karma12 死力の果てに 

 生き残った特殊機動隊員3名は、近くの建物を目指すことにした。


「司令室、県警へ。特機とっきの甲賀原です。養殖産業アイシードの屋上に続く階段が、ミミクリーズの攻撃により崩落。屋上に隊員1名が取り残されています。民間人、隊員共に2名が死亡。生存している避難者3名を連れ、養殖産業アイシードから南西50メートル先にあるビジービルに向かいます。再度屋上で救出願います」


 甲賀原は通信を切り、両手で銃を持ち直す。

 特殊機動隊は民間人を囲み、移動していく。


 空一面に広がる青空が不穏な空気に色めく街を見下ろす。周辺でまともに残った建物は数件のみ。年数を重ねて老朽化した建物は、ブリーチャーの攻撃を受けて外観すら留めていなかった。ブリーチャーが通った痕跡がある以上、警戒せざるを得ない。


 黒いアスファルトを踏みしめながら目的の建物へ向かう。

 本来なら速やかに建物へ移動したいところだ。しかし、先の落下とミミクリーズの斬撃により、怪我をしている者もいたため、無理に急がせるわけにもいかなかった。


九理きゅうり、そこで待機していろ。すぐにヘリが迎えに来る。ついでにすまないが、その間我々を援護してほしい。バルヴォ3A強狙撃銃は持ってるな?」


「はい」


「よし。くれぐれも辺りの警戒は怠るな。まだミミクリーズが建物内に潜んでいるかもしれない」


「了解」


 布藤は辺りの静けさに緊張を覚える。


「甲賀原さん」


「なんだ?」


 布藤の声がヘルメット内のスピーカーから聞こえてくる。


「ブリーチャーの数が増えているような気がするんですが。まだ潜んでいたブリーチャーがいたんじゃないでしょうか」


「さあな。それはあとで分かることだ。今は民間人を守ることだけ考えろ」


「はい……」


 先進的な建物が軒を連ねる通り。真っすぐ伸びる道に風が吹き、砂塵を呼び込む。特殊機動隊と避難者たちは吹きつけた突風に身を屈めた。容赦なく砂と風が体にぶつかってくる。かざ鳴りが聴覚を刺激し、奥まで痛めつけてくる。

 砂塵にまみれる甲賀原は薄く目を開く。風の中にかすかな影。それが人間ではないと察するのに3秒の時間を要した。四足歩行で走っているようだが、大きさは犬や猫のたぐいではない。旧態のブリーチャーとも姿が異なる。風がやむと同時に、恐怖をはらんだ悲鳴が轟いた。


「建物へ逃げろ!」


 甲賀原と2人の隊員が生物と対峙しようとする。


逸見はやみは民間人につけ!」


「はい!」


 逸見は民間人のところへ戻り、目指していた建物へ先導しようと前に出る。

 たった2人で防ぎきれるのか、不安入り交じりながら標的に向けて撃っていく。胴長の生物は優れた反応速度で銃弾を避け、馬のごとくスピードを落とさず迫ってくる。

 近づくたびに生物の大きさが明確に分かる。充分な体格で時速90キロの速度で迫る力強い走り。それを成す脚はブリーチャーより少し長いものの、進化の名残を感じるほど短い。違いがあるとすれば、ブリーチャーよりも引き締まっており、筋肉の線が確認できることだ。


 甲賀原、布藤両名の焦りに応じて命中度は落ちていく。その時、甲賀原の銃は吼えるのをやめた。トリガーは引かれている。甲賀原は銃床の後端の赤いLEDを一瞥いちべつし、苦渋に表情をゆがめる。


 特殊機動隊と生物との距離が50メートルに達した時、生物の背中が真ん中から分かれた。立ち上がる長い首の付け根から大きな羽を出した。水玉模様の羽に見えるだろうが、背後の視覚をも確保するために進化した視覚でもある。

 羽を両横に広げたのは、何も別角度で視覚を確保する目的だけではない。羽の裏側に隠した武器を飛ばすためである。


 生物は2つの羽を小刻みに揺らす。羽から黒い粉が出ると、それは空中を舞っていく。黒い粉は意思があるかのように2人に向かい出した。

 黒い粉に光弾が当たるが、空中で分散されただけだった。粉は再びまとまって2人に襲いかかろうとする。

 2人は両横に分かれて横に飛ぶ。甲賀原は軽い身のこなしで膝をつくが、生物が突進しようとしていた。反対側からは宙に舞う黒い粉が迫っている。甲賀原はオレンジ色のタイル張りの建物に走り出す。


 甲賀原の背中を見据え、謎の黒い粉と生物が追いかける。死力の限りに走る甲賀原は、後ろから近づく殺気がどんどん近づいているのを感じた。

 甲賀原の銃を持つ手が動く。

 オレンジの建物の外壁まで数メートル前になった時、甲賀原はいきなり走る方向を曲げる。ほんの少し曲がったが、斜めに突っ切っている。足が壁にかかる。甲賀原の足が2つ、3つと壁を走る。


 生物の首が前傾になり、顔のほとんどを占める丸い口が甲賀原の首に向かった。

 その瞬間、甲賀原が体を左にひねり、銃身を持つ左手が乱暴に振られる。銃は生物のぼてっとした唇が特徴的な口にヒットした。重い衝撃を食らった生物は首を引っ込めたが、黒い粉は甲賀原を覆った。

 甲賀原は背中を地に打ちつける。

 黒い粉は甲賀原の体や頭の周りを飛び回っていく。甲賀原は周りで舞う黒い粉を振り払いながら立ち上がる。近くに迫った黒い粉はヘルメットのアイシールドに貼りつく。


 黒い粉と思われたものは、とても小さな虫だった。何百という黒い子虫は甲賀原の服にもついて、衣服を噛んでいた。口から出す粘液を貼りつけ柔らかくし、ほぐれた糸に噛みつく。だが、もしそれが肌についたらどうなるか。まずは強烈なかゆみを引き起こす。

 甲賀原は違和感を覚え、ヘルメットに手をかける。急いでヘルメットを脱いだ。手から零れたヘルメットが地面を転がる。甲賀原は手袋をした手で顔を掻いた。

 甲賀原の手に警戒した黒い子虫は離れていった。それでも、まだかゆみが収まる気配はない。虫が顔の上にいる幻覚は甲賀原の神経をおかしていく。


 一方、生物は地団太を踏み、奇声を上げていた。

 生物は布藤と屋上から狙撃する逸見の弾丸を浴び続ける。


 黒い子虫は布藤に向かっていた。


「布藤! その虫に触れるな!」


 甲賀原は警告を叫ぶ。布藤の目にも黒い子虫の群集が迫っているのが見えた。布藤は銃撃をやめざるを得ない。余裕ができた生物は一度布藤を見たが、すぐに逃げる甲賀原に視線を戻す。


 逃げる甲賀原だったが、もはや万事休すと言ってもいい。あとは生物の気を引きつつ、身の安全を確保するしかない。

 生物は加速する。胴を波打たせながら首を横に振った。甲賀原の体は沁み渡る痛みに耐えかね、地面に手をついた。体を起こそうとするが、たびたび受けたダメージにより動きは緩慢かんまんになってきていた。

 生物が目の前に迫りくる。甲賀原が気づいた頃には、生物が口を開けて飛びついてきていた。

 甲賀原は転がって避ける。生物の口は地面にぶつかった。甲賀原は起き上がり、生物に正面を向け後ずさる。生物は唇の内側にびっしりと生えた白い棘を見せつけながら、しつこく甲賀原に近づいていく。


 唯一対抗できる手段があるとすれば、腰に持つ爆弾とエアバラックス、警棒だけ。甲賀原は警棒を取り出す。生物は前後に首を振りながら向かっていく。


 甲賀原は警棒を構えて振りかざす。

 生物は甲賀原に対し恐怖を抱いてはなかったが、"リスクを避ける情報"にもとづいた行動に則して、甲賀原の前で立ち止まると、いきなり液体を吐き出した。


 甲賀原はとっさに横に飛び、受け身をとって転がる。いつでも動けるよう膝をついた体勢に整え、生物に視線を向けた。

 生物が吐いた液体はただの唾ではない。地面から煙が上がっているのがその証拠だ。排水口の臭いに似た激臭が鼻をつく。

 甲賀原の衣服からも煙が出ていた。2センチ程度の穴が甲賀原の服に空いてしまう。甲賀原の肩には縮れた自分の髪の毛がっていた。


 生物は容赦なく液体を吐いていく。甲賀原は避け続けるしかない。できるだけ距離を取り、肌に触れないようにする。そんな中、甲賀原は藪から棒に手りゅう弾を投げた。しかし、機敏さもある生物は手りゅう弾の被爆範囲から逃れる。

 たった1つの手りゅう弾も不発に終わり、甲賀原はとうとう逃げることしかできなくなった。生物はどんどん甲賀原を追い詰めていく。


 手りゅう弾の爆破による火薬の臭いがまだ残っているところで、甲賀原に限界が来てしまった。甲賀原は転倒した。起き上がろうとするが、まともに力が入らない。両膝をつき、うなだれた。

 荒い呼吸で息をし、生物を見据える。もやがかかったように周りがぼやけていた。液体は甲賀原の目に入ってしまい、視力を失ってきていた。


 甲賀原の頬や額にはただれたような跡がある。皮膚が剥げ、生々しい赤身が露出していた。

 生物も液体を吐き続けた結果、体内で生成できる溶かす酸を使い尽くしていた。だが、もう不要だ。甲賀原の生気が弱まるのをひしひしと感じられたから。

 生物はゆっくりと近づき、甲賀原の頭におもいっきりかぶりついた。

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