第26話『Sign』
4月25日、水曜日。
昨日の夕方から広がった雲は今日になっても取れることはなかった。予報では一日中曇りで、所によってはにわか雨が降るらしい。折りたたみ傘を持っていこう。
「結構寒いな……」
もう少しでゴールデンウィークだっていうのに、まるで冬のような寒さだ。それでも、風があまりないだけまだマシか。
雨が降るかもしれないからなのか、いつもの公園で茶トラ猫と会うこともなかった。寂しいな。昨日の帰りにも会えなかったし。
いつもの通り、登校したらまずは生徒会室へと向かう。
「おはよう、逢坂君」
「おはようございます、副会長さん」
ただ、いつもとは違って生徒会室には副会長さんしかいなかった。
「普段なら沙奈会長も来ているのに。会長はお休みですかね」
「そういうことはないと思うけれど。昨日の夜に仕事がちゃんと終わったっていう連絡はもらったけど、休む話は聞いていないな。それに、本当に休むなら逢坂君の方にも連絡が行っているんじゃない?」
「等しかに。俺の方にも休むっていう連絡はないので、とりあえず待ちましょうか」
「そうだね」
俺は普段座っている椅子に座る。
今度は副会長さんと2人きりか。生徒会室で2人きりになるのは初めてだけれど、沙奈会長のときとは違って凄く安心感があるな。
「昨日は沙奈ちゃんから仕事を教えてもらったの?」
「はい。書類整理のやり方とか、提出する書類に生徒会承認のハンコを押したりして」
「ハンコかぁ。押すときって気持ちいいんだよね」
「それ、分かる気がします」
押した瞬間に快感が味わえるというか。ただ、あれは仕事を教えるためにやらせてもらえただけで、今後はきっと沙奈会長や副会長さんがやるんだと思う。
「そういえば、副会長さんは歯医者さんに行ったんですよね」
「うん。虫歯の治療でね。去年の終わり頃の定期検診ではなかったのに、今月になってから冷たいものが沁みるようになっちゃって」
「ああ……それは辛いですね」
「すぐに歯医者さんへ行ったら立派な虫歯だって言われたよ。今日は寒いけれど、これからは冷たいものが恋しくなっていくし、昨日の治療で終わって良かったわ」
「そうですね」
歯が痛かったら、美味しいものも美味しく感じられなくなっちゃうもんな。俺も甘いものが好きだから虫歯には気を付けないと。
「それにしても、沙奈ちゃん遅いね」
「会長から何の連絡もありませんけど、電話をかけてみましょうか?」
「まだ朝礼まで余裕はあるからいいよ。そうだね……あと10分くらい経っても来なかったら私がかけてみる」
「分かりました。寝坊したとかならいいですけど」
日曜日も具合が悪くなったので、また体調が悪化したとか? それとも、昨日の俺との話があったせいで、ここに来づらいっていうこともあり得そうだ。
「おはようございます。遅れてごめんなさい。今日になったらまた具合が悪くなっちゃって」
マスクを付けた沙奈会長が生徒会室にやってきた。具合が悪いと言うだけあってか、あまり顔色も良くないな。昨日、下校した頃から急に寒くなったから、そのせいで体調を崩してしまったのかも。
「おはようございます、沙奈会長。無理はしないでください」
「うん、ありがとうね」
「逢坂君の言うとおりだよ。それに、逢坂君を生徒会に入れようって話し始めた頃から、何度も体調を崩しているじゃない。逢坂君も庶務係になったことだし、ここは一度、ゆっくりと休むべきだっていうサインなんだと思うよ、沙奈ちゃん」
「……そうかもしれませんね。玲人君がいれば大丈夫だと思っているからこそ、急に体調を崩しやすくなったかもしれません。けほっ、けほっ」
普段よりも掠れた声で話したからか、沙奈会長は何度も咳をしている。今日の放課後は沙奈会長がいないかもしれないと思っていた方が良さそうだ。
「それじゃ、沙奈ちゃんも来たことだから、さっそく朝のミーティングを始めよっか。私も今日のやる予定の内容は把握してあるから、私が進行するね」
「ええ、お願いします」
「今日は校内の掲示物の確認とかの雑務がメインだよ。だから、放課後は私と逢坂君の2人でやるからね。分かった、逢坂君」
「分かりました」
副会長さんも同じことを考えていたか。沙奈会長はゆっくりと休んだ方がいいだろう。今も会長の呼吸は荒くなっていて、視線もあまり定まっていない。
「今日は私が仕事を教えていくね、逢坂君。だから、沙奈ちゃんは放課後になったらすぐに家に帰ること。もちろん、授業中でも辛くなったら、すぐに保健室に行って休んでね。これは先輩命令だよ」
「……そう言われちゃうと休むしかないですね。すみません、また体調を崩しちゃって。急に寒くなったからかな……」
「気にしないで。私だって突然、虫歯になったから歯医者さんに行って何度か生徒会の活動をお休みしたんだし。お互い様だよ」
「……そうですか。そうですよね。今日は雑務ですし、玲人君もいれ、ば……」
すると、沙奈会長は倒れてしまった。
「会長!」
「沙奈ちゃん!」
俺と副会長さんはすぐに沙奈会長のところに駆け寄る。
倒れ込んだ会長の顔は赤くなっていて、さっきよりも更に呼吸が乱れていた。
「沙奈ちゃん、凄い熱」
「きっと、無理してここまで来たんですね」
「そうだね。沙奈ちゃんは徒歩通学だし、今日はかなり寒いから学校に来るまでの間に体調が更に悪くなっちゃったんだと思う。逢坂君、沙奈ちゃんを保健室に連れて行くよ」
「はい!」
会長、あまり動けなさそうだ。彼女を背負うのは難しそうなので、
「沙奈会長、今から保健室に行きますからね」
そう言って、お姫様抱っこの形でゆっくりと沙奈会長のことを抱き上げた。高熱でぐったりしているからか、結構重く感じる。
「行こうか、逢坂君」
「はい」
俺達は保健室へと向かい始める。
登校してくる生徒の多い時間帯であり、生徒からの人気が絶大な沙奈会長が俺に抱き上げられていることもあってか、すれ違う生徒のほとんどがこちらを見てきた。
「……夢、なのかな。玲人君に抱っこしてもらえるなんて……」
ふふっ……と、沙奈会長は力なく笑った。
「夢じゃないですよ。今、保健室に向かっているんです」
「……そうなんだ。夢じゃないんだ。このまま玲人君に抱っこされながら、どこまでも遠くに行きたいな……」
「元気になったら、放課後とか休日にどこかへ遊びに行きましょう。そのためにも、まずは保健室に行くんです。保健室のベッドでゆっくりと横になりましょう」
俺がそう言うと、沙奈会長は何も言わずに頷いた。皮肉にも、今の彼女の笑みがとても可愛らしく思えて。
沙奈会長を保健室に連れて行き、とりあえずはベッドで寝かせて様子を見ることに。
ただ、熱がなかなか下がらなかったり、むしろ上がってしまったりした場合には親御さんに連絡し、迎えに来てもらうことになるとのこと。少しでも体調が良くなればいいけれど。
しかし、午前中の授業を受けているとき、教室の窓から沙奈会長と母親らしき女性が正門の方に向かって歩いて行く様子が見えた。
昼休みになって、松風先生が俺のところにやってきた。先生の話だと、沙奈会長は保健室のベッドで休んでも体調が良くなる気配がなかったので、病院に寄ってから家に帰ることにしたそうだ。
『世の中何が起こるか分からないし、明日になったら私……死んじゃうかもしれないよ』
昨日の放課後、生徒会室で沙奈会長が俺に言ったその言葉を急に思い出して、何度も頭の中で響き渡る。そして、寂しげな笑みが何度もよぎって。
「まさか、そんなこと……ないよな」
最近は体調が崩しがちだったし、昨日の夕方から急に寒くなったのでここまで具合が悪くなってしまったのだろう。
医者から処方された薬を飲んでゆっくりと寝れば、きっとまた元気な沙奈会長と会うことができる。そう信じるしかない。
ただ、そう言い聞かせたところで、信じられない気持ちに勝つことはできなくて。弁当もあまり食べずに午後の授業を受けるのであった。
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