karma25 1つの光
場所を移せば、そこは静寂に包まれており、慎ましくおごそかであった。冷たい床に膝をつき、棺桶の中を覗き込んでいる藍川。眠るような顔をした
棺桶の中で眠る
固く閉ざした口と黄昏に憂うかのような表情は、ここに来てからずっと変わらぬまま。迷いを叫ぶ声なき声は、無音に帰する。疑念の解消にあてどなく訪れてみたが、迷いが消えることはなかった。
「ここにおられましたか」
藍川が振り返ると、出入り口に立つエミリオがいた。
エミリオは
「同期のご友人が探しておられましたよ」
藍川は唇に薄く笑みをたたえる。
「そうですか。お手数をおかけしました」
「いえ、事のついでです」
2人の声は霊安室に反響していく。温度も他と室内と違って低い気がした。
しっとりと降りてくる静けさが立ち込めるも、バラ窓の絵を施した小さなクッションに、水晶を通した光が受け止められているせいか、哀しさが底まで沈むこともなかった。また、エミリオがこうしてそばにいることもあり、心を揺らしていたモヤモヤも穏やかな色を垣間見る。
「エミリオ隊長、1つ聞いてもいいですか?」
「伺います」
「
「はい」
「分からないんです。死ぬことを分かっていながら、なぜわたくしを救ってくださったのか」
藍川は悲哀を帯びる眼差しを宿す。
「わたくしはまだ半人前の身です。若さゆえに将来の長さを買われたのかもしれませんが、それなら、現状実力のある中堅世代に行使するはずです。候補はいくらでもいた。なぜ、わたくしだったんでしょうか……」
死者と生きとし生ける者が別れを告げる。この機を境にする時を噛みしめるように、エミリオは
「一言では語り尽くせません。また、私がすべてを分かっているわけではありません。あなたが、若く有能な方だと思われたからと言われれば、そうだと思います。ですが、それだけでは、キス様の想いのすべてを代弁できているとは思えません。私が、キス様の代わりに質問にお答えするなら、あなたがこの世界に必要だったからと言っておきましょう」
「わたくしはそんな器じゃありませんよ」
藍川は憂う微笑を口に浮かべた。
「誰が人の
エミリオは真っすぐそこにある光を見る。水晶が集めた光を。
「人は完全ではありません。集団で文明を築かなければ生きることもままならない生き物です。だからといって、それを卑下する必要もありません。完全でないと知っているから、我々は力を合わせ、生きることを選んだ。そして、私たちは長い時を越えて生きながらえる種族となった。ですが、今世界は恐怖と不安に侵されている。闇が包もうとする世界に、わずかな光をもたらす者たちが必ず立ち上がる。キス様もその1人として、彼らと共に戦うと誓われた。この世界に、光を取り戻すために」
エミリオは藍川に力強い瞳を向ける。
「あなたも、その1人です」
「キス様が命に代えてでもあなたを生かしたのは、あなたがこの世界に数々の光をもたらす存在だからです。そして、あなたはそれを証明した」
「わたくしが、ですか?」
藍川は
エミリオはまだ幼さを残す藍川の無垢な瞳の横に視線をずらし、
「
エミリオはそう語りながら体をゆっくり前に投げ出す。
「そうなれば、キス様は彼女を救うか迷われたことでしょう。自分が命に代えて彼女を救ったからといって、状況が覆る可能性はほとんどなかったから。でも、キス様が見たのはあなたの亡骸。キス様が授かった預言では、この運命を辿る可能性は限りなく低かったはずです。さぞかし、嬉しかったことでしょう。自分が見た残酷な結末の行方を変えてくれるかもしれない。希望の光。それを見せてくれたのなら、この命を託しても悔いはなかった。キス様なら、そう思うでしょう」
エミリオは
エミリオは小さく息を落とす。
「キス様の願いはお伝えいたしました。ですが、これからのことを決めるのはあなたです。ご自身の意思を大事になさってください。誰かに言われたからではなく、自分が戦う理由をしっかり心に宿し、戻ってきてください」
そう言うと、エミリオはスッと立ち上がり、霊安室から出て行った。
それから時計の秒針は何度回っただろうか。
藍川のお腹がキュルキュルとか細い声を鳴らす。
「お腹、空きましたね」
壁にかけてある古臭い時計を見ながら呟く。
もう一度、
「できるだけやってみます。ありがとうございました」
藍川は別れを告げ、霊安室から足音が遠ざかっていく。その足音は、霊安室までちゃんと響いていた。
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