第二十六章 elnasma to:vs(エルナスの都)

1 payu mende era ned.vo bamolum cuchav ci tsal.(もう問題ないわね。これで私たちはお互いに話し合いができる)

 一口にエルナスの都といっても、なにしろ人口が多いのでさまざまな場所がある。

 ただ、そのなかでもいま歩いているのがかなり柄の悪いところであることは、一目でわかった。

 周囲には木材と漆喰の高層住宅が立ち並んでいるが、いまにも狭い路地の両側から倒れかかってきそうなほどに傾いでいる。

 石畳により一応、舗装されているらしいところもあるが、あちこちで土がむきだしになり、汚らしい泥がたまっていた。

 他にも得体の知れぬ汚物が壁や小路のあちこちにへばりつき、蝿が大量に飛び交っている。

 子供や老人の死体が当たり前のように放置され、甘ったるいようなおぞましい死臭が立ち込めていた。

 他にもリアメスの都でかつて嗅いだことのある、独特の香、あるいは麻薬のように匂いも感じられる。

 このあたりは、俗にsxala:nresva:nkaと呼ばれているらしい。

 va:nkaというのは、地区、地域、区域など「分割されたもの」を意味する名詞だ。

 日本語に訳するならばシャラーン人地区、あるいは意訳してシャラーン人街、とでも呼ぶべきかもしれない。

 確かに住人のなかには、グルディア人のように褐色の肌をもつ、おそらくシャラーン人との混血らしい人々が、比較的、多く見受けられた。

 スファーナの説明によると、彼らはシャラーン人の水夫と娼婦の間に出来た子供、もしくはその子孫だという。

 当然のように、彼らは他のエルナスの人々からは差別をうけているようだ。

 ただ皮肉なことに、実はシャラーン人も、セルナーダ人のことを「野蛮な蛮族」として差別している、という話だった。

 彼らからみれば、肌が白い人間など不気味で、シャラーンの洗練された文化を理解できない連中なのだという。

 ただ、スファーナは途中、一度も「差別」という言葉は使わなかった。

 なにしろセルナーダ語には「差別に相当する単語がない」のだから、当然のことではあるが。

 辛い目にあっている、汚い人間と思われている、といった言葉でしか「差別」を表現できないのだ。

 さらにいえば差別が悪である、といった近代的思想もここにはない。

 いずれにせよここはスファーナにとって、エルナスで一番、落ち着ける場所なのだという。

 三百年の生を生きてきた彼女にとっては、相手の肌の色など、どうでもいいことなのだろう。

 周囲からさまざまな視線を感じるが、ここではスファーナは特別視されているようだ。

 建物に隠れた者たちの恐怖の感覚が、伝わってくる。

 つまり彼らはスファーナが何者かを理解している、ということだ。

 それにしても、と思った。

 スファーナはレクゼリアやティーミャへの敵意を隠そうともしない。

 その理由は、言うまでもないだろう。

 魅力的な異性にもてる、というのはどんな人間にとっても、ある意味では夢のような話だろう。

 だが、正直にいって、もうモルグズはこの状態にはうんざりしていた。

 もしそれが自分の人間的魅力や能力によるものだったら、話はまた別かもしれない。

 しかし単純に、この半アルグの体が持つ性フェロモンにより、みな惹きつけられているだけなのだ。

 ある意味ではこれほど虚しいもてかた、というのもないのではないだろうか。

 しかも、今は大事なところだというのに、一歩間違えれば、病の女神の尼僧と嵐の女神の尼僧、そしてリアメスの弟子である水魔術師が衝突しかねないのである。

 最近では、エィヘゥグすらも、どこか憐憫の混じった目でこちらを見てくるようになった。

 彼としても当初は憧れていたレクゼリアを奪われ、さらには彼女との行為を見せつけられて嫉妬や怒りなどをあらわにしていたが、今ではだいぶ心境が変化しているようだ。

 やがて、スファーナは地下へと続く階段を降り始めた。

 ずいぶんと暗いが、灯明皿や蝋燭が下の空間に置かれているらしく、淡いオレンジ色の光で照らされている。

 むっとするような人いきれとともに、穢れた空気を感じた。

 どうやら、ここはエクゾーン女神の寺院らしい。

 高さ四エフテ(約一・二メートル)ほどの、羊の頭を持つ女神の石像が、忌まわしい霊気を放散している。

 何人もの信者とおぼしきぼろ布をまとった壇上が、石像にむかって平伏していたが、スファーナがくるとすぐに道を開けた。

 さすがにここはまずいのではないか、とモルグズは不安になった。

 特にティーミャには、「馬鹿の罰」に対する耐性がまったくないのである。

 さらにいえばこの不浄な空間には、さらに多数の病原体が蔓延している可能性がある。

 レクゼリアやエィヘゥグも「馬鹿の罰」以外の病であれば、罹患するかもしれないのだ。

 こちらと入れ替わりのように、信者たちは階段を使って外に出ていった。


 payu mende era ned.vo bamolum cuchav ci tsal.(もう問題ないわね。これで私たちはお互いに話し合いができる)


 スファーナはシャラーン風の絨毯に腰を下ろした。

 ただ、レクゼリアたちはやはり、警戒しているようだ。


 vo hxadava re ja:mima maghxu:dille colnxe cu?(私たちはここで病の悪霊に憑かれないのか?)


 病に感染する、という言葉はたぶんセルナーダ語の語彙にはないのだろう。

 あくまでも病気は病の悪霊の仕業だと人々は考えているし、yuridbem、魔術宇宙的な観点からみればそれは別段、間違っていないのだ。

 改めてあたりを見たが、言われてみれば特に危険な病気の兆候らしきものはなかった。

 もしなにかがあれば、魔術の才能があるモルグズにも、病の悪霊という形でいろいろと見えていたはずである。

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