karma25 1つの光

 場所を移せば、そこは静寂に包まれており、慎ましくおごそかであった。冷たい床に膝をつき、棺桶の中を覗き込んでいる藍川。眠るような顔をしたXAキスを見ながら、巡る自問自答に思い悩む。


 棺桶の中で眠るXAキスは、敷き詰めた羽毛の上で、装花であろう桜の花びらに囲まれていた。棺桶のそばには、透明を極めた美しい水晶と、小さな額縁に収められた鮮やかなステンドグラスが小さなテーブルに置かれている。

 固く閉ざした口と黄昏に憂うかのような表情は、ここに来てからずっと変わらぬまま。迷いを叫ぶ声なき声は、無音に帰する。疑念の解消にあてどなく訪れてみたが、迷いが消えることはなかった。


「ここにおられましたか」


 藍川が振り返ると、出入り口に立つエミリオがいた。

 エミリオは麗容れいような顔つきからあふれる凛とした雰囲気を撒き散らしながら、哀愁が立ち込める空間に彩りを添えて藍川の隣にしゃがむ。


「同期のご友人が探しておられましたよ」


 藍川は唇に薄く笑みをたたえる。


「そうですか。お手数をおかけしました」


「いえ、事のついでです」


 2人の声は霊安室に反響していく。温度も他と室内と違って低い気がした。

 しっとりと降りてくる静けさが立ち込めるも、バラ窓の絵を施した小さなクッションに、水晶を通した光が受け止められているせいか、哀しさが底まで沈むこともなかった。また、エミリオがこうしてそばにいることもあり、心を揺らしていたモヤモヤも穏やかな色を垣間見る。


「エミリオ隊長、1つ聞いてもいいですか?」


「伺います」


XAキス隊長は、わたくしを助けてくださったんですよね? 命をなげうって」


「はい」


「分からないんです。死ぬことを分かっていながら、なぜわたくしを救ってくださったのか」


 藍川は悲哀を帯びる眼差しを宿す。


「わたくしはまだ半人前の身です。若さゆえに将来の長さを買われたのかもしれませんが、それなら、現状実力のある中堅世代に行使するはずです。候補はいくらでもいた。なぜ、わたくしだったんでしょうか……」


 供物くもつとして飾られた水晶とステンドグラス。信仰する光の形であるバラ窓の絵。数々の物が、この霊安室で品格な厳粛さを極め、弔いの門出に花を添える式のようだった。

 死者と生きとし生ける者が別れを告げる。この機を境にする時を噛みしめるように、エミリオはXAキスの想いを鳴らした。


「一言では語り尽くせません。また、私がすべてを分かっているわけではありません。あなたが、若く有能な方だと思われたからと言われれば、そうだと思います。ですが、それだけでは、キス様の想いのすべてを代弁できているとは思えません。私が、キス様の代わりに質問にお答えするなら、あなたがこの世界に必要だったからと言っておきましょう」


「わたくしはそんな器じゃありませんよ」


 藍川は憂う微笑を口に浮かべた。


「誰が人のくらいを決めるのでしょうか。それは神ではありません。くらいを決めるのは人です。あらゆる基準があり、相対的に人をくらいに定める。くらいがあるとしても、下層にいる者が必要のない人ではありません」


 エミリオは真っすぐそこにある光を見る。水晶が集めた光を。


「人は完全ではありません。集団で文明を築かなければ生きることもままならない生き物です。だからといって、それを卑下する必要もありません。完全でないと知っているから、我々は力を合わせ、生きることを選んだ。そして、私たちは長い時を越えて生きながらえる種族となった。ですが、今世界は恐怖と不安に侵されている。闇が包もうとする世界に、わずかな光をもたらす者たちが必ず立ち上がる。キス様もその1人として、彼らと共に戦うと誓われた。この世界に、光を取り戻すために」


 エミリオは藍川に力強い瞳を向ける。


「あなたも、その1人です」


「キス様が命に代えてでもあなたを生かしたのは、あなたがこの世界に数々の光をもたらす存在だからです。そして、あなたはそれを証明した」


「わたくしが、ですか?」


 藍川はいぶかしげエミリオを見据える。

 エミリオはまだ幼さを残す藍川の無垢な瞳の横に視線をずらし、XAキスの安らかな表情に目を移す。


数多あまたある未来を見通す力をお持ちになるキス様の話によれば、あなたたち2人が強敵を前に消えゆくと知っていました。よくて1人生存。そして、死ぬのは西松琴海。それがこの世の運命さだめでした」


 エミリオはそう語りながら体をゆっくり前に投げ出す。XAキスの片手を取ってXAキスの腹に置き、もう片方も同じようにしてXAキスの両手を重ね合わせた。


「そうなれば、キス様は彼女を救うか迷われたことでしょう。自分が命に代えて彼女を救ったからといって、状況が覆る可能性はほとんどなかったから。でも、キス様が見たのはあなたの亡骸。キス様が授かった預言では、この運命を辿る可能性は限りなく低かったはずです。さぞかし、嬉しかったことでしょう。自分が見た残酷な結末の行方を変えてくれるかもしれない。希望の光。それを見せてくれたのなら、この命を託しても悔いはなかった。キス様なら、そう思うでしょう」


 エミリオはXAキスに優しい瞳を向けていた。聖母のような微笑みを携えながら、最後の最後まで戦った英雄を見送るように。

 エミリオは小さく息を落とす。


「キス様の願いはお伝えいたしました。ですが、これからのことを決めるのはあなたです。ご自身の意思を大事になさってください。誰かに言われたからではなく、自分が戦う理由をしっかり心に宿し、戻ってきてください」


 そう言うと、エミリオはスッと立ち上がり、霊安室から出て行った。


 それから時計の秒針は何度回っただろうか。XAキスの顔から眼を逸らさず、ずっとその場で想い巡らせる。答えを出せぬまま、半日が過ぎたところで、時が止まったような空間は終わりを告げた。

 藍川のお腹がキュルキュルとか細い声を鳴らす。


「お腹、空きましたね」


 壁にかけてある古臭い時計を見ながら呟く。

 もう一度、XAキスに視線を戻すと、藍川はかすかな陽気さをうかがわせる微笑みをたたえる。


「できるだけやってみます。ありがとうございました」


 藍川は別れを告げ、霊安室から足音が遠ざかっていく。その足音は、霊安室までちゃんと響いていた。

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