3 wam samuto li cu?(なんで泣いているの?)
夕食が運ばれてきた。
どうやらヴァルサは相当に奮発したらしい。
まず、パンからして違う。
いままでの無発酵の黒パンとは違う、ふわふわとした発酵させた白いパンだ。
さすがに焼きたてというわけにはいかなかったが、他にも豪勢な料理が次々に運ばれてきた。
なにかの肉の腸詰めに、辛子を添えたもの。
鶏のような鳥の腿肉は、うまそうに炙られていた。
皮はぱりぱりで、ショスというあの発酵調味料を塗りつけられている。
さらにはさまざまな種類のチーズもあった。
加えて、明らかに酒と思しきものまで用意されている。
陶器らしいものに入れられているのは、たぶん葡萄酒だろう。
さらには麦酒とらしいものと、取っ手つきのマグまで揃っている。
腹が空腹でぎゅるぎゅると鳴った。
ers vanuman.(おいしいよ)
しかしいままでの粗食に慣れたモルグズには、正直に言って贅沢すぎるようにも思えた。
ers to:g ka:lofan.(贅沢すぎる)
ka:lofanは、豪華、贅沢を意味し、to:gは「すぎる」という後置詞めいたものだ。
gow ava a:mofe malzo.(でも私は多くのお金を持っているよ)
不満げにヴァルサが言った。
せっかくの食事を気まずい雰囲気にはしたくなかったので、ため息をつくとモルグズは布を顔から外した。
ナイフはあるが、フォークはない。
やはりこの世界では、食事は手づかみというのが一般的なようだ。
神々への感謝の言葉も忘れ、とりあえず鶏の太ももを炙ったようなものにかじりついた。
美味い。
皮のぱりっとした食感に加え、肉汁が口のなかに流れ込んでくる。
さらに味わいを深めているのが、発酵調味料の存在だ。
肉体的に疲労しているせいか、塩気も頭がおかしくなるほどに旨く思えた。
豪快に肉を骨になるまで、あっという間に食べ終えた。
ヴァルサが緑の目を丸くしている。
vanuman cu?(おいしい?)
melrus ers!(当然だ!)
心底、嬉しそうに少女が笑った。
考えてみれば、地球で暮らしていた頃は、こんなふうに誰かと食事をして喜びを覚える、といったことはなかったのだ。
いつも他人の表情を観察し、それを模倣していた。
まったく感情がないわけではないが、やはり精神的、というより脳の機能が人とは違っていたのだろう。
しかし、この肉体は違う。
怒りや憎しみ、喜びといった感情もわかるし、ヴァルサを見ても直感的に彼女が本心から喜んでいると理解できる。
この世界は、案外、悪くない。
ここでなら、人間らしく生きられるとかもしれないと思い、苦笑が漏れた。
自分はこの世界の「人間ではない」のだ。
半アルグという、人々から忌み嫌われる、おぞましい種族なのである。
だが、それがどうした。
半アルグだって、きっと生きていける。
ヴァルサもいずれ成人すれば、立派な大人の女になるはずだ。
彼女とこうして食事をしているだけなのに、心が満たされていくのがわかる。
気がつくと、目から熱いものが溢れ出していた。
wob?(なに?)
ヴァルサはびっくりしていた。
不安げにこちらをじっと見つめてくる。
wam samuto li cu?(なんで泣いているの?)
なぜか、自分でもうまく説明できない。
あるいは、感動しているのだろうか。
人は幸せすぎると、泣くことがあるという。
かつてはまったく理解できなかったが、いまならわかる。
rxe:wo era to:g vanuman.(料理がうますぎる)
しばらくヴァルサはぽかんとしていたが、やがて派手な笑い声をあげた。
teminum eto fanpon!(あなたって本当に面白いっ!)
面白くて結構、とモルグズは思った。
人と食事をとるのがこれほど楽しいことだとは思わなかった。
地球では、いつも他人との食事は苦痛でしかなかった。
相手の様子を観察しながら感情を読み、それにふさわしい会話をする。
ただの苦行だ。
しかし、ここでは違う。
考えてみれば、かつて泣いたことは一度しかない。
のぞみが死んだときだ。
それから「泣くふり」は数え切れないほどしたし、涙を自在に出せるように訓練もした。
今は勝手に、自然に、泣ける。
それから食事を続けながら、二人はいろいろと笑った。
なんでもないことが、愉しく思える。
料理も実際、美味かった。
確かにいまは、いろいろと大変なことはある。
これから先、どうやって生きていけばいいかもわからない。
だが、新たな、第二の人生をこの世界で送ることは可能なはずだ。
自分には剣の腕がある。
前のこの体の持ち主から譲られたものだが、それでもいまは自分のものだ。
それに、ヴァルサがいる。
いまだまだ、小生意気な少女だが、あと何年かすれば彼女はきっと素晴らしい美女になるだろう。
ちょっとした魔術しか習得していないが、この社会では魔術を使えるだけで、有利なこともある。
たとえば魔術師のなかには明かりを生み出す呪文で生計をたてているものもいるはずだ。
現にこの街では、あちこちに魔術による照明があった。
剣の腕も、なにも戦場だけで役立つとは限らない。
用心棒として雇われたりすることもあるだろう。
つまり、ヴァルサとともにこの社会で生きていくことは、決して不可能ではないのだ。
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