第30話『ミッション』

 沙奈会長に温かいコーヒーを淹れてもらい、彼女の部屋に戻った。

 照明を点けた状態で改めて部屋の中を見てみると、整理整頓されていて、結構落ち着いた雰囲気だ。


「ここから見えるところに下着なんてないよ。ちなみに、下着はあのタンスの中に入っているの。一番上の引き出しだよ」

「……そんなものを見たいと思ったことは一度もないですよ」

「ふうん? ここまでやってきて、寝込んでいる私に突然キスをしてくるような人だからさ」

「あれは会長を助けるためにしたことですって。下心は全くありません」

「本当かなぁ?」


 ミッションを達成して元気になったことで、沙奈会長はすっかりと元通り。いつもの会長をまた見ることができて安心感もあるけれど、2度もキスをしたんだから、少しでも俺への態度が変わらないものなのか。


「じゃあ、私のベッドに入ってみる? さっきまで寝ていたから、温かいし私の匂いもたっぷりと感じられるよ」

「コーヒーの温かさと匂いで十分です」

「……私よりもコーヒーが好きなんだ」


 沙奈会長は不機嫌そうにしている。コーヒーと張り合ったところで何の意味もないでしょう……と言ったところで面倒くさいことになるだけだと思うので、何も言わないでおこう。うん、コーヒー美味しい。


「ところで、玲人君。私がミッションを課せられていることをいつ知ったの?」

「つい30分ほど前です。例の茶トラ猫を助けた公園でたまに会っているアリスさんから、沙奈会長が今日中に俺からキスをされないと死んでしまうと教えられたんです。なので、副会長さんに住所を教えてもらってここに来ました」

「なるほどね。樹里先輩とは年賀状のやり取りをしたから知っているか……」

「以前、会長と一緒に帰ったときにアリスさんの話をしたとき、会長はエリスという友達と勘違いしていたって言っていましたね。でも、本当はアリスさんのことを知っていたんじゃないですか?」

「うん。夢の中でアリス・ユメミールって名乗る女の子と出会ってね」

「会長は夢で会ったんですか……」

「うん、だから玲人君が公園で会ったって聞いたときは驚いちゃって。彼女と会うのも恐くてね。私と彼女が会ったところに玲人君が居合わせたら、玲人君を巻き込んじゃうかもしれないと思ったから……」


 だから、アリスさんとはいつか会えればいいって言っていたのか。

 ただ、これまでのことを思い返すと、アリスさんの方も沙奈会長と会うのを避けていたように思える。


「沙奈会長はアリスさんと夢で会ったと言っていましたけど、それはいつのことだったんですか?」

「最初に会ったのは10日くらい前のだったかな。玲人君に一目惚れをしてからだったよ。それに、彼女から『逢坂玲人君のことが好きなんですか』って声をかけられたの」


 アリスさんも沙奈会長にミッションを課した理由は、会長が俺に好意を抱いているからだって言っていたな。


「もちろん、玲人君に一目惚れして好きになったって答えたよ。そうしたら、アリスさんは私が玲人君の恋人になる人間として相応しいかどうか、いくつかテストをしたいって言ってきたの」

「そのテストがミッションを達成するということですか……」


 きっと、その時点でアリスさんは親友である琴葉が、俺のことを好きであると知っていたんだろう。

 しかし、さっきのアリスさんの様子からして、どうしても琴葉を俺の彼女にしたいように思えた。テストをさせるとは思えないけど、これができれば会長を俺の彼女になってもいいと条件を琴葉が出したのかな。そこは本人に訊かないとはっきりしないか。


「ミッションは映像と文字が一緒に表示されるの。1つ目のミッションが『4月16日の23時59分までに、逢坂玲人に抱きしめてもらうこと』だったんだ。玲人君に抱きしめられる映像も見たよ」


 こういう風にやってみろと例を示したのか。文字と映像でミッションを提示するとはアリスさんも律儀な方だ。

 部屋にかけられたカレンダーを見てみると、4月16日は先週の月曜日か。


「そういえば、先週の月曜日でしたよね。俺を生徒会室に呼び出して、ローブで縛り付けたのは。そのとき、会長は抱きしめてくれるって約束してくれるなら、ロープを解いてもいいって言っていましたね」

「……そうだよ。あのときは見事に玲人君に逃げられちゃったんだけどね。でも、ミッションを達成しないとペナルティがある。だから、家庭調査票を見せてもらって玲人君の家の住所を調べたの」

「俺の家の前まで来たときも、抱きしめてほしいって言っていましたね」

「うん。結局、抱きしめてもらえなかったけれど、額にキスされたのは嬉しかったから帰っちゃった」


 額にキスされたことは、ミッションを達成しないといけないという焦りが吹き飛んでしまうほどに嬉しかったのか。


「ただ、ミッションを達成できなかったから、そのペナルティに翌日から体調を崩しやすくなったの。玲人君にミッションについて伝えてもいいなら簡単だけど、このことは誰にも知られてはいけないって言われていたから。もし知られたときには、何らかのペナルティを科すって」

「だからこそ、ミッション達成の難易度は上がったんですね。そういえば、咳き込んだりした場面が何度もありましたね」

「うん。中には、今回みたいに期限が迫っていく中で具合が悪くなるミッションもあって。日曜日の朝に急に具合が悪くなったのもそのせい。もちろん、今朝、学校で倒れたのもミッションのせい。これまでに、私に課せられたミッションは4つあったから、どんなものだったかを書くね」


 すると、沙奈会長はスクールバッグから手帳とルーズリーフを取り出し、自分が課せられたミッションを書いていく。こういう姿を見ると、授業中もこんな感じなのかなと思う。



『1つ目:4月16日の23時59分までに、逢坂玲人から抱きしめてもらうこと』


『2つ目:4月19日の23時59分までに、逢坂玲人に生徒会に入ってもらうこと』


『3つ目:4月22日の23時59分までに、逢坂玲人に猫扱いされ可愛がられること』


『4つ目:4月25日の23時59分までに、逢坂玲人からキスしてもらうこと』



 これらが、今までにアリスさんから課せられた沙奈会長のミッションか。3日間隔なのはたまたまなのかな。それとも、3日くらいがミッションを達成できるかどうかのラインだったと考えたのか。

 あと、猫扱いされるっていうのは抽象的だ。よくミッションを達成できたなと思う。


「思い返せば、沙奈会長は俺に色々と強引なことをしてきましたけど、アリスさんからのミッションを果たすためだったんですね」

「そうだね。でも、ミッションとは関係なく、一緒に生徒会の仕事をしたいし、玲人君の家にお泊まりしたいし、キスしたいって思っていたよ」

「……そうですよね」


 ロープで縛られたり、勝手に家の前まで来られたり、佐藤先輩のことで執拗に質問されたりしたときはかなり恐かったな。あと、俺の家で泊まりに来ているときはとても楽しそうで、可愛いと思うこともあった。


「ミッションのおかげで辛いときもあったけれど、こうして自分の部屋で玲人君と一緒にいられて嬉しいよ」

「そう考えられるんですから、沙奈会長は強い人ですよね」

「そんなことないって。玲人君が視界に入っていないと寂しいし。今回のミッションだって、昨日はキスできないと言われて絶望感もあって。今日だって、まさか家に来てくれるとは思っていなかったから、死を受け入れる覚悟はできていたよ」

「沙奈会長なら、最後まで足掻くつもりなのかと思っていました」


 彼女のことだから、俺のことを道連れしそうなイメージがあった。


「僅かな望みに賭けて、一度くらい電話はしたかもね。ミッションを成功させたから、また今夜眠っているときに、アリスさんから次のミッションを伝えられるのかな。でも、玲人君にミッションについて知られたから今までとは違うかも……」


 これまでは俺が何も知らない状況の中で、沙奈会長は俺絡みのミッションを課せられてきた。

 しかし、俺がミッションの事情を知ったので、キスのミッションが最後になるのだろうか。それとも、別の形で何か提示されるのか。


「それよりも、ずっと不思議に思っていたけれど、アリスさんはどうして玲人君の名前を知っていたんだろうね。私みたいに、隠れて見ていたのかな」

「……それについては、俺の幼なじみである恩田琴葉が関わっています」

「お、恩田琴葉さん? その子って、この前の土曜日にお見舞いに行った……」


 さすがに、沙奈会長も琴葉の名前が出たことに驚いているようだ。


「でも、恩田さんは2年前から意識不明なんでしょう? もしかして、それより前に出会ったお友達とか?」

「いいえ、違います。信じられないかもしれませんが、アリスさんのいる異世界に……琴葉が存在しているようなんですよ。アリスさんにとっては唯一の親友みたいで」

「つまり、恩田さんの魂が異世界に転移して、そこでアリスさんと知り合ったってこと?」

「そうなりますね。そこで琴葉はアリスさんに色々なことを話したみたいです」


 今も琴葉はアリスさんの住む世界から、俺達の様子を見ているのだろうか。


「今の話を聞いていると、恩田さんは玲人君のことが好きらしいけれど」

「告白はされたことはないです。ただ、幼なじみなのもあって、一緒に過ごすことは多かったです。琴葉が甘えてくることもありました。きっと、沙奈会長のような気持ちを抱いていると思います」

「……そうなんだ」


 嫉妬深い沙奈会長も、琴葉の話には特に嫌悪感を抱いている様子はない。


「玲人君。そういえば、お見舞いに行ったとき、恩田さんが眠り続けているからか、玲人君が凄く寂しそうに見えたんだ。ある事件に巻き込まれたって言っていたけれど、そのときのことが気になって。もし、玲人君さえ良ければ私に話してくれるかな」

「……ストレートにぶつけてきますね」


 2年前のあの日を境に、琴葉と俺の人生はがらりと変わってしまった。

 最終的には俺が悪いのだと割り切り、時間をかけ、住む場所も変えて何とか今の生活を送ることができている。

 それでも、当時のこと思い出すと、胸がとても締め付けられる。


「ご、ごめんね、玲人君。辛かったら無理に話さなくても……」

「……いえ。アリスさんから琴葉の名前を聞いたとき、沙奈会長にはいずれ2年前のことについて話した方がいいと思いましたから」

「玲人君……」

「今から話す話を聞いて、俺のことを嫌いになってもかまいません。ただ、最後まで聞いてくれると嬉しいです」

「分かった。あと、玲人君のことが嫌いになることはきっとないよ」

「……ありがとうございます」


 沙奈会長の優しい笑みを見て、彼女なら全てを受け止めてくれるような気がした。

 とりあえず、この場では……静かに高校生活を送るために作った「俺」から、本来の「僕」に戻すことにしよう。


「沙奈会長。2年前、琴葉を意識不明にさせたのは僕なんです。そして、僕は殺人未遂の罪によって逮捕され、1年間、服役生活を送っていました」

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