6 erav ned tavzay.(私は娼婦じゃない)

 ヴァルサが天井を指差した。


 sxuto turfe jupnxe.(あなたはturfe jupnxe寝る)


 sxutoがsxupirを不規則活用させたもので、二人称なのはあの教本を見て覚えている。

 問題はturfeとjupnxeだ。

 turは三という数詞だが、後ろに-feがついているので形容詞かもしれない。

 jupは床のことで、nxeがついているのだから「床で」だろう。

 三。床で。

 閃いた。

 今度は、英語的表現だろうか。

 だが、英語の他にフランス語やイタリア語でも、階のことを「床」で表したはずだ。

 とりあえずヴァルサについていけばわかる。

 相変わらずやたら軋む壁際の螺旋階段を登っていった。

 手すりもないので、特に高所恐怖症というわけでもないが、一歩間違えれば転落するのではないかと少し怖くなる。

 書庫となっている二階から、さらに上にヴァルサは向かおうとしているようだ。

 予想は、どうやら当たっていたらしい。

 turfe jupは「三階」のことだろう。

 ここで問題になるのはturfeである。

 三という名詞を形容詞化しているように思えた。

 おそらく、これは序数詞だ。

 日本語には存在しない概念である。

 英語のfirst,second,thirdといえばわかりやすいかもしれない。

 もともと日本語にはこうした考えはなかった。

 今では一番、二番などと訳されているが、これは明治時代以降になってこの序数詞を表現するために生まれた言い方だ。

 turfe jupは「三番目の床」、すなわち「三階」のことなのだろう。

 英語でもイギリスでは日本語の一階はground floor、すなわち地上階とでも言うべきもので、二階がfirst floorになることはよく知られているが、セルナーダ語ではもっと単純らしい。

 ふいに、なにかに気づいたかのようにヴァルサの体が硬直した。


 wob ers cu?(なんだ?)


 定番となった問いをモルグズは発した。


 a,,,,,sxuto fog vacho cu?(あなたは私と寝たい?)


 それを聞いて、とんでもないことにモルグズは気づいた。

 セルナーダのsxupirとは、果たして厳密にはどのような意味なのだろうか。

 日本語で「女と寝る」という場合、さらに親密な、というよりは特定の行為を意味してしまう。

 ひょっとすると、セルナーダ語でも同じような表現をするとしたら?

 だとしたら、厄介な誤解が生まれている可能性がある。

 あくまで相手は小娘だ、と思っているのに妙に異性として意識してしまった。

 これではまるで童貞の中学生だ。

 そんなことを考えたということは、やはり自分はかつてはそれなりに女性経験があったのかもしれない。

 明らかに、ヴァルサはなにか悩んでいたようだが、やがて覚悟を決めたように言った。


 vomova vomortiir.(私は望む、ついてきて)


 前も似たような言葉を聞いた気がする。

 異常なほど緊張しながら、モルグスはヴァルサのあとをついていった。

 また、木製の階段が軋んでいる。

 落ち着け。相手はまだ子供だぞ。

 俺にはそういう趣味はなかったはずだ。

 それでも気づくと、股間が熱を帯びている自分が情けなかった。

 やがて三階に辿り着いて、モルグズは絶句した。

 三階はどうやら、アーガロス、すなわちこの塔の本来の主人の私室のようだ。

 室内の調度を見ただけで、もともと内装などにあまり興味がない、ということはよくわかる。

 だだっ広い円形の空間の中央には、大きな寝台が置かれていた。

 櫃や箪笥らしきものがあるが、装飾などは施されていない。

 寝台そのものは簡素だが上に載っている敷布や上掛けはそれなりに上等なもののようだ。

 窓からはわずかに紫がかった強い月光が差し込んでいる。

 寝台は、かなり大きい。

 とても一人用とは思えない。

 そこで、遅まきながらようやく理解した。

 ヴァルサが三階にくる前にしばし躊躇した理由を。

 他に彼女が寝ていたと思われるところはこの塔にはなかった。

 自分の無神経さが頭にくる。

 なぜアーガロスの私室の寝台がこれほど大きいのか。

 枕らしいものが二つ、寝台に並んでいた。


 erav ned tavzay.(私は娼婦じゃない)


 泣きそうな顔をしたヴァルサが低い声でつぶやいた。

 まだヴァルサの過去をよく知っているわけではないが、いままで彼女がどんな状況に置かれていたかは理解できる。

 アーガロスの弟子としてこの塔で暮らしている間、彼女は「アーガロスとともにこの寝台で寝ていたのだ」。

 正解にいえば、それを強要されていたのだ。

 人権など存在しない世界では、別に珍しいことではないのかもしれない。


 sxulv li.varsa era ned tavzay.(俺は知っている。ヴァルサはtavzayではない)


 何度もいままで言った言葉だが、また涙を流しながらこちらにすがりつくようにヴァルサが抱きついてきた。

 彼女を女として見ることは許されない。

 まだヴァルサは心に傷を負った子供なのだ。

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