第二章(砥石崩れ)‐二

 九月朔日、晴信は国内軍役衆を引率して砥石城攻略に向かった。九日にこれを囲むと、自らその周辺を巡検したと伝えられている。口の上では小城と侮っているが、やはり昨年来普請を欠かさなかったという砥石城のかまえを自らの目で確かめておきたかったものと思われる。

 しかし勘助や幸綱が口々にその堅城ぶりを表現した割には、城全体の規模が如何にも小さく大人数が籠城できるような城ではない。事実、籠城衆は七〇〇〇の寄せ手の十分の一にも満たない五〇〇名ほどであるという。

 なるほど城は山の尾根に築かれ、その西側を流れる神川が天然の濠を形作って要害の体を示してはいるが、構は粗末である。

「勘助は周囲の城を切り崩してからなどと申すが、戦には急がねばならん時もある。今がその時だ。村上づれに何年も費やしてはおれん。なるほど城に至る尾根は急峻であるが、僅か五〇〇あまりの城兵に尻込みしたとあっては末代までの名折れ。一気に駆け上がり、ひと揉みに揉み潰してしまえ」

 晴信はそう下知すると、決戦を申し入れる矢文を城内に射込んで開戦の合図とした。

 だが攻め上ろうにも攻口せめぐちは尾根の一箇所に限定され、籠城衆の十倍以上という優位を活かすことが出来ない。如何に多人数とはいえ、一列になって尾根に張り付き地道に上り詰めていくより他に攻め手がないのである。

 寄せ手は、或いは山肌に張り出た木の根を掴み、或いは蔦を縄に代えて険しい尾根を登り切ると、鬱蒼とした草木の中に突如見えた構の内から柄杓ひしゃくで熱湯を浴びせかけられた。このため先手の兵は、後続の者共を巻き込みながら尾根や絶壁を転落し、多数の死傷者が生じた。

 だが峻険な山城を攻めるに際し、先手の一隊が損害を蒙るなど茶飯事である。この程度の損害に尻込みしていては城など落とせるものではない。晴信は攻撃続行の采配を振るった。

 甲軍の新手は先手の一隊が上がっていったのと同じ尾根を伝い構を目指す。城兵は先ほどと同じように熱湯を浴びせかけ撃退したが寄せ手は諦めることなく続々と新手を送り込んでくるので、熱湯が尽きると今度は肥溜めに溜めた糞尿を熱してこれを浴びせかけてきた。寄せ手は依然構に取り付くことも出来ない。

 滑落を免れた一人が鈎縄かぎなわを柵に絡めることに成功したが、これも城内から覗いた鑓の穂先によって敢えなく断ち切られ、木柵を引き倒そうと後ろに体を反らせた兵はそのまま絶壁を転落して死んでしまった。

 寄せ手が必死なら籠城衆はそれを上回って必死だった。もし甲軍に敗れて城がその手に落ちてしまったならば、先年の志賀籠城衆を襲ったのと同じ運命が自分達を待ち構えているに違いなかったからだ。奴婢として売りさばかれるか、黒川金山の穴蔵で一生金堀人夫としてこき使われる運命が待ち受けているのである。砥石籠城衆にはこういった志賀籠城衆の運命を目の当たりにした佐久衆が多く含まれていた。

 晴信は寄せ手が苦戦する様を見て珍しく焦り、

「多寡が小城になにを手こずることがあろう」

 と歯噛みして怒号を上げてみても、城兵は必死に抵抗して構を打ち崩すことは容易ではない。こわめを繰り返し死傷者多数を生じた挙げ句、日没後に夜襲の兵を繰り出してはみたが結果は同じであった。

 二日目、晴信は

「長期戦もやむを得ん。かつえ殺しに蒸し落とそう」

 と言い出した。

 勘助は晴信が珍しく朝令暮改する様を見て

(ほら見たことか。やはりこうなってしまったではないか)

 と内心憤懣やるかたない思いを抱いていたが、義清本隊が後詰に現れる前に一刻も早く砥石城を攻め落とすしかなかったので、

「こと、ここに至っては飢え殺しなど悠長なことはしていられません。高梨と村上に和睦の時間を与えることになります」

 と諫言した。

 晴信は不用意に砥石城に寄せたことを後悔し始めていたが、後の祭りである。人を替え何度か寄せたが効果は上がらない。甲軍の死傷者は多数に及んでいた。

 下旬に入り、村上義清が高梨政頼との和睦を成立させて、甲軍が既に奪取していた寺尾城を攻め囲んでいるとの報が真田源太左衛門幸綱よりもたらされたことを契機として、晴信は遂に砥石城攻略を諦め全軍に撤退を命じた。早急に戦域を離脱したい晴信であったが、城攻めの過程で大量に生じた負傷兵を連れて帰らなければならない。指物さしものや長柄を利用して担架をこしらえ、負傷兵を担いで歩く甲軍の進度は滞りがちであった。

 砥石城内では籠城衆が、負傷兵を担ぎながら戦域を離脱しようという甲軍を見て追撃の軍議が即座に決した。籠城衆は武田による執拗な佐久来寇の鬱憤を散じるのはこのときをおいて他にないとばかりに東太郎山を駆け下り、逃げる甲軍に追いすがった。晴信は出来れば負傷兵を棄てて撤退したかったが、そのような挙に及べば国内諸衆の支持を失い、小笠原長時の轍を踏むことが明らかだったので、進度も遅いままに困難な撤退戦を強いられた。

 晴信が横田備中守高松たかとしより殿軍しんがりの申出を受けたのはその時であった。

 大勢は明らかとなっている。即ち甲軍の負けである。軍役衆の士気も低い。殿軍ともなると生還は期しがたいので皆嫌がる任務であった。それを自ら買って出たのだ。晴信にとっては救いであった。

 横田備中は隊の一部を伏兵として配し、突出する籠城衆を包囲陣の中に陥れた。戦巧者の横田はその包囲陣の一部に退路を開けておいた。敵がこの退路を目指して退くことを期待したものだったが、積年の恨みを晴らさんと決していた籠城衆は退路など目もくれず猛進して囲みを突破しようと奮戦する。

 砥石籠城衆を囲い込んでやりあっているうちに、横田備中の視界の端に村上義清本隊の旌旗が飛び込んできた。

(間に合わなんだか)

 横田備中は一瞬歯噛みして即座に囲みを解き、乱戦の脇を通り抜けようとする義清本隊に横入よこいれした。横田備中は自らの手練の技を駆使し、得意の弓矢で何人かの村上兵を射殺した。だが無常にも、敵か味方か知れぬ、何者かの鑓の穂先が引き絞った弓の弦に引っ掛かり、ぷつんと弾けたので、横田は弓を棄て太刀を振るい、諸方の敵を叩き伏せていった。

 しかし村上勢にとってこの追撃戦は甲軍撃滅の千載一遇ともいえる好機であり、押し寄せるその波をとどめるには横田備中守の手勢は寡少に過ぎた。横田備中は奮戦の末に騎馬を喪い太刀も折れ、疲労のためにその場に座り込んだ。

 なんとしても負傷兵を担いで逃げ帰ろうという甲軍の後尾が村上勢に襲われている様が見えたが、得物を喪った横田備中守にはもはやどうすることもできなかった。

 しかし喧騒の中にある味方の陣を見ると、皆一致団結して鑓を揃え敵を食い止めている。

(負けは負けだが、あの様子ならば即座に崩れたつことはあるまい。御屋形様はいずれあの者共を率いて、遠からず逆襲に転じることであろう。村上を追い落とすのは時間の問題だ)

 横田備中守は不思議な安堵感の中にいた。一致団結する甲軍の様子を見てそう感じたのであった。

 なので、横田備中守の前に突如として出現した村上方の侍が名乗りを挙げて一騎打ちを挑んできても、

「得物をすべて喪ったのだ。一騎打ちもなにもない。もはや武運は尽きた。この頸、討ち取って手柄とせよ」

 とだけ告げて、戸惑う敵衆を前にこうべを垂れた。

 横田の頸に一閃太刀が振り下ろされた。横田の脳裡に、飯冨源四郎昌景との遣り取りが浮かんだ。

(負け戦の中で死闘することこそ、主への諫言となるのだ)


 後世に砥石崩れと呼ばれる武田の敗戦の中、果敢にも殿軍を名乗り出て晴信の撤退戦を扶けた横田備中守高松は、六十四年を一期とし、斯くの如くして散ったのであった。

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