第一章(和睦交渉)‐一
天文十八年(一五四九)七月、駿河今川義元の意を受けた
「
そのような主君の用向きを伝えると、晴信は
「時の氏神だ」
とこれを喜んだ。信濃における戦況はやや武田方優位に進んではいたが、武田の国力では村上と小笠原を同時に相手にするにはやはり荷が重かったのである。
晴信は
「義元公のお
とこれに同意した。
村上義清は武田家から唐突に和睦の使者が来訪したと聞いて、最初は
「謀略ではないか」
と驚き、面会には応じたものの容易に警戒心を解かなかった。その義清に対して、和睦の使者駒井高白斎政武は
「もはや小笠原長時は林城に
と用向きを伝えると、義清は緊張の面持ちも弛緩して
「如何にも晴信殿らしい、我田引水のお申出よ」
と呆れた表情を見せた後
「だが晴信殿の偽らざる心根に違いない。
その準備はあるか。義清は言外に問いかけてきた。
義清にとって武田からの和睦の申出は塩尻峠の圧勝によって武田が息を吹き返した今、願ってもないことであった。したがって彼は、上田原における戦勝を交渉材料に、少しでも有利な条件を引き出そうと考えた。当然であろう。
その義清に対して高白斎がこたえた。
「今川御家中より、一宮出羽守殿が参られ交渉に加わる予定でございます。和睦の条件はその後にとっくり詰めましょう」
「晴信殿は、それがしとの戦に今川義元殿を巻き込まれるか」
義清はむむ、と低い呻り声を上げながら顎髭を
「主晴信は去る天文十四年、河東において義元公と相模の北条氏康が対陣に及んだ際、援軍を率いて今川方に参じ、
高白斎は
(和睦に応じなければ今川援軍と共に攻め寄せるぞ)
という恫喝である。今川の家名を聞いた義清の脳裡に、様々な考えが
義元を過度に恐れるあまり、不利な条件で和睦に応じれば上田原の戦勝も無に帰しかねない。かといって当方有利な条件に拘泥して交渉が決裂すれば、今川家は武田と合力して寄せてくるに違いなかった。
交渉自体を御破算にして戦いを継続するのも手ではあったが、義清の敵は晴信だけではない。北信中野に蟠踞する高梨政頼との
義清は顎に手をやったまま伏し目を上げ、ちらりと高白斎を見た。高白斎は胡座に座し膝頭を指でとんとん叩きながら義清の回答を待っている。
(伝えるべきことは伝えた。後は義清の回答次第だ)
とでも言わんばかりの風情である。
「応じるより他になさそうだ」
しばし沈思した後、義清は和睦交渉の開始を了承したのであった。
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