6 kilno:r,morguz.(戦え、モルグズ)
一応は命の恩人とも言えるのだが、彼女は「女神に命じられたから助けた」としか言わない。
そもそもいまだに三人のゼムナリア信者たちの関係性もよくわかっていないのだ。
ノーヴァルデア以外は、みな過去もわからないが、なんとなく聞いてはいけない、という気もする。
そのとき、がさりと木々の奥からなにかが近づいてくるような物音が聞こえてきた。
ただの獣かとも思ったが、首筋の裏側がちりちりするような、厭な感じがする。
yuridgurf era,(魔獣だ)
ラクレィスが言った。
全く臆した様子もない。
va wonva ned aln metsfigzo.(私はなにもしない)
ノーヴァルディアが淡々と告げた。
kilno:r,morguz.(戦え、モルグズ)
正気か、と思った。
相手がまだどんな魔獣かもわからないというのに、自分一人に戦わせるつもりのようだ。
あるいは、こちらを試すのか。
冗談ではなかった。
まだあれから一人も人間を殺していないというのに。
こんな森の奥で、得体の知れぬ化物に殺されるなど、冗談にもならない。
gow no:valdea.yem morguz...(だが、ノーヴァルデア、まだモルグズは……)
ラクレィスの言葉をノーヴァルデアが遮った。
to seloto zun val.(あなたは私に命令してはならない)
動詞のあとにzunというものがつくと、それは禁止することを意味する。
これでやはり、とりあえず三人の一番、上にいるのはゼムナリアの尼僧であるノーヴァルデアだということははっきりした。
とりあえず、長剣を鞘から引き抜く。
いまは鎧をまとってはいないが、魔獣は剣だけで倒せるような相手なのだろうか。
人間は、あまりにも弱い生き物である。
たとえば、もし相手が魔獣ではなく飢えた熊一匹だけだとしても、剣だけで相手をするのはかなり厳しい。
ゲームのなかではいざしらず、現実の大型獣はその体格と重量そのものが圧倒的な武器になるからだ。
運動エネルギーが重量と質量で求められることを考えれば、自明のことだ。
心臓の鼓動が高なってくる。
重い、金属がこすれるような音が聞こえた気がした。
魔獣がいるはずの方向から。
しかし、獣の類が金属を使うとは思えない。
あるいは人間なのだろうか。
じゃらじゃらと、無数の金属が鳴る音が木立の奥から聞こえてくる。
u:limbalwos ers.
闇魔術師の声を聞いて、balwosという単語を「正しい言葉」で見たことを思い出した。
熊のことだ。
偶然にも熊という想像はあたったようだが、相手は魔獣なのだから、ただの熊ではないのだろう。
暗がりからあらわれた巨大な影が、遥か頭上からの陽光を照り返す。
その全身は、銀色のさざなみのようなもので覆われていた。
一瞬、なにかわからなかったが、それを理解するにつれて背筋に電流のように悪寒が駆け上っていく。
あれは、鱗だ。
どこの世界に鱗を生やした熊がいるんだと叫びたくなったが、この世界にはいるようだ。
しかもただの鱗ではない。
独特の光沢とあの音からして、鉄などの金属で鱗が出来ているとしか思えない。
u:limというのは、鱗という意味かもしれなかった。
つまりは、鱗熊だ。
この剣ではたぶん、勝てない。
もともと熊そのものが、わりと分厚い脂肪と筋肉の天然の鎧を持っているのだ。
さらにその上にこんな奇怪な鎧をまとっているのであれば、まず切断することは不可能だ。
となれば、突くしかないが、鱗の構造がどうなっているかわからないので、その隙間を狙えるかどうか。
ノーヴァルデアたちの支援は期待できない。
命懸けで、自分ひとりでなんとかするしかないのだ。
とはいえ剣一本でなにができるというのか。
その瞬間、鱗熊が体勢を低くすると、しっかりとこちらを凝視した。
こいつは最初から、自分のことを食らうつもりなのだとモルグスは確信した。
黄色っぽい目には、殺意と飢え、そして凶暴な破壊衝動が宿っている。
目があった瞬間、とっさにモルグズは左手の指を使って、さきほどラクレィスが詠唱のとき空に記していた呪文の印を素早く描きながら叫んだ。
mo:gu vi:do!
自らのなかの黒々とした闇を、魔獣に叩きつけるような姿をイメージしながら。
ふいに鱗熊の頭のあたりに、闇の球体が生じた。
さすがに、鱗熊も慌てているようだ。
いきなり視界を奪われれば、当然ではある。
素早くモルグズは傍らの木立へと回り込んだ。
腹に響くような重々しい、けだものの咆哮があたりの木々の枝葉を鳴動させる。
気がつくと、黒っぽいごつごつとした樹皮の木に体がぶつかりそうになっていた。
クロマツのような木だ。
針葉樹もこのあたりには生えているらしい。
だとすれば、「アレ」もあるはずだ。
無意識のうちにそう考えているうちに、すぐに鱗熊が闇の空間から脱出した。
頭を巡らし、こちらへと怒り狂った目を向けてくる。
その間に、木々の間の大地に落ちている小さな松ぼっくりをモルグスは見つけていた。
再び左指で印を描きながら、呪文を詠唱する。
asula vi:do!
途端に、松ぼっくりが鮮やかなオレンジ色の炎を発した。
ぱん、という乾いた音とともに爆ぜていく。
ちょうど、その炎が鱗熊の目の前で小さく爆発したようにも見える。
松ぼっくりはもともと大量の油を含んでいるのだ。
怒り狂って大きく口を開けた鱗熊の口腔内へと、モルグズは渾身を力を込めて長剣の切っ先を貫き通した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます