karma10 主戦場を駆ける兵士の苦悩 

 20分後、電気をつけない部屋は薄暗い。それでも、閉め切ったクリーム色のカーテンから透過する光が、部屋の中を見渡せるくらいの視界を確保してくれた。

 窓の下には民間人の男女と5人の特殊機動隊員がしゃがんで身を潜めている。噴き出す汗と血。荒々しい息は言葉にならない恐怖を吐露する。床に落ちた血の痕跡がここまで走ってきたことを物語っていた。


 ミミクリーズの触手についた鋭利な刃により、脚を切られた女性が1名、脇腹を切られた男性が1名。特殊機動隊の隊員2名も触手による殴打により負傷したが、任務は続行できる。だが、現状では特殊機動隊が止めている車まで戻れなかった。


 ミミクリーズに襲われた特別編成部隊は、避難者を送り届けること、命を守ることを最優先とするため、農業組合の敷地で戦闘を開始した。

 その間に、特殊機動隊の数名が避難者を逃亡させるため、誘導したのだ。しかし、どこからかブリーチャーが湧いて出てきて、特殊機動隊の装甲車までの道のりを塞がれてしまった。救出に動く隊員数名は装甲車への誘導を諦めるしかなかった。場所が変わっただけで、身を隠すことになった。


「こちら特機第五師団の甲賀原かがはら。通報者と合流、装甲車までの移動中、ブリーチャーの襲撃に遭い、2名が負傷。負傷者を連れての移動は危険と判断し、やむなく民間の社屋と思われる建物に避難した。屋上からの救助を要請する」


 特殊機動隊の班長、甲賀原は装甲車周辺で待機する隊員に報告する。


「周辺にブリーチャーは?」


 ヘルメット内部に聞こえてくる女性隊員の声が特別回線を敷いた通信により、懸念事項を尋ねる。


「おそらくいるはずだ。確認はできていないが……気配はする」


「分かりました。ヘリを行かせます」


 甲賀原は女性が言い終わってすぐに言葉を続けた。


「すまない、1つ聞かせてくれ。奴らはまだ生きてるか?」


「はい、生体反応の信号を確認しておりますし、応答もあります。無人小型戦闘機CRXt仮想光物質歩兵部隊VLMCも加勢しておりますので、ご心配には及びません」


「そうか……」


 甲賀原は怪我人の2人を見る。男の服に染みた赤い血は黒く変化していた。旅行者の荷物に入っていた服で止血してある。幸い負傷した2名共に傷は浅い。すぐ命に関わる怪我ではないが、状況は依然困難を極めた。


「早急に頼む」


「到着次第、連絡します」


 特殊機動隊の隊員は泣いている女性らに安心させるような言葉をかけている。銃声を間近で聞き、生物に襲われる体験をしたら、不安があふれ出してしまうのも無理はない。命の危険にさらされる覚悟ある者ならまだしも、予感も抱かない者が突然身の危険を感じたら、人間はこうも弱い。

 足がすくんでとっさに動けないものだ。人の無力さを痛感し、崩壊していく様を見てきた甲賀原は、6年の間に蓄積された膨大で凄惨な記憶を回顧かいこしながら、戦慄に震える彼らの精神状態を憂慮ゆうりょする。


 避難したこの建物は少し変わった構造をしていた。そのせいもあるかもしれないが、とりあえずの安全を求めた人間たちは、円柱缶の形状をした建物に隠れた。

 ここは会議室らしく、モニターや無線LAM、机や椅子など、必要最低限のものしか置かれていない簡素な部屋だった。

 どこへ体を落ち着けるかと現代的なオフィス内を探索していると、協賛企業やグループ会社の名前が載った電子掲示板を見かけた。訪問者用に会社の紹介をするためのものだろう。

 北海道では畜産、農業漁業などをテクノロジーとかけ合わせた産業の発展が目覚ましく、軒並み関係会社が切磋琢磨し合っている。この会社も北海道の科学養殖産業の発展に貢献する一企業らしい。


 死臭かぐわしい爆発音や物々しい音がどこからか聞こえてくる。

 隊員たちは幾度となく耳にしてきた。様々な物が焦げた臭いと死臭が混じり合う日本の街は、平和とかけ離れた場所へと一変する。地べたに倒れ、目を開いたままピクリとも動かない人や、瓦礫の中で声も上げられない人が助けを求めて手を伸ばそうとする姿。口にするのもはばかれる人々の最期を見てきた。

 決して忘れることのできない記憶のはずだった。だがこうして死線におもむくことを日常としていると、どんどん忘れていく自分に気づいた。その時、自分は本当に人間なのかと自己嫌悪にさいなまれたものだ。

 あれほど酷な現場を目の当たりにし、忘れてしまう自分を呪った。ずいぶん薄情になったらしいと、引き金を引いては銃口から出る火薬の匂いを吸いながら、仕事に没頭した。


 そうでもしなければ精神を保てなくなりそうだった。いっそのこと、機械になりたいとさえ思った。感情すら忘れ、人々を救うだけの機械になれたら、迷うことなく任務を実行できる。苦心に身を焦がすこともないし、愛する人を守れる。

 冷や汗が首を伝う。おぼろげに隊員と避難者の声を聞きながら、時間があっという間に過ぎ去っていく。


 屋上にヘリが到着する。一報が届き、特殊機動隊は民間人を気遣いながら動くことを促した。足を怪我した女性は顔をしかめ立ち上がる。右足をかばう女性の腕を取り、男性が背中におぶるのを確認し、彼らは会議室を出た。

 誰もいなくなった廊下。電灯が無機質に静寂を照らす。部屋を出れば、上半身を切り取ってかすかに映す窓が目に入る。


 部屋を出た途端、外からブリーチャーたちに確認されそうだが、特殊機動隊員たちは警戒を向けない。

 円柱缶の建物の真ん中は、直径3メートルの穴が空いている。窓の下に視線を向ければ手入れされた庭が見えるが、壁際は土しか入ってない鉢植えがあり、中央には地面に映えた草や花くらい。


 旧態のブリーチャーが高さ10メートルの屋上を越えてくるとは思えなかった。旧態のブリーチャーでなければ、問題なく越えられる高さではあったが、一時の緩みからすぐに緊張を高め、かつ冷静なリスク管理を常に行えてはいない。まだ新米と呼べる隊員だけでなく、班長の甲賀原も同じである。だが、今回は運よく危険なこともないまま廊下を通り過ぎることができた。


 2階から3階へと上る。特殊機動隊員たちは体に沈着した隙のない所作を取り戻し、いつも以上に警戒していく。そして屋上へと続く階段へ。屋上の扉は無防備に開いていた。外では風が吹き、扉がゆらゆらと開いたり閉めたりと寸止めを繰り返していた。


 魅惑的に揺れるドアは音を立てて誘ってくる。誘惑の扉に目を奪われる避難者たち。段を上るごとに生気がみなぎってくるようだった。それは誘導していた特殊機動隊も同じだ。ようやく戦地から脱出できると思い、ほんの少し気を緩めたその時、1人の隊員の腕から勢いよく血が噴き出した。


 周りにいた隊員、避難者の顔や体にかかる。仰天に満ちた顔が1人の隊員へ向けられたのと同時、切られた隊員は自分の腕を見た。

 不思議だった。痛みを感じないのに、自分の両腕は二の腕から先がなくなり血を吐いていた。

 それはとても短い時間、およそ1秒である。鮮血に染まる階段に、ただの肉片と化した両腕が落下した。切り離された両腕は銃を持ったまま階段に落ちて、階下へ転がろうとする。


 その瞬間、両腕を失くした男の悲鳴が轟いた。つんざく悲鳴は狂騒を生む。何者かにより切られ、耐久性を失った階段もろとも、まだ上りきれなかった隊員と避難者数名は崩壊の鳴りと数々の悲鳴と共に、奈落の底へ落ちていった。

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