11 la:ka era e+kefe.la:ka era ci+tso.(愛は素晴らしい。愛は痛みだ)
ノーヴァルデアの体は背負っていても、驚くほどに軽い。
だがその愛情は重い、などという言葉では済まされない可能性がある。
彼女にとって「愛する」ということは「相手に苦痛を与えること」や「相手をその苦痛から死によって解放すること」を意味するのだから。
笑い事ではなく、ゼムナリアの法力で殺されてもおかしくはないのだ。
ただ、恐ろしいことにアースラがこちらをからかうのは「その可能性も想定している」ということだ。
改めて、この一行はまともではないだと思い知らされる。
臨時的な魔術の師匠であり、忌むべき闇魔術をためらわずに使うラクレィスが、一番の常識人というのだから、頭が痛い。
とはいえ、なんとなくノーヴァルデアを無下に扱うのもどうかと思う。
彼女の過去を知っているからだ。
あるいは、彼女は本来、父親から与えられるべき無償の愛を自分にもとめているのではないか、という気もする。
それはヴァルサからも時折、感じたことだ。
二人とも、本当の意味での父親の愛を知らないのである。
前世で殺人鬼だった男が、父親ごっこなど、笑い話にもならない。
今でも当然ながら、頻繁にヴァルサのことを想い出す。
そのたびに、ネス伯やイシュリナス寺院、そして「ごく普通の生活を送っている人々」に対する怒りと憎悪が沸き起こってくる。
いまだにラクレィスは死の魔術印を教えてくれないので、その発音だけでも想像することがある。
例の言語学の再構の方法で、なんとかたどり着けないものだろうか。
いまのセルナーダ語の死はzemnoだ。
zamuno,zamunaあたりはありそうだが、どこかで長母音を使っている可能性もある。
魔術印の発音には長母音が多い。
ただもし発音がわかっても、印がわからなければ意味がないので、やはり気長にラクレィスが教えてくれるのを待つしかないのだろう。
それにしても、単調な旅だ。
あれから魔獣やアルグたちの襲撃がないのは幸運に恵まれているのだろうが、いつまでたってもこの森を歩き続けるという悪夢に最近、見るほどだ。
すでに出立してから、十日近いはずだが時間の感覚もだんだんおかしくなっている。
ただ、幸いなことに食料には困らなかった。
この森には独自の生態系が存在しているが、魔獣が集中している魔獣溜まりの他の場所は、かなり豊かな自然が残っていたのだ。
獲物には困らなかった。
魔術の攻撃呪文により、大型の鹿らしき草食獣を仕留めることが出来たからだ。
ただ、それでもみなに厳禁されていることは幾つもあった。
まず、火の始末は必ずしておくこと。
次に、いたずらに野生動物を狩りすぎないこと。
クーファーの尼僧であるアースラさえ、火の始末だけはきちんとした。
理由はわかっている。
森と泉を司る女神、ウェルシオンミリスの神罰を恐れているのだ。
邪神に使える尼僧たちですら他の神々の領域は、安易に犯してはならないという規律のようなものが、神罰のおかげで出来上がっている。
ただそれならば、たとえばイシュリナス神がゼムナリア信者に立て続けに神罰を与えても良さそうなものだがとモルグスが質問すると、アースラが笑った。
zerosi dusonvas ongos to:g reysuzo zerosile.gow wel ta gurp qajowa qi kul welsionmilistse.(神々は自分たちに頼りすぎる者を嫌うんだよ。でも森とけぇものはウェルシオンミリスだけがたしゅけられる)
なるほど、言われてみればそのとおりだ。
一応、森の女神に使える女性たちもいるようだが、森林破壊の一番の被害者は木々と動物なのである。
そのおかげで風が吹けば桶屋が儲かるではないが、木材資源が豊富なのにこのセルナーダではコークスが燃料として使用されている。
現代日本風にいえば環境保護団体がとてつもない権力を握っているようなものだろうか。
それでこの地の自然が保たれているのだから、決して女神も間違っているとはいえないのかもしれない。
贅沢なもので、鹿の炙り肉を毎日のように食べていると、あの硬いパンや豆のスープ、麦粥などが懐かしくなってきた。
ただノーヴァルデアの変化に連れて、だんだんとガスティスの様子もおかしくなっているのが、やや気がかりだ。
ガスティスはときおり、不快そうな目でこちらを見ていることがある。
彼がゼムナリア信者たちのなかで、どのような立場なのかもいまだによくわかっていない。
ただ、仕留めた鹿の血抜きや解体を手際よく済ませ、香草やわずかなショス、塩などを使って見事な料理にするあたり、かつてはそれなりにまっとうな生活をしていた、という感じがする。
ある夜、試しに愛してみようかと言いながら短剣でこちらを向け、指先をつついてきたノーヴァルデアをなんとか寝かしつけると、珍しくガスティスが話しかけてきた。
wam no:lma tansa kotsowa da cu?(なぜ虚無の娘は変わりだしたのだろう?)
虚無の娘というのは、ノーヴァルデアのことだろう。
ガスティスはときおり、その名で彼女を呼ぶことがある。
sxulv fog miznutzo.(俺が理由を知りたい)
morguz,yas tigazo.cemsoto reysizo.wam ers?(モルグズ、あんたには力がある。あんたは人を変える。なぜだ?)
なんと答えていいかわからなかった。
zertoto ned zemnariazo.zertoto no:lzo.(俺はゼムナリアを信仰していない。虚無を信仰している)
ガスティスの虚無とが死の女神とどう違うのかが理解できなかった。
no:l wob era cu?(虚無ってなんだ)
no:l era ya: ned fen.(虚無はないことだ)
今度は禅問答か、と思った。
fuln no:valdea era cedc no:l.now cemsowa da.(前のノーヴァルデアは虚無みたいだった。でも彼女は変わりだしている)
つまり彼は、元の虚ろなノーヴァルデアを求めているのだろう。
モルグズは言った。
sxalto ubodozo?(ウボドを知っているか?)
sxulv li.ubodo kalfos foy tuz no:lle?(知っている。ウボドは俺を虚無に導くだろうか?)
ゼムナリアよりも、ウボド信者になるほうがガスティスには向いている気がした。
いろいろな信者がゼムナリアにはいるらしいが、ガスティスの言う虚無の概念は、むしろあらゆる感情を失うことを教義とするウボドにこそふさわしい気がしたからだ。
alov.(ありがとう)
なにを吹っ切ったような顔をすると、ガスティスはこちらに感謝した。
mende era ned.(問題ない)
そう告げると、モルグズはぼんやりと思った。
なあ、ヴァルサ、俺はあれからなんだかお前とずいぶん離れちまった気がする。
明日あたりにこの森を抜けて辺境に入るらしい。
お前と二人で目指した、あの辺境だよ。
それで北に何日か行けば、俺は妙な連中と一緒にグルディアに入る。
お前の嫌いなあのグルディアだ。
瞼を閉じると、いつものようにヴァルサは哀しげな顔をしていた。
なんで笑ってくれないんだ?
俺のしていることは間違っているのか?
でも、ならば俺はどうすればいいんだ?
いっそ、このままお前を追って死ね、とでもいうのか。
するとヴァルサはゆっくりと、だがはっきりと拒絶の意味をこめて首を左右にふる。
どうしていいか、わからない。
ふと、誰かが毛布のなかに滑り込んできた。
まるで子猫のようだが誰かはわかっている。
la:ka yelna ned.(愛はいらないぞ)
するとノーヴァルデアは、不機嫌そうに眉をしかめた。
la:ka era e+kefe.la:ka era ci+tso.(愛は素晴らしい。愛は痛みだ)
そう言うと、いきなりノーヴァルデアはモルグスの頬を指でつねった。
ers ned la:ka.(こんなのは愛じゃない)
そもそも、彼女は自らが抱えている決定的な矛盾に、気づいているのだろうか。
生は苦痛だ、とノーヴァルデアはかつては言っていた。
「だからこそ彼女は愛する父を苦痛から解放するために殺した」のだ。
愛が苦痛であれば、むしろもっと苦痛を与えればいいのに、そこから彼女は父親を死によって解き放った。
ふと、ある厭な考えが脳裏をよぎった。
あるいは、ノーヴァルデアの父親である先代のネス伯は、彼女に「自分を殺してくれ」と頼んでいたのではないだろうか。
彼女はそこで矛盾に行き当たった。
愛する父を殺すことは苦痛からの解放を意味する。
だが、彼女はその父によって拷問のような虐待をうけているのだ。
この完全に相反する矛盾は「自分は痛みで愛されている。しかし父は苦痛に耐えられないので愛するから殺す」という、はたから見れば異様として言いようがない行為となったのかもしれない。
なんだかややこしくて自分でもわけがわからなくってきたが、とにかくノーヴァルデアの体は温かった。
ごめんな、ヴァルサとなぜか彼女に謝りながら、少女の体をそっと抱きしめた。
翌朝になって、ガスティスがいなくなっていることに気づいた。
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