9 zemdaria era ned.zemnaria era se+gxon. (ゼムダリアではない。ゼムナリアが正しい)

 その女は、突然、やってきた。


 yoy,zemdariaresi!(やあ、ゼムダリア信者のみなさんっ)


 ただ一人、驚かなかったのはノーヴァルデアだけだ。


 to eto vam zerosa yujuga val cu?(女神が私に告げたのはあなたか?)


 era poy!(きゃもね)


 なんだか、言葉遣いがおかしい。

 彼女は見事な赤銅色の肌をしていた。

 唇はいささか官能的なほどにぽってりと厚く、目も大きい。

 顔立ちは整っており、人目をひくかなりの美人といってもいいだろう。

 炎のように赤い髪を後ろにかなり長く垂らしているが、その服装は明らかに野外活動を意識したものだ。

 それでも胸と尻のふくらみについ目がいってしまうのは、哀しい男のさがである。

 とはいえ、ラクレィスはむろんのこと、ガスティスも特にそこを気にした様子はなかったが。

 ただ、モルグズとしては彼女の言葉も気にかかる。


 ba erab qu:fa:resa.


 最初、彼女がそう言ったときは、よく意味がわからなかった。

 baという単語が理解できなかったのだ。

 それとqu:fa:も意味不明だ。

 kwという二重子音が単語の始めに含まれている。

 二重子音とは、その名の通り、二つの子音が重なっているということだ。

 まずkを、それになめらかにつなげてwを発音するとこの音になる。

 英語のquestionがこの音で始まる。

 セルナーダにもわりと-ms,-vs,-jsといった似たような音はあるが、語頭につくのは初めて聞いた。

 yurfaの音韻規則には、語頭には二つの子音は重ならない、というものがあるといままでは理解していた。

 つまりあらゆる単語が、単語の頭が子音の場合、次は必ず母音になっていたのだ。

 ts,chというものもあるが、これは二重音字といって、二重子音とは別物である。

 tsは日本語のツの無声音、chはチの無声音であり、一つの音を二文字で表している。

 たとえばtsaであれば日本語で無理やり、表現するならツァ、という音に近い。

 どんな言語にも音韻にはルールが存在する

 セルナーダ語では語頭に子音は二つ並ばない、というのはこのルールに相当する。

 他にもセルナーダ語には「子音は三つ以上、連続しない」という決まりがある。

 三つになりそうなときは、必ず間にuの母音を挟んで回避している。

 だが、当然ながら人々はいちいち、そんなことを考えて会話をしているわけではない。

 無意識のうちに、昔から伝わってきた発声を守っているに過ぎないのだ。

 なぜこんなルールが出来上がったのかは、それこそ言語学者にでも聞いてみるしかない。

 ただ、この赤毛の女は、その言葉の決まりを破った発音をしているのだ。

 それがなぜかは、なんとなく想像がついた。


 tom gurudia idekt era za:ce.(あなたのグルディテidektはひどい)


 いつものように淡々とノーヴァルデアは言った。

 idektは、訛りを意味する。

 だが、相手の女は特に気にした様子もなかった。


 ideqt? era poy.gow qod ers gurudiama yurfa.(訛りぃ? きゃもね。でもきょれがグルディアの言葉だよ)


 どうもkがkwになっているようだった。

 さらにcは標準的なセルナーダ語ではkの口蓋化音なのだが、やはりkwに置き換わっている。

 ついでにvはb、fはpに変わっていた。

 ただ、fは場所によりときおりそのまま残っている。

 方言というのは、ときおり標準的な言語のルールを破る。

 そもそも、考え方によっては他のセルナーダ語とグルディア訛りの言葉は「別の言語」として見なすことも可能なのだ。

 どこまでが一つの言語なのかは、あくまで恣意的にしか決められない。

 以前、ヴァルサは「グルディア人は汚れた言葉を話す」と言っていたが、つまりはこのことだったのだろう。

 グルディア人には、北方の異民族の血が混じっている。

 となれば、その民族の言葉に影響をうけないほうが、むしろ不自然だ。

 音韻の変化だけならまだ可愛いほうで、まったく未知の単語や用法が出現する可能性がある。

 だが言語に関する考察は、とりあえずあとで考えればいいことだ。

 問題は、qu:fa:という謎の単語だった。

 彼女はqu:fa:resaと言っていたので、qu:fa:人、あるいはqu:fa:信者と考えるべきだろう。


 zemdariares a:mofe zemges reysuzo asrotse.erab doban qu:fa:resa teg.(ゼムダリア信者がたくさんの人を炎で殺した。私はqu:fa:信者なのでdoban)


 グルディア訛りは、とんでもないことになっている、と改めて思った。

 nの一部がdになってしまっているのだ。

 もともと鼻音のnがdになるのは、非鼻音化と呼ばれ珍しいことではない。

 同じ鼻音であるmはそのまま残っているようだが、理由はさっぱりわからなかった。

 さらにいえば、dobanという単語では、nのまま残っているが、これはアクセントも関係している可能性がある。

 セルナーダ語では、普通は後ろから二番目の音節にアクセントがつき、強めに発音する。

 dobanの場合はdoがそれにあたる。

 しかし次の音節にはアクセントは置かれていない。

 それが音韻変化に影響していることは十分に考えられた。

 そこまで考え、ようやくさきほどの言葉の意味が理解できた。

 dobanのもとは、dovanだ。

 悔しい、という意味の形容詞である。


 zemdaria era ned.zemnaria era se+gxon.

(ゼムダリアではない。ゼムナリアが正しい)


 わずかにノーヴァルデアの顔がしかめられていた。

 さすがに自分が信仰する神の名前が正しく発音されないと、苛立つのだろう。

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