする意見が唱えられ、事実幾人かの有力な家中衆から関東制圧が建議されたことに、信玄は少なからず衝撃を覚えた。
義信事件を経て駿河に討ち入ったことは、武田の外交政策が劇的に変容したことを顕していた。信玄は当然、家中衆に自らの意向が周知されているものと考えていた。だが依然として北進策に束縛されている何人かの重臣がいることを知り、衝撃を受けたのである。
信玄は打倒北条を具申するこういった諸将に向かって
「余が三年前に病を発した際、板坂法印は余の脈を看ながら、この病はそのうちに良くなるだろうが一両年のうちに
と言った。
内藤修理亮昌秀は
「しかし御屋形様、今や鍛えに鍛えた我が軍役衆を以てすれば、北条如きを抜くのに多年を要するとは思えません」
となおも北条攻めに
しかし山県三郎兵衛尉昌景が
「待たれよ修理亮殿。御屋形様が斯くもはっきりとそのご意向を示された以上、我等御屋形様より弓矢の談合に席を賜っている立場とはいえ、その御諚に従って北条との和睦に応じるべきではなかろうか」
というと、内藤修理亮をはじめ北条攻めを建議した家老衆は押し黙り、言葉を継ぐことはなかった。
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