第16話『夕ご飯』
僕らは予約していた午後6時半まで貸切温泉を堪能した。
僕は琴葉達に体をたっぷりと触られたけど、厭らしい触り方でもなかったし、何よりも温泉がとても気持ち良かったので気にはしなかった。ただ、他の人にも同じようなことをするのはまずいと思いますよ、と注意はしておいた。お風呂に入るのは元々好きなので、部屋にある温泉や大浴場にもゆっくりと浸かりたい。
温泉から出た後、部屋でちょっと休んでから夕食を食べることになった。
午後7時過ぎ。
僕らは夕ご飯の会場である1階のレストランへと向かう。夕食の時間が始まってからある程度時間が経っているからか、中は賑わっているな。バイキング形式なのもあってか、常に誰かしら会場を歩く宿泊客がいる状況。
6人用のテーブルも空いていたので、席の確保も兼ねて僕が1人で座り、沙奈会長達は料理を取ることに。
「みなさん、楽しそうで何よりですね。安心しました」
「そうですね……って、アリスさん!」
気付けば、僕らと同じく浴衣姿のアリスさんが隣の椅子に座っていたのだ。いつものように穏やかな笑みを浮かべている。
「あらあら、驚かせてしまいましたか。こんばんは、逢坂さん」
「……こんばんは。あの……ここにいて大丈夫なんですか? アリスさんはこのホテルの宿泊客ではありませんよね? 浴衣は着ていますけど」
「大丈夫ですよ。一時的な滞在なので。魔法を使って逢坂さんや琴葉、如月さん以外には見えないようにしています。あと、せっかくですから琴葉と同じものを来てみたいと思い、魔法を使ってこの浴衣というものを着てみました。普段着ているものよりも身軽でいいですね」
「そうですか。似合っていますよ、アリスさん」
「ありがとうございます」
浴衣が気に入ったのかアリスさんは楽しげな様子。
今日、副会長さんが着ていたワンピースよりも、フリルがたっぷりと付いているゴシックワンピースだもんな。それに比べたら浴衣は身軽か。あとで琴葉や沙奈会長に見せるためにも浴衣姿のアリスさんの写真を撮っておいた。
あと、魔法で一部の人には彼女の姿が見えないってことは、下手すると僕が独り言を喋っているように見えてしまうのか。気を付けないと。
「琴葉から旅行の話は聞いていたんですよね」
「ええ。暇さえあれば魔法を使ってみなさんの様子を見ていました」
「……本当に便利ですね、魔法って」
「今のように様々な用途に使えるようになるまでには、たっぷりと修行しなければいけないのですよ。ただ、魔法を使って逢坂さん達の様子を見ただけでは、旅行気分を味わえません。ですから、このホテルの近くにある足湯に先ほど行ってきました」
「な、なるほど。気持ち良かったですか?」
「ええ。とても気持ち良かったです。みなさんが貸切温泉に入っているのを見て、あたしも温泉も体験してみたいと思って。入って正解でした」
アリスさん、とても満足そうだ。
それよりも、貸切温泉での様子も見ていたのか。アリスさんが女の子だからいいけど、もし男の子だったら問題になっていたな。
「逢坂さんって見た目よりも筋肉質ですよね。あたしの世界ではどうしても魔法が基本なので、逢坂さんほどの筋肉を付けた方はあまりいないのですよ」
「そうなんですね」
てっきり、色々な魔法を使うためには体力が必要で、その過程で筋肉がついているのだと思っていた。
「あと……可愛かったですよ。……ばぶばぶ」
「……はあっ? はあっ……」
やっぱり、アリスさんにばぶばぶ言ったところを見られていたのか。僕はいつまでこのネタでからかわれなければいけないんだ。思わず頭を抱えてしまう。
「昨日から見ていましたよ。あなたの部屋でみなさん、楽しそうにしていましたね。夜は見なくても大丈夫だと琴葉がサインを送ってくれたので見ていませんが」
「……なるほど。あと、今夜は僕と沙奈会長の部屋の様子は見なくていいですよ。あの……2人きりで色々としたいんで」
さすがに沙奈会長とイチャイチャしたいとは言えなかった。
ただ、そんな内容を察したのか、アリスさんは頬を赤くして視線をちらつかせている。
「……大丈夫ですよ。その……逢坂さんが如月さんと2人きりで寝ると分かったとき、どんなことをするのか想像できていますから。その……琴葉の事件が解決した次の日の夜、逢坂さんの部屋の様子を見たのですが、そのときはベッドでお二人が激しく求め合っていましたから……」
きゃっ、とアリスさんは両手を頬に当てている。
やっぱり、あの日の夜の様子をアリスさんは見ていたのか。……ばぶばぶ言ったことをからかわれるよりもよっぽど恥ずかしいんですけど。
「安心してください、見ませんから。今後もそのような場面になりそうなときは見ないようにしますので。あと、今夜は琴葉達の部屋の様子や、状況によっては琴葉と一緒に寝ようかなと思っていますから。逢坂さんはあたしのことは気にせずに如月さんと思う存分に愛を育んでください」
「……お気遣い感謝します」
「では、あたしはこの辺で」
そう言うと、アリスさんはすっと姿を消した。きっと、僕が1人きりでここにいたから話すのにいい機会だと思ったのだろう。今夜、琴葉と話す機会があればいいな。アリスさんと会うことができれば、2人にとっていい思い出ができると思うから。
「たくさん料理があって迷っちゃったね、琴葉ちゃん」
「そうですね、沙奈さん」
迷ったと話す沙奈会長は肉料理も魚料理も持ってきており、郷土料理なのかお餅が入っている具だくさんの味噌汁もあった。
それに対して、琴葉は……肉料理だけでなくフルーツやスイーツもさっそく持ってきていた。
「相変わらずだなぁ、琴葉」
「こんなにも、フルーツやスイーツをたくさん食べられる機会なんて滅多にないでしょ?」
「……それもそうだな。でも、お腹を壊さないように気を付けてね」
僕は料理を一通り食べたら、フルーツやスイーツを食べるようにしよう。
そうだ、今は沙奈会長と琴葉しかいないからあのことを話そうかな。
「沙奈会長、琴葉。ついさっき、浴衣姿を着たアリスさんが僕のところにやってきました」
「えっ、そうなの?」
「レイ君が1人きりだから来たのかな。寂しがっていると思って……」
琴葉や沙奈会長ほどの優しさがあれば、その可能性もありそうだ。
「昨日からずっと僕らの様子を見ていたそうです。貸切温泉に入った僕らに影響されて、ホテルの近くにある足湯に入ったと」
「ここら辺、温泉地だからね。無料で入ることのできる足湯があるんだ」
「そうなんですね。今夜……もしかしたら、琴葉の方の部屋にアリスさんが遊びに来るかもしれない。タイミングを見計らってだと思うけれど」
「分かった」
「あと……沙奈会長、耳を貸してください」
僕は沙奈会長の耳元で、
「付き合い始めた日の夜のこと、アリスさんが見ていたそうです。あまりにも刺激的だったので、今回はさすがに僕らの部屋は見ないと言っていました」
「なるほどね……なるほど。それなら、何も気にせずにできるね……」
顔を真っ赤にしていたけど、どこかほっとしているように見えた。
「どうしたんですか、沙奈さん。顔が赤いですけど」
「へっ? ああ……こんなところで玲人君が急に顔を近づけるからドキドキしちゃって。玲人君、場所を考えなきゃダメだよ」
まったくもう、と沙奈会長は微笑みながら僕の隣の椅子に座った。
それじゃ、僕もそろそろ料理を取りに行こうかな。そう思って席から立ち上がろうとしたとき、
「結局、自分の好きなものばかり取っちゃった」
「それでいいと思いますよ、麻実さん」
「樹里ちゃんの言うとおり、それがバイキングの醍醐味ですって。あたしも食べたいものを取ってきましたし」
姉さん、副会長さん、真奈ちゃんが戻ってきた。
姉さんは……好きなものばかり取ってきただけあって、肉料理と炭水化物が多いな。お昼ご飯のときに気に入ったのかほうとうを持ってきているし。ほうとうよりも少ないけど、うどんも持ってきているし。
副会長さんは魚料理と野菜中心のヘルシーな内容。
真奈ちゃんは沙奈会長のように肉料理や魚料理など色々なものを取ってきている。料理の取り方一つで個性って出るんだなと思った。
「じゃあ、僕も取ってきますよ。みなさん、僕のことは気にせずに食べてください」
僕も料理を取りに行く。
肉料理や魚料理はもちろん郷土料理も豊富だ。沙奈会長達が迷うのも頷ける。
沙奈会長が取ってきたお餅入りのみそしるはおつけだんご、姉さんがほうとうとは別に持ってきたうどんは吉田うどんという山梨の郷土料理とのこと。僕も旅行に来たのだから郷土料理は食べておきたい。
そんなことを考えながら料理を取ったら、お盆には郷土料理でいっぱいになってしまった。まだ食べたい料理もあるし、後でまた取りに来よう。
席に戻ると、みんなはまだ料理を食べていなかった。
「あれ、まだ食べ始めていないんですね」
「みんなで一緒に食べ始めたいと思ってね。あと、樹里先輩がどんなものを取ってきたのか動画に収めたいそうで……」
「そういうことですか」
ありとあらゆることを動画という形で残したいのかもしれない。
「逢坂君は郷土料理中心みたいだね」
「そうですね。ほうとう、吉田うどん、おつけだんご……炭水化物ばかりですね。まずは郷土料理から食べたいと思いまして」
「なるほどね。どうもありがとう」
僕は沙奈会長の隣の椅子に座る。
「それじゃ、玲人君も戻ってきたところで、いただきます!」
『いただきます!』
旅先のホテルでの夕ご飯なんて何年ぶりだろうか。同年代の人達だけで行く旅行も久しぶりなので、より非日常を味わっている気がして。それでも、
「……美味しい」
この一言に尽きるのだ。ホテルの夕ご飯だけあってとても美味しいんだけれど、沙奈会長達の嬉しそうな様子を見ると、美味しさがより増すように思える。
――誰かと一緒に食べた方がより美味しい。
昔は綺麗事だと信じていなかったその言葉も、今は少しだけ信じられそうな気がしたのであった。
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