6 payu ers so:rol suyve suyna.(もう船がsuyna時間だ)

 レクゼリアの体が、離れていく。

 彼女はいま、モルグズの内部でなにが起きているか気づいたのだろう。

 駄目だ。

 ここで「奴」が出てくれば、みなを殺しかねない。

 さらにこの村人たちが貸してくれた家から外に出て、漁村の人々を惨殺しかねないのだ。

 意識を集中させ、自らを、より正確にいえばリューンヴァスを落ち着かせる。

 やがて、痛みは去った。

 もう二度と出てきて欲しくはないが、そう都合よくいくかどうか。

 レクゼリアがそそくさと衣服を身に着け始める。

 いきなり、彼女が口づけをしてきた。

 明らかに、ティーミャに見せつけているとしか思えない。

 一瞬、少女魔術師が浮かべた表情に、背筋が寒くなった。

 生娘でもあんな目をするのか。

 やはり半アルグという種族は、ある意味では呪われているのだろう。

 人間の女を狂わせてしまう。

 だが、それももうすぐ終わる。

 王都に、エルナスに行き、イシュリナス寺院の僧侶や騎士たちを出うる限り、殺す。

 彼らが神聖視していものをすべて穢し、破壊する。

 独善的な、偽善の神に復讐を果たせばすべてが終わる。

 もうちょっとだけ、我慢すればいいのだ。

 自らにそう言い聞かせる。

 死ぬのが怖い。

 死にたくない。

 あんなに苦しい目には会いたくない。

 また、自分のなかでそう叫ぶものがいる。

 確かに前回の「死」はとてつもない苦痛だった。

 しかしあれは、地球での経験である。

 この世界では、話は別かもしれない。

 騙されるな。

 死は、どこでも苦しいものだぞ。


 santu:r.(黙れ)


 ぎょっとしたように、レクゼリアが、エィヘゥグが、そしてティーミャがこちらを見た。

 彼らの顔に浮かんでいるのは、恐怖だ。

 なんで俺が怖がられねばならないのだろう。

 こんなのは理不尽だ。


 santu:r,magboga.(黙れ、怪物)


 わかっていた。

 ある意味では、スファーナの言っていたことは、間違っていなかったのだ。

 ようやく理解できた。

 どこまでも利己的な、自分の本音こそが、文字通りの怪物だったのだ。

 今更、なにを偉そうに。

 自分はあまりにも多くの罪を犯した。

 償いきれるはずもない。

 もう、それを認めた。

 死が怖いのは事実だ。

 それは生物としては当然のことだ。

 ヴァルサは半アルグとしての性フェロモンの犠牲者かもしれない。

 しかし、もしそうだとしても「だからなんだというのだ」。

 決してヴァルサを、貶めるつもりはない。

 原因はなぜか、理由など必要なのか。

 「誰かが誰かを好きになるのに、愛するのに、愛おしいと思うのに、理由まで突き止めてどうする」。

 そんなことは無意味だ。

 確かにあのとき、自分たちは本気で、大げさに言えば魂から愛し合っていた。

 もしそれも性フェロモンうんぬんで悩むなら、むしろヴァルサに対する侮辱だ。

 あとは、なるようにしかならない。

 エルナスで自分を待ち受けているのは、死か、あるいはそれすらも越えた苦痛かもしれない。

 だがそれも、イシュリナス寺院、そしてイシュリナスという神の偽善者面をひっぺがえせるのなら構いはしない。

 ナルハインの警告は、たぶん嘘ではない。

 そこに待ち構えているのは、こちらを打ちのめすようなものなのだろう。

 依然として恐怖はある。

 たぶん、それは永遠に克服できないものかもしれない。

 そもそも、この世界にはない仏教的な概念だが、こうなったのは因果応報としか言いようがない。

 神々の道具として使われたのも、そのために死ぬような目にあってきたのも、自らの責任だ。

 ただ、自己憐憫にひたるつもりもない。

 いままで何度も心が揺れ動いてきたが、それはむしろ人間なのだから当然だ。

 今、すべてを投げ捨てて逃げ出したいと思っている自分がいる。

 投げやりになっている自分もいる。

 思考を放棄したがっている自分もいる。

 すべて、この自分の一部だ。

 ようやく、それを受け入れられた。

 たぶんまた、エルナスに辿り着いても、くよくよ悩むだろう。

 それは否定しない。

 己が英雄でもなければ、なにもかも割り切った大悪党でもないことは、もうよくわかっていた。

 所詮は卑小な存在だが、それはただの事実であり、卑下しているわけではない。

 モルグズも衣服を身に着けた。

 これからは、嵐の海が待っている。

 生きるか、死ぬかはわからない。

 死ぬのは決して楽なことではない。

 だがそれに怯えるだけなのも、厭だ。

 いきなり、扉が開けられた。


 payu ers so:rol suyve suyna.(もう船がsuyna時間だ)


 syunaという動詞の意味はわからないが、まず間違いなく、出港する、あるいは航海するというような意味だろう。

 航海、というのも大げさな気がするのは日本語的な考えにとらわれているからだ。

 別の言語にはそれぞれの言い回し、語法があるのだとすでに学んでいた。


 ti:mxa.tenato ci jitszo gardov voz suypo cu?(ティーミャ。俺たちを水から守る術は使えるか)


 ya:ya.(はい)


 背中にノーヴァルデアの重みを感じ、安心する。

 最後の目的地への、旅が始まる。

 エルナスにたどり着くまでに、死ぬわけにはいかなかった。

 たとえそこで、なにが待ち構えていようとも。

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