65 王を喰う獣


 バッソスの城は帝都のように、回廊伝いにつながってはいない。部屋の一つ一つが小さな入り口でつながっており、刺繍のされた厚手の布が目隠しとして下げられている。


「……で、俺は結局バスクス二世の護衛かよ?」

 その部屋をいくつも足早に通りながら、苛立つ声でシャルベーシャが吐き出す。

「わたくしたちは、たったの四人、わかりますか。たった、四人なのです」

 ジルヤンタータは、横目で彼をじっと見る。押し殺した低い声が、広くはない部屋にこもって聞こえた。


 最小限の人数を伴って来たために、バスクス帝は単独での行動が多くなった。

 結果、大事なことは〝随伴してきただけ〟の自分たちには何も知らされていない。それが例え言い渡されているとおりの、バッソス公王へのギョズデ・ジャーリヤの披露目であったとしても。


 いろいろと嗅ぎまわったのが知れてしまったのだろう。フェイリットの治療後に彼を捜しても、姿を見つけることができなかった。

 挙句ようやく見つかったと思えば、血を失って倒れている始末。


「策謀はすべて陛下の頭の中だった。わたくしたちは、何も告げられずここへ従って来ただけなのです」

「公爵との謁見は? やる予定だっただろ、そもそもの目的がギョズデ・ジャーリヤの披露目だ」

「……それは分かりません。到着するなりわたくしはフェイリットを御殿医の元まで運んでいたのですよ。その後もそこから離れなかった。あなたは何をやっていたのですか。てっきり陛下にお付きしているものと、」


「俺は命ぜられて兵の補充に走ってた。帝都に鷹を送ったり砂漠に馬を出して残存兵の確認に向かったりな。その間にヤツは、公王にでも何にでも挨拶ぐれえ済ませてたんじゃねえのか」

「その可能性が高いでしょう。自分のジャーリヤは負傷して眠っているから、披露目を延期したい、などと告げている可能性があります」


 部屋を次々と通り抜ける二人を、小姓たちが驚いたような顔で見送っていく。部屋同士がつながって廊下のない造りは、侵入者の足を止めるのに役立つ。だが今は鬱陶しいとしか言いようがない。

「だったら……いや、その前にどこに向かってる」


 早足のまま、一向に足を止めようとしないジルヤンタータを訝しげに見て、シャルベーシャが問う。幾分歩幅が勝っているため、ジルヤンタータの隣にすっかり並んでいるが、彼女はちらりともそちらを見ようとしていなかった。


「オフデ侯爵のところへ」

「……は……なんか早まってねえか? いきなりオフデかよ、そんなに焦る必要が……」


 オフデ侯爵といえばバッソス公の側近中の側近で、公王のかわりにバスクス帝を出迎えたほど、地位も権力も上位にある。宰相位を置かないバッソス公国において、その役割にもっとも近いとも噂されている参謀だ。一介の侍女如きが会おうとして会える人物ではない。シャルベーシャが驚くのも無理はなかった。


「焦る必要があるのですよ。あなたさっき、陛下の護衛がなんたらと仰っていたようですね。それなら陛下が今どこでどんな状態におありか、わかっているのですか」

「だから、言っただろ。ずっと砂漠に居たんだぜ? この格好見ろよ、外套用のローブびらびら靡かせて、ずっとヤツに付き添ってたように見えんのか」


 ようやくちらりと目をやって、ジルヤンタータは深い息を口から出した。

 確かに、彼の姿をよく眺めれば、ターバンもローブも土に汚れて変色している。そのあまりの具合に、ばさばさと歩く度、埃が舞ってくるようにさえ見えてくる。


「兵士は生きていましたか」

 タァインに襲われて、置き去りにする形になった奴隷兵士たち。上官ならば、彼らの生存に時間を費やしたくなるのも頷ける。

「二人な。他は、もう手遅れだった」

「そうですか……」


「連れてきて軍属の医者に診せてる。軽症だし、まあすぐ使えるっちゃ使える。俺と育ってきたヤツらだからな。けど、皇帝の護衛だけはごめんだぜ」

「護る必要はございませんでしょう。側に待機しておいでなさい」


 ジルヤンタータの狙いは、フェイリットの侍女としてオフデ侯爵に会い、礼の機会を取り付けることだった。御殿医を回してくれたのは他ならぬ彼であるし、会えばさり気なく向こうの動きも掴むことができる。皇帝の姿が見えない言い訳さえ、取り繕える。

 だがどんなに切迫した事態でも、シャルベーシャを同行するのは憚られた。埃まみれの彼では、まがりなりにも身分違いの侯爵と会するのにそぐわない。


「シャルベーシャ殿」

 初めて足を止めたジルヤンタータを、通り過ぎてからシャルベーシャは振り向く。両肩を上げて何だ、と不機嫌に唸った彼をじっと見つめてから、その耳元まで近づいた。

「……陛下は今意識がないのです。正確には寝台で、眠っている」


 噛み付いてしまった、とフェイリットが飛び込んできてから、ゆうに二時間。

 二時間というのは、短いようで実は長い。それは帝都からお忍びで皇帝を迎え、その姿が二時間見えないということ。

 バッソス側としては、ほんの数十分見失うだけで大事になる問題だった。


「先ほどフェイリットが様子を見に伺ったはずですが、未だお目覚めでないこともありうる。姿が見えないと感づかれる前に、わたくしはオフデ侯爵にお会いし、〝陛下は今ギョズデ・ジャーリヤと寝台にいる〟と思わせてこなければなりません」

「別に、感づかれたって居眠りこいてるだけなんだろ?」


 だったらいいじゃねえか、と肩を竦めるシャルベーシャを見て、ジルヤンタータは顔を曇らせる。ギョズデ・ジャーリヤに血を吸われたなどと、気づかれるわけにはいかない。それはフェイリットの正体を、疑わせる誘引になる。


「とにかく、陛下がお倒れになった事実をバッソス側に知らせることはできません。あなたは戻って、陛下のところへ訪室者が訪れないよう、見張っていてほしいのです。護衛をしろとは言いません」

「嫌だぜ俺は。ヤツのこと嫌ってんの、知らねえ訳じゃねえだろ」

「シャルベーシャ。あなたしか居ないのですよ、他に、」


「とっかえりゃいい。俺がオフデ侯爵の部屋に行く、あんたは陛下の様子を見張る」

「シャルベーシャ。確かに彼ら皇族が、あなた方を奴隷と呼び、家畜のように値段をつけて親から取り上げ、命の保障も無い前線へ、道具か何かのように送っているのは理解しています」


 師団に付属してるはずなのに、事実属していない奴隷騎兵連隊マムルーク。仲間であるはずの兵士たちから、蔑みさえかっている。彼らが軍内で重宝され、出世できる道は、とても狭い。

 実力は専ら、認められるべき集団であるというのに。


「そしてバスクス帝は、即位後なにもしていない。奴隷制度の撤廃も、未だに狂気と言われる鎖国政策の撤廃さえも」

「あのなあ……俺は護衛が嫌だ奴隷が嫌だって、ガキみたいにだだこねてるわけじゃねえよ」

「わたくしにはガキも同然です」


 ひとつ、呆れたような溜め息を吐いたのち、シャルベーシャは首を横に振った。

「――タァインを、なんでお偉方が恐れてるかわかるか?」

「……は、」

 急に話題が変わったことに、ジルヤンタータは目を瞬かせる。シャルベーシャは琥珀色の瞳をすっと細めて、言葉をつなげた。


「〝王喰い〟って呼ばれてたからだ。タァインは滅多に人を襲わないし、滅多に人前に姿を現さない。だがヤンエ砂漠でだけは、昔からタァインが出ると言われてきた――王が通ると、そいつを喰らいにな」

「シャルベーシャ……」


「だが、それももう砂漠の民にしか伝わらなくなった。今残ってるのは、わけの分からない畏怖だけだ。畏怖で人はヤンエ砂漠を越えようとしない。魔物が出るからってな。すべては王の弱点を隠し、それを遠ざけるためだった」

 首元まで覆っている外出用のローブを脱ぎながら、シャルベーシャは尚も続ける。


「けど、馬鹿なやつらがマムルークなんぞ奴隷隊を結成し、そこに砂漠で買ってきたガキどもをごろごろ入れやがった」

 すっと腕を上げ、シャルベーシャはジルヤンタータを睨むように見つめる。

「見ろよ」


 捲り上げられたその腕を見て、ジルヤンタータは口を押さえた。悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえて、シャルベーシャの琥珀の目を見上げる。

 ――白銀の毛皮。衣服に隠されたその向こうにあったのは、びっしりと毛の生える、獣のような腕だった。まごうことなく、人間ではありえない。


「タァイン……?」

 そう呟いて、ジルヤンタータは息をつく。

「なんだよ、気付いてただろ?」



 ――〝お前の一族〟ではないな?

 ――俺らは同種殺しはしませんからねぇ。



「同じ建物にいるだけでこうだ。近くに寄れば、俺がどんなに疲れるか想像つくだろ」

 喰らいたい衝動と、変化を抑える精神力。たしかに、変化すら自分ではどうしようもないフェイリットを見ていれば、その難しさは理解できる。


 ……だが、ふとした疑問を見つけてジルヤンタータは首を傾げる。近寄れば変化してしまうなら、いくら強靭な精神を持っていてもここへの道中は無理だったはず。砂漠であんなに近く馬を走らせていながら、彼の苛立ちはほとんど肋骨だけに向けられていたのではなかったか。


「ですが、ここまでは平気だった。違いますか?」

「それは……あの小娘がいると気にならねえんだよ。最初は娘もタァインかと思った。俺らは同族で殺し合うなんざしねえし、衝動も牽制し合えるからな。玉座でバスクス二世に目通りしたときは、てっきり皇帝がタァインを飼い慣らしたのかと驚いたんだが……タァインじゃなかった。砂漠で、見ただろ」


 ジルヤンタータは無言で眉をひそめて、頷いた。フェイリットはともかく、襲い来たタァインは少なくとも彼女を殺そうとかかっていた。

「砂漠で見たやつは恐らく野生に近い。俺はずいぶん人慣れしたが、そのぐれえの見分けはつく。だが娘が何者なのかは、さっぱり見当がつかなかった。しかも最悪なことにバスクス二世はそれを知っていて、試した」

「貴方がタァインであることを、ですか」

「そうだ。それとお前の小娘が、俺と〝同じ〟かもしれない、ってところまでな」


 ジルヤンタータは額に手の甲を当てて黙った。じんわりと、油のような汗を手に感じる。

 フェイリットがタァインでないことをシャルベーシャに確かめさせたなら、彼がぎりぎりまで何もしなかったのは頷ける話だ。手助けしてしまっては、あの襲い来たタァインがフェイリットを殺すか否かがわからなくなる。殺せば人間、殺さなければ同族、というわけか。そのあと喰らっていたなら、王だと思われていたかもしれない。


 だが、彼女にそれは考えられないことを知っている。庶子から上がった王女で、その上に兄が十人もいる。女王制度を認めないメルトロー王国で、彼女が王になる確立は無に等しい。

「……わたくしと役割を交換するとして、貴方にはオフデ侯爵を言い包める自信があるのですか」


 彼より倍も生きている、国の上位にいる男だ。剣や体術でならともかく、話し合って上手くいく相手ではない。

「ああ。まあ何とかする。お前はバスクス二世の寝室に行って、踏み潰すなり何なりで起こしてくるんだな」

 シャルベーシャはそう言って、止めていた足を動かした。本当に、任せて大丈夫なのだろうか。


「……わたくしも、陛下を起こしに参りましょうか」

 ジルヤンタータは、複雑な面持ちで去り行くその姿を眺めた。




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