第十六章 yuridin zersef(ユリディン寺院)

1 ...aa.lokyiv tarsefma sewruzo.(えっと、俺は酒場のsewrが好きなんだ)

 夜の街には、当然ながらそれなりの危険が伴う。

 それでも、モルグズは一人で宿屋を出て、メディルナの街路を歩いていた。

 あちこちで魔術照明が灯されているのは、都市部ではすでにお馴染みの光景である。

 イシュリナシア第二の人口十万を誇る都市だけあり、夜であってもなかなかに繁華街は賑やかだ。

 モルグズは南に輝く「ソロランサの三ツ星」と呼ばれる星の位置を確認しながら歩いていた。

 ソロランサはソラリスの息子であり、星々の神であるとされている。

 また星と同時に時間を司る神でもあるが、あくまでソラリスの添え物のような扱いで、あまり熱心には信仰されてはいないようだ。

 ソロランサの僧侶たちは高山などに住まい、そこで天体の観測を続けている。

 また暦をつくるのも彼らの重要な仕事だ。

 ソロランサは三つの目を持つ、と信じられている。

 それこそが、南の夜空に常に輝く「ソロランサの三ツ星」だという。

 この神の僧侶は額に青い目の入れ墨を施すらしい。

 ソロランサの三ツ星は、二つの赤い星と、一つの青い星で出来ているからだ。

 おそらくは赤いものは赤色巨星、青いのはもっと高温の若い星なのだろうが、いまはそんなことを考えていてもしょうがない。

 しかし、正体を隠すために仕方がないのだが、いつも口を布で巻きつけていないといけないというのは、かなり不利である。

 特に、今回のように情報収集を行う際には。

 やはりおとなしくスファーナに頼んでおけばよかったかとも思ったが、いつも彼女に頼るのもなんだか厭だった。

 我ながら妙な意地を張っているのはわかっている。

 噂話を聞くために最も良い場所は、酒場だ。

 地元の人々が集まるようなところが特にいい。

 そしてユリディン寺院の近くにあれば最高だ。

 ひょっとしたら、ユリディンの僧侶、あるいは魔術師たちが立ち寄るかもしれないからだ。

 これまたスファーナに教えてもらったことなのだが、ユリディン寺院と一口に言っても、実際は二つの集団に分かれているのだという。

 まずは、直接、ユリディンに仕える僧侶たちで、彼らは「知識僧」と呼ばれ、法力を使う。

 一方、「魔術僧」と呼ばれているのが、魔術師たちだ。

 ただこの魔術僧というのは、厳密には僧侶ではなく、ただの魔術師なのだという。

 そして、両者はさまざまな意味で対立しているというのだから、人間というのはどの世界でも似たようなものか、と思ってしまう。

 いずれにせよ、直接、ユリディン寺院の人々と接触し、どんな連中なのかをこの目で確かめたい。

 とはいえ、モルグズとしては簡単に酒場に入るわけにもいかないのである。

 酒場に足を踏み入れれば、当然、飲食物を注文しなければならない。

 そうでなければ、ひやかしとして追い出される。

 だが、モルグズは人前で酒を飲んだり、食事をしたりはできない。

 半アルグであることが露見するからだ。

 もっとも、それでも酒場に入る手はないこともないし、一応、考えはあるのだが。

 近づくに連れて、月影を浴びて白く輝くユリディン寺院の二つの塔がはっきりと見えてきたが、予想よりも、太く、巨大な建造物だった。

 もっと華奢に見えたのは、その高さのせいだ。

 実際の高層ビルも近寄ってみれば、案外、大きいのと同じ理屈である。

 ただ、当然のように周囲には高い城壁のようなもので囲まれていた。

 高さは実に四十エフテ(約十二メートル)を超えている。

 暗黒時代にも耐えたのだから、相当に頑丈な造りのうえ、おそらくは魔術的な攻撃にも耐えられるように出来ているのだろう。

 あまり、周囲をうろうろしていると不審がられる。

 やがて、モルグズは探していたものを見つけた。

 幾つかの酒場が軒を連ねている、ささやかな小路のようなものがある。

 モルグズはしばし悩んだが、覚悟を決めると一軒の店の扉を開いた。

 いままで賑やかだった店内が、にわかに静まり返る。

 それはそうだろうな、と思った。

 ある程度、予想はしていたが、ほとんどの客は胸に五芒星が縫い取られた長衣をまとっていたのである。

 しかも、その色は黒い。

 よりにもよって、闇魔術師だらけの酒場に入り込んでしまったようだ。


 o+dol,yatmite tarsefzo cu?(お客さん、店を間違えたかい?)


 出っ歯が目立つ鼠みたいな小男が、歪んだ笑みを浮かべながら言った。


 eto ned.lokyiv tarsefma...(いや。俺は酒場の……)


 雰囲気が好きなんだ、と言いたかったのだが、セルナーダ語でなんというのかわからなかった。

 陰嚢が縮みあがったような気がする。

 魔術師が人々に恐れられる理由を、あるいは初めて実感したかもしれない。

 なにしろここにいるのは、みな恐るべき闇魔術師の使い手ばかりなのだ。

 年齢、性別はさまざまだが、ほぼ全員が闇魔術師という場所で一斉に凝視されると、それだけで心臓が一拍、うち損なう気がする。

 背筋が氷の柱になったようだ。


 ...aa.lokyiv tarsefma sewruzo.(えっと、俺は酒場のsewrが好きなんだ)


 sewrは名詞であり、風の他に、空気、大気なども意味する。

 そのなかにはあるいは、雰囲気というニュアンスも含まれているかもしれない。

 しばし闇魔術師たちはしんとしていたが、やがてあちこちから低い、笑い声が聞こえてきた。

 最初は警戒したが、決して悪い雰囲気ではない。

 むしろ、こちらの存在を面白がっているような感じがする。

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