10 reys ers reys.(人間は人間だ)

 彼らは治癒の魔術も与えられず、食われ、そして死んでいった。

 いつしかスファーナは他の家畜たちからも憎まれるようになったという。

 理不尽、というレベルではない。

 それでもスファーナは、生き延びた。

 そうしたことが何年も続いた挙句、ついにウェルゴスの僧侶にして魔術師も、ゼムナリアの僧侶に殺されたという。

 スファーナは、逃げた。

 それから彼女の恐怖の日々が始まった。

 ある意味では、スファーナは死からだけは免れていた。

 ウェルゴスの僧侶に守られていたからだ。

 だが、それからは誰も彼女の死を妨げることはない。

 いつ死んでもおかしくない。

 そんな当たり前のことを、スファーナは恐れるようになったが、死を恐れるのは人の、生物の本能である。

 負傷は癒せる。

 だが病気はそうはいかない。

 そしてスファーナは、エグゾーンの尼僧となった。

 すでにグラワール湖岸はシャラーン人に征服されており、エグゾーン信者も増えていたのだという。

 つまり、エグゾーンももとを正せばシャラーンの女神なのだ。

 とはいえ、エクゾーンは他のセルナーダの病の神々と、習合したらしい。

 習合とは、別の神々が同様の存在として融合し、信仰されることだ。

 そのあたりの感覚は、元日本人だったモルグスにはよく理解できた。

 たとえば大黒天は、もとはマハーカーラと呼ばれ、インドでいえば破壊の神のシヴァ神の異名である。

 それが日本のオオクニヌシを漢字表記にした大国と呼び名が同じなので、いつのまにか同じ神として扱われるようになった。

 ただ、セルナーダの地では実際に神々の法力が存在するという点が、地球とは違う。

 スファーナの話は興味深かった。


 jenma selna:dares dusonvas ma:suzo sxevezo.mig uldum reysi zemgo sxevema ja:bitse.(いまのセルナーダ人は羊を食べることを嫌う。とても昔に、人々が羊の病で死んだから)


 わりと素朴に、疑問に思っていたのだ。

 セルナーダでは羊毛は使われているのに、なぜか羊肉を食べるという習慣がない。

 ただ、一部の地域では今も羊も食べるという話だが。

 それから彼女の語る話を聞いているうちに、確信した。

 スファーナが、例のウェルゴスの僧侶にして魔術師に「老いない」という力を与えられたことは、もはや間違いない。

 こんな話を他の「まともなセルナーダの地の人々」にきかせても誰も信じないだろう、とはわかっている。

 モルグズもスファーナに腹をわって、いままでのすべてを洗いざらい、話しすことにした。

 途中、幾度か言い回しのおかしな箇所、また火炎形と大地形の活用の違いを指摘されたが、それもたぶん彼女なりの気遣いだったのかもしれない。

 モルグズにとってつらいところを告げるときに限ってその量は増えたからだ。

 ある意味では、スファーナに比べれば自分の背負っているものなど、大したことはないのかもしれない。

 彼女は何十回も自らの手足を切断され、ウェルゴスの僧侶にして魔術師に、食われたのである。

 そんな経験をしていれば、肉が食えなくなるのも当然だった。

 この世界が悪夢のようだ、とはもう、思わない。

 たぶん、地球でも似たような魔術が実在していれば、人は同じことをしていたように思えるからだ。

 ナチスのユダヤ人に対する人体実験とホロコースト。

 カンボジアでおきた原始共産主義を理想とするクメール・ルージュの大虐殺。

 旧ソ連で起きた粛清や、中国での文化大革命という名の嵐。

 アメリカにおける人種差別と、ヒステリックな赤狩り。

 いわゆる政治の左右をとわず、地球のホモ・サピエンスもいくらでも残酷なことをしてきたのだ。

 中世ヨーロッパにおける魔女狩り。

 中華文明圏で発達した、異常ともいえる拷問と食人文化。

 ヨーロッパ人による大航海時代の他民族への大量殺戮。

 もちろん日本人も、あまりにも多くの忌まわしい罪を、特に近代以降は積み重ねている。

 地球のホモ・サピエンスもこの世界の「人間」も、大差ないのだ。

 そうした事例を告げると、スファーナは驚いていた。

 もちろんさまざまな差異はあるが、こと人間の残虐性となると、どちらの世界も大差ないからだろう。


 reys ers reys.(人間は人間だ)


 スファーナが言った。

 至言かもしれない。

 誰もが愚かしく、哀しい。

 だがそれだけだとは思いたくない。

 前世で罪を重ね、この世界に転生しても大量の人々を殺した自分でも、あるいはだからこそ、というべきだろうか。


 gow va lakava morguzuzo.va lakava tsal morguzucho.(だが私はモルグズを愛する。私はモルグズと愛し合いたい)


 いまはもう、ノーヴァルデアの言葉にもスファーナは文句を言わなかった。

 彼女もようやく、二人の関係性を理解してくれたようだ。

 あれだけのことをしておいて、ノーヴァルデアに女として幸せになってほしいと思うのはエゴ、我欲なのだろうか。

 ただ、それをスファーナに聞くのが正しいとも思えなかった。

 彼女は三百年以上も生きており、それだけの人生経験を重ねているから物事の真理に近づいている、と考えるのは間違いだ。

 むしろ三百年以上の人生経験は彼女本来の人格を破壊し、場合によっては冷静な判断力を損なっていることもありうるからだ。

 長生きをすれば賢明になる、というのは儒教的な文化圏の人間にありがちな間違いかもしれない。

 ただ、一つだけ、スファーナの言葉でうなずける部分はあった。


 jenjar sxav alnureysucho!(今夜は私はみんなと寝るっ!)


 やはり、スファーナは最高だ。

 彼女の胸をさりげなく揉みしだき、それからは勢いにまかせてなんとかなるだろうと思ったのに寝台の下に蹴り落とされるまでは、モルグズもそう思っていた。

 だが、現実はやはり残酷らしい。

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