4 ers magzuma so:ro.(災厄の星だ)
封建的世界では、領主は自らが臣従するものに対し武力を提供し、そのぶん、領地を安堵、つまりは保証してもらう。
この契約関係が封建社会を形成している。
しかし、今のイシュリナシアはすでにその段階を過ぎて、近代的な国民国家にかなり近づいているといってもいい。
かつて古代ローマで生み出された兵制は、帝国の崩壊以降、千年以上に渡り失われていた。
中世ヨーロッパの軍事は、基本的に封建制が基本で成り立っていたのだ。
しかしいまのイシュリナシアもグルディアも、どんどん中央集権国家に近づきつつある。
地球の歴史と簡単に比較はできないが、モルグズの目にはすでにセルナーダの地は近世に近いものに映っている。
そして、その最大の原因がなにかはすでに理解していた。
あの「正しい言葉」をメディルナ寺院が配布しはじめたのは、わずか百年ほど前だとスファーナから聞いている。
それは、イシュリナシアが現在の王朝に変わった時期、そしてグルードがグルディアを建国したときとも一致しているのだ。
イオマンテに対抗できる国が必要となったため、「正しい言葉」が作られたのではないか、というのがモルグズの推測だった。
いままで文字や書物は古代ネルサティア語のものばかりだったが、そこに実際に庶民に使われているセルナーダ語の書き言葉と文字が広まった。
文字による記録と数字の管理は、中央集権には絶対に欠かせない。
そもそも人類最古のシュメール文明の楔形文字の起源は倉庫の在庫管理記録と言われている。
文字がセルナーダの主に都市住民の間に広まることにより、書類の読み書きが一般の人々にも出来るようにもなった。
いままで大雑把だったさまざまな物資などの管理が細かくなり、文書で手紙を書いて命令なども伝達できるようになれば、しぜんと官僚的な役割の人間が増えてくる。
だからこの百年で、イシュリナシア、グルディアの中央集権制が劇的に高まったのだ。
おそらくそれまでは、そうしたものは貴族やネルサティア系の神々の僧侶、あるいは魔術師たちが行っていたのだろう。
さながら中世ヨーロッパでラテン語を使えた僧侶や上流階級の一部のように。
しかしセルナーダ語の書き言葉の普及により、社会全体の構造が変化した。
地球であれば活版印刷の登場に相当するものが、ユリディン寺院の「正しい言葉」とも言える。
ヨーロッパの国家の中央集権化が進んだのも、むろん活版印刷技術のおかげである。
さまざまな思想が文字に書かれ、印刷され、本となり次々に新たな考えが進歩していった。
しかしこの世界は「そこから先」はどうだろうな、とモルグズは考えていた。
人々はユリディン寺院の僧侶たちが写本の法力を使うことに慣れきっている。
すでに国民国家に近いものが出来上がりつつあるが、その先はまた魔術災害などが起きたりして文化程度は後退するのではないか。
かつてこの地にも立派な帝国があったらしいがそれも滅び、中世的世界にまで退行したセルナーダもまた新たな繁栄の時代を迎えているが……いずれまた、破綻して暗黒時代に戻るのではないか。
ひょっとすると、この世界そのものが幾度もその歴史を繰り返しているのではないか、とすら思う。
だが、いまはそんな思索に耽っている場合ではなかった。
例の王国軍や鬱陶しい騎士たちが動くことは、確かにありえる。
むろん、モルグズもそのことについて考えなかったわけではない。
自分の予測が正しければ、今度あらわれる騎士たちの数は、いままでとは比較にならない規模になる。
よくても数百、悪ければ一千を超える軍隊と戦うことになるだろう。
たった三人の相手をするだけでそれだけの人数を出すのは正気の沙汰ではない。
ただし、それは相手が普通の敵であれば、のことだ。
すでにモルギマグス、否、ノーヴァルデアという魔剣の危険さは、イシュリナシアという国家の屋台骨を揺るがしはじめているのだ。
実をいえばまだモルグスも「全力で」この魔剣を使ったことはない。
そんな必要もなかったからだ。
本来は、この魔剣は「闇魔術、中でも特に死の力を増大させるもの」だという。
もし「死の魔術」を使えば、どうなるのだろうか。
問題はそこである。
いまだに「モルグズは死の魔術印を習得していない」のだ。
ラクレィスに教わる前に彼は殺された。
おそらく彼は死の魔術印の形も発音も知っていたが、ついに教えてはくれなかった。
レーミスに聞いてみたが、やはり彼も知らないという。
嘘、ではないだろう。
知っているのに教えなければ殺す、と脅したときのレーミスの怯え方は本物だった。
これから、自分はノーヴァルデアとともに生きていかねばならない。
そのためにはどこかで、死の魔術印を習得し、その強大な魔力を魔剣で増幅させることにより、誰にも手出しの出来ない存在になる必要がある。
ベンキャスから北に行けば辺境を通り、やがてグルディアのリアメスに至る。
一方、このまま東に向かえば、そこは魔術師の王国、イオマンテである。
イシュリナシアが恐れているのはそれだ。
ノーヴァルデアを携えたモルグズがイオマンテの魔術師たちと手を結べばどうなるか。
もちろんイオマンテが自分を素直に歓迎してくれる、などとは思っていない。
それでも、感じるのだ。
ノーヴァルデアが、東へと、イオマンテへと向かいたがっていることを。
言葉ならざる言葉で、彼女は東に自分を連れていこうとしている。
ならばそこにはきっと、なにかがあるのだ。
むろんそれはゼムナリアの望みであるのかもしれないが、もうそんなことはどうでもよかった。
女神が自分を道具として扱おうが構わない。
とにかく、ノーヴァルデアさえいれば。
だが「誰か」が自分の心の奥の扉を内側から叩いている。
ぼんやりとしか顔を思いだせないが、金色の髪と緑の瞳を持つ少女が、現実を見つめろ、目を覚ませと叫んでいる。
不思議な話だ。
モルグズは「この娘が誰なのか、まったく見当もつかなかった」のだから。
そのとき夜空を一筋の流星が駆けていった。
ers magzuma so:ro.(災厄の星だ)
レーミスがつぶやいた。
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