8 vo kilnov!(俺たちは戦うぞ!)

 ここが今の自分にとっての現実だ。

 前の世界からすれば、ただの地獄かもしれないが。

 東と決めた方角には、すでに太陽が昇り始めている。

 どこか遠くから、鶏の鳴き声に似たものが聞こえてきた。


 charsewf cakicos li.(charsewfが鳴いている)


 そういえば、この鳴き声は塔に住んでいた頃も夜明けに聞いた気がする。

 地球の鶏に似ているのかもしれない。

 すでにヴァルサは出立の準備を終えているようだ。

 焚き火の火は綺麗に消されている。

 炭化した木材の匂いが鼻孔を刺激した。


 varsa,gachig sxute cu?(ヴァルサ、ちゃんと寝たか?)


 sxeva.(寝たよ)


 おそらく嘘だろう。

 多少は眠ったかもしれないが、睡眠不足なのは間違いない。

 それにしても、昨夜は迂闊にすぎた。

 あっさり寝入ってしまったのだ。

 ヴァルサを守ると決めたはずなのに。

 殺人鬼が寝言か?

 どこかから、そんな嘲笑が聞こえてきた気がした。

 否定できる立場にはない。

 前の世界では、八人の女を無慈悲に殺した。

 彼女たちには家族や友人や恋人がいたのだ。

 なぜ「他人」が殺されたのに、あれほど感情的になるのかかつてはまったく理解できなかった。

 だが、今ではわかる。

 もしヴァルサになにかあったら、と考えるだけでぞっとする。

 保護者気取りの殺人鬼など冗談にもならない。

 共感というのはこういうことなのだろうか。

 他人の痛みや感情を我が事のように思う。

 少し違う気もする。

 そもそもこの自分にそんな資格はあるのかと考え、すぐにそんな「近代的な考え」が馬鹿馬鹿しくなった。

 理屈など、どうでもいい。

 ヴァルサを守りたいというのは、むしろこの自分の純粋な欲望だ、と考えればいいだけの話だ。

 ようやく調子が戻ってきた。


 vo yelselav.(俺たちは生き残るぞ)


 melrus ers!(当たり前よ)


 sakuranabeの傍らに近づき、二人とも馬に乗った。

 あいかわらずヴァルサは横乗りの格好だが、こればかりは仕方ない。

 冗談ではなく長い間、こんな乗り方では彼女の腰に悪そうだから、新しいズボンでも入手したいところだったが、ヴァルサに男物の下着を穿かせるのも大変そうだ。

 西洋のトーガやチュニカ、あるいは古代中国などの貴人の着る衣服はみな、乗馬しづらいものばかりである。

 当時の文明国の人間は蛮族の文化として、ズボンのようなものを嫌っていたのだ。

 春秋戦国時代、趙の武霊王のように、当時の貴人に蛮族風のズボンをはかせ、それで弓を放つ「胡服騎射」という画期的な戦術を生み出した偉人ですら、蛮人の格好をさせたということで憎まれ、最期には息子に餓死させられるという悲惨な末路を迎えている。

 もちろん武霊王の最期は胡服騎射をさせたからという単純なものではなく後嗣の継承が直接的な原因だが、当時の中華文明の常識をひっくり返したという側面も無視できない。


 yoy,ham go+zusum hesi:r vel.(おい、しっかり強く俺に抱きついていろよ)


 ヴァルサが振り落とされたらと不安になって叫ぶと、後ろから楽しげな声が聞こえた。


 morguz ers mig vinlin!(モルグズってとってもやらしいっ!)


 narha! ye:ni batsowa!(馬鹿! 意味が違うっ!)


 それでもヴァルサの胸の感触を背中に感じると、性的なものとはまるで異質な安心感を覚える。

 おかしな意味ではなく、自分がいつのまにかこの少女を本当に好きになっていることに気づかされた。

 sakuranabeに乗って、だいぶ地面が固くなった道を駆け抜けていく。

 太陽を背にしているので、西に移動していることになるが、あたりの地理はまったくわからない。

 ひょっとすると、このままfa:gas、つまりはファーガスの領内を出られるかもしれない。

 ただ、まだこのイシュリナシアという国の司法について知識が足りない。

 領主の領内から外に出た罪人は、誰が取り締まるのだろう。


 vo alv nalle cu?(俺たちはどこに行くんだ?)


 sxalva ned!(知らないっ!)


 どうもヴァルサも、睡眠不足のせいで地球でいうナチュラルハイになっている気がする。

 だが、それがどこまでもつのか、と思っていると、背後から幾つもの馬蹄が土を叩く音が聞こえてきた。

 さすがに、そう簡単に逃げられると思ったのは甘かったようだ。


 mato:r!(止まれっ)


 そう言われても、おとなしく相手の言うことに従うわけにはいかない。

 しかし、後ろにヴァルサを乗せたまま、追手と戦うのは気がひけた。

 ヴァルサにも危険が及ぶからだ。

 しばらく馬を駆けさせたが、sakurenabeもかなり疲労し始めていた。

 二人の人間を乗せているのだから、当然だろう。

 それに馬の品種として、この馬は農耕馬の可能性が高い。


 vo kilnov!(俺たちは戦うぞ!)


 覚悟を決めると、腰にしがみついているヴァルサに聞こえるように大声で叫んだ。


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