第74話

 

 俺が脳内で素数を数えて心を落ち着けていると、扉がコンコンと小さくノックされる。ミーレスは俺達が見えない位置にいることを確認した後、細く扉を開けてノックした相手に用件を問いかける。


『――――』

『―― ……そうか、分かった。まずは私が会おう』


 相手の声が小さくてよく聞き取れなかったが、どうやら会話が終わったらしい。

 ミーレスは『少し席を外す。そのまま待機していてくれ』と俺達に指示を出し、部屋から出て行ってしまった。



 ……



 そして数分後、ミーレスが戻ってくるまで、俺達の間には一言も会話がなかった。何度か話掛けようとしたのだが、さっきから俺が話してばっかだし……話したくないなら迷惑になるし……というか話題もないし……とうだうだ考えていたら、かなり時間が経ってしまい、ミーレスが戻ってきてしまった。



 ―― これからこのメンバーで旅するのか……不安しかないな……



 俺もそこまでコミュニケーション力が高いわけではない。喋れない訳ではないが、饒舌という程でもない。多分平均値くらいだろう。何はともあれ喋れるミーレスが戻ってきてくれて助かった。


『用件は何だったんですか?』


 俺が興味本位で問いかけると、ミーレスがにやりと笑う。


『トワ、お前への客だ』


 そう言ってミーレスは扉を開けると、外にいた人達を中へ誘い入れる。入って来たのは、俺のことをよく心配してくれていた商人仲間達だった。


『おぉ! トワ、無事でよかった……!』


『最近お前の様子がおかしいと思ってたら……今日突然休んだだろ? 何かあったのかと思ってよぉ……』


『お前が泊ってる宿に行ってもいねぇし……』


『ミーレスなら何か知ってるんじゃないかと思って、訪ねてみたの』


 皆、突然姿を消した俺を心配して、ギルドに来てくれたらしい。

 口々に『休むなら一言いえよ!』『宿にいろよな! 探しちまっただろうが!』等と小言を言いながら、俺の頭を小突いていく。


『す、すみません……ご心配おかけしました……』


 そう言って俺が頭を下げれば、ぺしっと頭を叩かれ『分かればいいんだ、分かれば』とわざとらしく偉ぶってに言われる。その後は『何もなくてよかったぜ』と笑いかけてくれた。


 ―― そうだ……ゆっくりしてる暇はないから、皆に会えるのはこれが最後かもしれないんだ……


 ふと、この後すぐにナーエを出なくてはいけないことに気付く。


 俺が撃った警備兵が目を覚ましても、他の警備兵が異変に気付いたり、倒れている警備兵に気付いても終わりだ。広場には警備兵もいるので、最後に顔を出して別れの挨拶をするなんて、出来るはずもない。


 皆の方をチラリと見れば、皆ワイワイと『ったく! 心配掛けさせやがって!』『明日からは商売再開すんのか?』『程々にしないと本当に危ないぞ?』『夜道で同業者に刺されるぞ~』等と笑い合っている。


 俺は意を決して『あのっ!』と大きく声を上げる。突然の大声に、皆が一斉に『ん?』と俺の方を向く。


『あ、あの……俺、皆に言わなきゃいけないことがあって……』


『お、おいおい、改まって何だよ……? 何をそんな変な顔してるんだ?』


 俺の暗い雰囲気が伝わったのか、いつも隣で店を出している主人が、笑いそこなったようなぎこちない笑顔を浮かべて茶化してくる。


 その笑顔を見て、別れを切り出すのが更に辛くなるが、今を逃せば多分もう機会はない。



『その……俺、今日ナーエを出なきゃいけなくなってしまったんです。なので……皆さんとは今日でお別れです』



 俺はそう言って『本当にお世話になりました』と深く頭を下げる。


『お、おいおいおいおい! いくら何でも急すぎだろう?!』


『そ、そうだそうだ! もうちょっとゆっくりしていったっていいだろう?』


『せめて送別会くらいはやろうぜ? 俺達が御馳走してやるからよ』


 驚きながらも、皆優しく引き留めてくれる。しかし事態は一刻を争う。ゆっくりしている暇はない。


『ありがとうございます。でも……駄目なんです。その、事情は話せませんが……とにかくスグにでも、ナーエを出なくちゃいけないんです』


 俺のただならぬ雰囲気に、皆何か感じるものがあったのか、引き留める声が小さくなる。


『……スグ出なきゃいけないって言ってたな? 旅の準備は出来てるのか? 足りねぇもんはねぇのか?』


『もし何か必要な物があれば、ひとっ走りして店から持って来てやるよ』


『そうそう。遠慮なく言いな?』


 代わりに、今度は必要な物がないか聞いてくれる。

 自分の旅の準備は出来ていたので、お言葉に甘えてフィーユとファーレスの着替えだけお願いさせて貰った。


『うちの店が一番近い! すぐ取ってくるよ!』


 服を扱っている商人が、そう叫ぶと勢いよく飛び出していく。他の商人達も『俺も旅に必要そうな物がないか見て来る!』『最後、門の近くで落ち合おう!』と叫び、次々と飛び出して行く。


 その様子を見て、ミーレスが小さく笑う。


『ふっ、皆いい奴らばかりだな』


 ミーレスのその言葉に、俺は大きく頷く。



『……はいっ!』



 ……



 それからミーレスと共に荷物の最終チェックを行い、変装の意味も込めて長い外套を着込む。ファーレスとフィーユも姿を見られたら危険かもしれないので、同じように長い外套を着せる。フィーユは丁度良い外套がなかったため、厚手の布をマントのように巻いた。


『よし。荷物も揃ってる、変装もした……準備、出来ました』


『あぁ……そうだな。行くか』


『はい』


 部屋を出ようとしている、ミーレスを少しだけ引き留める。


『ミーレス……本当に色々とありがとうございました。ミーレスがいなかったら、俺は多分……ナーエで死んでいたと思います。迷惑をかけてばかりで、何もお返し出来なくてすみません……』


 せめてものお礼として魔石を幾つか差し出すが、案の定受け取ってくれなかった。


『ふっ……気にするな。私が勝手にしたことだ』


 優しく笑いながらミーレスは俺の手を取り、そっと2枚の板を握らせる。


『私からの最後の餞別だ。ロワイヨムの通行許可証と商売許可証だ。間に合ってよかった。ギルドマスターの権限をこれでもかと使って取ってきたんだぞ? ロワイヨムのギルドにも連絡を取っておいた。あそこのギルドマスターは変な奴だが……まぁきっと手を貸してくれるはずだ』


『あ……ありがとうございます……!』


 ミーレスが渡してくれた板をぎゅっと握り込む。

 ソルダの時と同様、俺の目的地を知った時から裏で動いてくれていたのだろう。

 俺はと言えば、ロワイヨムに着いたあとのことなんか全く考えていなかったので、自分の見通しの甘さを反省するばかりだ。


『ふっ……しっかりやれよ!』


 頭を下げる俺の背中を、ミーレスがどんっと押す。


『はいっ! ……それにしてもミーレスって……何かソルダに似てますね?』


『は、はぁあッ?! と、突然何の話だ?! 失礼なことを言うな! 私のどこがあんな粗野な男に似ていると言うんだ!? ま、全く……今はそんな話をしている場合じゃないだろう? さっさと行くぞ!』


 ふと行動や言動の端々に感じていた既視感のようなものに気付き、興味本位でミーレスに問いかける。

 ミーレスは妙に早口に否定すると、ぐいぐい俺の背中を押して部屋から追い出す。表情はいつも通りだったが、ふとミーレスの耳の先が、真っ赤に染まっていることに気付く。



 ―― んー……青春だなぁ……



 ……



 ミーレスに勢いよく追い出されるまま、俺達は門の近くまでこそこそと人目を避けて移動した。

 近くの建物の陰に身を潜めていると、『トワ!』と小声で呼びかけられる。声がした方を見れば、路地裏にこっそりと商人達が隠れていた。


『ほらよ、その兄ちゃんと女の子にあいそうな服だ』


『俺は消耗品を詰めといたぜ。3人で旅するとなると、消耗品も3倍必要だろ?』


『私は食料よ。食料も3倍必要になるでしょ?』


 彼等はそれぞれ色々詰め込んでくれた布袋を手渡してくれる。


『こんなに色々……! ありがとうございます! お幾らですか?』


 俺が慌ててお金を払おうとすると、皆『いらねぇよ』と笑って受け取りを拒否する。


『トワにはじゃがいもの調理法教えて貰ったり、リバーシを教えて貰ったり、世話になったしな』


『でも……』


『いいんだよ。餞別として受け取ってくれ』


 そう言って笑った後、彼等が一斉に頭を下げる。


『ごめんな、トワ……。ナーエでは嫌な思いばかりしただろ……? 商人同士で皆足引っ張って……勝手に商品を真似されたりよぉ……』


『悪かったな……。俺達も自分の身が可愛くて、お前のこと全然助けてやれなかったしよ……』


『ごめんね……商売はやりにくいかもしれないけど、またいつでも遊びに来てね?』


 事情を知らない彼等は、もしかしたら俺が他の商人から嫌がらせを受けて、街を出てくと勘違いしているのかもしれない。

 まぁ元々俺の稼ぎを盗もうとした輩が原因なので、当たらずといえども遠からずなのだが。


『皆さん顔を上げて下さい……! 俺がナーエを出ていくのは、その、色々と俺個人の事情のせいで……ナーエが嫌いになったからじゃないですから……!』


 俺は慌てて彼等の言葉を否定する。


『確かに……皆さんがいなかったら、俺はナーエを恨んでいたかもしれません。でも……ここにいる皆さんのおかげで、ナーエはいい街だったって、本当に心の底から思えます』


 俺は商人達、そしてミーレスの顔をそれぞれ見渡す。




『本当に、ありがとうございました!』




 笑顔で頭を下げると、皆嬉しそうに笑ってくれた。


『そうか……そう言ってもらえると嬉しいよ』


『旅は危険が多い、気を付けるんだぞ?』


『次の街でも頑張るんだよ?』


『頑張ってね!』


 皆が口々に励ましの言葉などをくれる。

 その言葉に俺は力強く答える。




『はい、行ってきますっ!』




 ……



 門の外に出る。


 門番にはミーレスが手を回しておいてくれたようで、すぐにエクウスと馬車を引き取れた。馬車の荷台に手早く荷物を詰め、ファーレスとフィーユを荷台に乗せると、すぐに出発した。


 別れはいつだって寂しい。

 手綱を操りながら、最後に一度だけナーエを振り返る。



 ―― 別れを重ねながら……それでも俺は、進み続ける。



 遠ざかっていくナーエを見つめていると、もちの入った布袋がもぞもぞと動く。


「きゅー……」


「あ、ごめん」


 ナーエから離れたし、そろそろいいだろうと思い、もちを布袋から引っ張り出す。


「きゅっ!」


 もちはいつも通り俺の頭の上に乗ると、ぽふぽふ跳ねる。

 やっぱり励ましてくれているのかもしれない。



「ありがとな、もち。本当お前がいてくれてよかったよ」



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