第一章(塩尻峠の戦い)‐三
信繁率いる別働隊は、夜半密かに大井森の陣から塩尻方面に発向した。
敵は諏方湖畔を一望できる峠に着陣している。
朝靄の残る十九日払暁、典厩信繁率いる別働隊は唐突に鬨の声を発して小笠原の陣所を
早朝、俄に陣中が立ち騒ぐのを聞いた長時は即座にこの騒ぎが小者同士の喧嘩などではないことに気付いた。このあたりはなるほど、長時も
だが個人の武勇を重んじる長時と、技を以て人を使う晴信との将器の差であろう。長時は諸衆に防戦の指示を飛ばすより先に、自ら鑓を取って陣所を飛び出すことを選んでしまったのであった。そのために陣中の混乱を治める者がいなくなってしまった。
長時が躍り出ると、そこには馬を駆り鑓を振るって次々と小笠原衆を手にかける甲軍と、殆ど裸に近い姿で逃げ惑う小笠原衆が入り乱れて極度の混乱を来していた。長時は逃げようとする味方の兵の首根っこを掴んで督戦し、自ら何人かの敵兵を討ち取ったが焼け石に水であった。
晴信は先遣の典厩別働隊が小笠原勢を撃砕したとの報を得て一気に軍を前進させた。そして別働隊と合流し、長時が逃げ帰った林城直下まで肉迫し、二里ばかり南東の村井に
一方の晴信にとっては会心の勝利であると同時に、今後の課題を浮き彫りにする戦いでもあった。鍛え抜かれた士分のみを以て戦をしたということは、他の諸衆の練度が晴信の求める度合に達していないということが明白であるということでもあった。晴信は勝ち鬨の儀を執り行いながら、もし軍役諸衆が自分の求める練度に達した暁には、これら諸衆を率いて沿道の諸侯を打ち倒し、一気に上洛することも夢ではない、などとぼんやり考えていた。その考えは本当にぼんやりとしたものにとどまっており、確信を得たものとは言いがたかった。彼の脳裡に、帝都は未だ遠かったのである。
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