karma2 幸せの道

 氷見野は特殊整備室から呼ばれ、攻電即撃機保管室に来ていた。仕事は休みのため、薄い黄色のシャツにジーンズ姿だった。保管室にいるのは作業着姿の人たちと、目の前で机にがっつり腰かける同じ作業着姿の海堀詩音かいほりしのんだったので、傍から見ると氷見野の出で立ちは場違いな装いに思える。

 だが、対する海堀と氷見野、作業に従事する機体整備士も日常的な光景として目の当たりにしているため、別段おかしいと感じなくなっていた。


LCリンケージコンパティビリティーを高め、携行銃をネイルスティンガーT21レーザーライフルASファルコン濃縮プラズマ式ライトマシンガンのみに。パワーアシストの装着数を減少ね」


 海堀は足をブランコさせながら記入されたデータ書類に目を通す。


「はい、よろしくお願いします」


 壁に取りつけられたモニターの下にある、長机のそばの椅子に座る海堀と対面する氷見野は首肯した。


「試験運用できるようになったらまた連絡するよ」


「分かりました」


 海堀は掌に浮かぶ仮想タブレットを握って閉じる。左手首のつけられた腕時計型のモバイルウォッチのディスプレイがハンドエクスペンションのオフを表示した。机から下り、保管室の扉へ歩き出す。

 氷見野も同じく保管室から出るため、海堀の後ろを歩く。


 モニターから保管室の出入り口まで続く真っすぐな通路を歩けば、両サイドにいくつも並んでいる機着子宮器きちゃくしきゅうきに見送られる。機着子宮器のカプセル内は空か、あるいはモデルの機体スーツが3D映像で入っているか。

 機体スーツが中に入っているのを見ると、カプセルが培養器のように見えなくもない。

 何度も近くで見ていれば、同じ基本構造と配色の機体スーツであっても、誰の専用機体スーツかはわかってしまう。

 双剣の柄が腰に携行され、他の機体スーツよりもスリムなシルエットを持つ。肩と胸部は筋肉質な形を模しており、胸の中心部から6つの火先が広がる紋章が刻印されていた。

 氷見野は気がかりに任せて尋ねる。


「海堀さん」


「ん? 何か伝え忘れ?」


 海堀は立ち止まって振り返る。海堀が止まったので、氷見野も反射的に立ち止まった。


「いえ、島崎隊員はいつも何してるんですか?」


 海堀は首をかしげる。


「訓練と任務でしょ?」


「いえ、そうじゃなくて、休みの日です」


 海堀は「ああ」と合点がいって少し考えの間を作ったが、困り顔になって微笑む。


「いずなとは長い付き合いだけど、仕事以外のことはあんまり話さないんだよね」


「そうですか」


「いずながどうかしたの?」


「いえ、その……島崎さんってまだ若いじゃないですか。だから、隊員じゃなかったら、違う人生もあったんじゃないかと思って」


 氷見野はいつも着ている機体スーツの映像を見ながら切なげに話す。


「海堀さんも同じくらいの歳だし、どうなのかなと思いまして」


 海堀は悲しそうな氷見野が言わんとすることを察し、優しい笑みを零す。


「私はいずなじゃないから一概には言えないのかもしれないけど……」


 そう前置きをし、氷見野が見ているカプセルに入った機体スーツの映像に視線を向ける。


「どこかで違う人生を歩く人がいて、それが自分と同じ歳くらいの人だったらもしかして、とか想像しちゃってもおかしくないでしょ。違う道に行ってたらもっと楽しいことがあったんじゃないかって考えたくもなるよ」


 胸を突く痛み。まだ古傷が疼いてしまう。

 決断によって解き放たれた氷見野は夫の呪縛から逃れ、自分1人で歩き出すことにした。険しく足場も悪い道に自ら足を進めた。それが正解かどうかを判定することになったとしても、簡単に評価できるはずもない。


「どの道に行けば、人生が楽とか、幸せになれるとか、最善の選択があるんだろうけどさ。でもその道を歩いてみないと分からないことって、たくさんあると思うんだよね。それに、どの道を選んだとしても、失うものってある気がする」


 優しさのこもった声色、瞳にはもう映ることのない色せた記憶が互いに浮かび合い、それぞれが音もなく流れゆく残像と共に思いを馳せる。


「失うことを分かりきったうえで進んでも、隣の道に行く人を見かけたら、あの人はどんな幸せを掴んでるんだろうって、ないものねだりしちゃうことがあっても不思議じゃないかな」


 海堀は氷見野に目線を移す。その瞳にも、顔にも、迷いなどなく、輝きを持った確かな明るさがある。


「でもさ、それでも選んだ道なんだよ。時々よそ見したりしても、結局その先にあるものに目を向けていくんじゃないかな。私は、いずながそういう子だと思ってるけど?」


 氷見野は海堀の言葉と自分の選択した時の感情に触れて、少し晴れた気持ちを感じる。


「そうですね」


 海堀は氷見野の優美な表情に笑顔を浮かべ、保管室の扉へ再び歩み始めた。


 保管室から出てエレベーターの前に並ぶ2人。無言の間が何十秒と過ぎた時、2つのエレベーターのドアに挟まれた壁にあるデジタル数字を見つめていた海堀が、思い出したように「あ」と口をつく。


「言っておくけど、私いずなとは10歳違うからね」


「え?」


 氷見野は少しずつ頬を赤くし、焦りを覚えて口をアワアワとさせる。


「すみません、失礼しました!」


 氷見野は恥ずかしそうな表情で頭を下げる。


「別にいいよ。背もいずなより小さいし、初めましての人からはまだ未成年だからお酒は飲んじゃダメとか言われたりなんてしょっちゅうだったし」


 海堀は苦笑しながら昔話を自己開示した。

 その時、エレベーターの扉が気まずさを介する2人の空気を吸い込むかのように開いた。

 2人は扉が開いたことに気づき、乗っていたつなぎ服の男たちと鉢合わす。

 乗っていた男たちは2人を見るなり、「お疲れさまです」と軽く会釈した。


「お疲れ」


 海堀は快活に挨拶をし、入れ替わってエレベーターに乗り込む。氷見野も小さく挨拶をして、エレベーターに乗った。ボタンの前に位置を取った海堀は、「何階?」と尋ねる。


「9階をお願いします」


 海堀がボタンに視線を向け直すと、小さな手でボタンを押していく。氷見野は海堀の背に向かって感謝を述べる。エレベーターは扉を閉め、空間を色濃く浸透させていく。


「氷見野さんは優しいね」


「はい?」


「いずなは軍の中でもとびっきり若いから、入った当初はよく心配されてたけど、今じゃ頼りにされてる隊員だから。まだ高校生くらいの子だってのに……本当に、よくやってるよ」


 海堀は左に90度回り、エレベーターの壁にもたれる。


「関原さんと似てるかも」


「特殊整備室の」


 海堀は首肯する。


「私の直属の上司のね。いずなが入ったいきさつもあって、情が移っちゃったんだろうね。今じゃ父親ぶってるよ」


 エレベーターは止まり、扉が開く。


「あ、じゃあ失礼します」


「うん」


 氷見野は会釈し、エレベーターを降りた。地下9階のウォーリア生活棟の廊下を歩いていく。


 いずなはみんなに頼りにされている。それは同じユニットにいてより分かるようになってきた。それがいずなの支えになっていることも分かっているが、それだけじゃいずなはつぶれてしまうんじゃないかと不安を覚える。

 でも、一応先輩の隊員であり、高校生となればおのずと自分の生活に干渉されたくないと思うような気がした。余計なお世話を働き、いずなの心を乱したくない。だけど、いずなのあの表情が、どうしても忘れられなかった。

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