karma7 影の組織

「ブラック……ローズ?」


「主に諜報活動、時には教会に危害を加える者たちの撃退を専門とする組織です」


「教会に、そんなものがあると言うのか」


 エミリオは愕然とするキスを尻目に、淡々と口にする。


「企業や政府に情報を扱う部署があるように、不届き者がいないかと監視カメラや警備体制を敷くように、教会にあっても不思議はないでしょう」


 エミリオはキスから視線を外し、歩み始める。悲嘆に服するキスだったが、足音で我に返り、煮え切らない表情でエミリオの後に続く。


「君は、ミアラ主殿に雇われた、のか?」


「私は外部組織ではありません。メンバーはすべて教会に属する信徒で構成されています」


「ならば君も、神に仕える者と思って、いいのか?」


 キスは恐る恐る聞いた。あまりにビクビクとするキスの様子に警戒を感じたエミリオだったが、いつもと変わらない沈静の空気を放つように話す。


「メンバーは様々な職業についていた者ばかりです。私は彼らの心の隅々まで見通せはしません。ですが、私たちはみなミアラ主殿に敬意を持って、与えられた任務に就いております」


「味方と思って、いいんだな?」


 すると、エミリオは小さく嘆息する。


「そういうところは、相変わらずですね」


 呆れたと言わんばかりの口ぶりでそう呟いた。


 しばらく無言になっていた。何度か曲がったりもしたが、一向に出口は見えてこない。教会の下にこれほど広い地下空間があるとは思ってもみなかった。キスは未だに嵐が去った後の余波に頭を悩ませる。


「私は、中国の諜報部員でした」


 エミリオは突然そんなことを言い出した。キスはいきなり過ぎて何も言えない。


「私も諜報部員になるためのありとあらゆる英才教育を受けてきました。両親からそう教えられてきたので、幼い頃から父の仕事を手伝いたいと思っていました。父の仕事のおかげで、生活に苦労することはありませんでした。タワービルの中にある広々とした部屋、夜景が一望できる窓から、地上の光たちを見るんです。海外にもよく旅行へ行って、高そうなお店で美味しい料理を食べました。家の中にあるもの、私が行くところは、本当に煌びやかなものばかりでした」


「エミリオは、中国人だったのか?」


「戸籍上は日本人ですが、根は中国の文化が根付いているでしょうね」


「まったく分からなかった」


「私の母は日本人です。分からなくても当然でしょう。ネイティブな日本語も、小学生の頃にはすでに会得していましたから」


 キスがこうしてエミリオのことについて聞くことは、今まで一度もなかった。なぜだろうかと考えていたが、エミリオは話を続けていく。


「それから私は、父と一緒に日本へやってきました。日本で活動する中国マフィアが危うい動きをしているので、目的を調べてほしいと。ですが、私たちは仕事に失敗し、調査対象の者たちに捕まってしまったんです。父は酷い拷問を受けて死にました」


「見たのか?」


 エミリオはうんともすんとも言わない。キスはさすがにデリカシーがなかったかと思い直し、「いや、すまない」と口をついた。


「……いえ。私に利用価値がないと分かった中国マフィアの一味は、私たちを夜の裏道に捨てていきました。父は、自分にもしものことがあった時には、生きることを選びなさいと、幼い頃から私に言い聞かせていました。私は、父の亡骸に別れを告げて、ボロボロの体で夜を彷徨っていたんです。まともに歩けない中、捨てられたゴミから食べられるものを探し、生きようとしていました」


 淡々と壮絶な日々を暴露するエミリオに終始驚きっぱなしで、口を閉じるのも忘れてしまう。今こうして自分を先導してくれるエミリオは、綺麗な祭服を着て、年相応の身だしなみを心得ている様子で、ゴミとして捨てられたものを口にするなど、想像できなかった。


「でも、そんな生活が長く続くわけがありません。簡易的な処置程度ではどうにもならないほど、私の怪我は酷いものでした。そんなボロボロの私に生きる場所を与えてくださったのは、ミアラ主殿です」


「ミアラ主殿が?」


「汚い捨て猫みたいな私を見ても、怖がることなく、私に手を差し伸べてくださいました。私は、ミアラ主殿に命を救われたのです。何度感謝しても足りないくらい、私はミアラ主殿に御恩があるのです」


「そうか……」


 自分にも似たような過去があるせいで、どことなくエミリオに親近感を覚える。


「ミアラ主殿は言いました。自分はそう長くないと。だから最期に命ずる。キス司祭をお守りするようにと。私がミアラ主殿の最期の命令を断るわけがありません。断る理由など、どこにもないのです。そして、キス司祭は必ず教会、いえ、この世界で生きなければならないと、ミアラ主殿はおっしゃっていました」


 エミリオの声はそう変わらないように聞こえる。だけど、そこには若干の震えがあり、エミリオにしては珍しく、感情の波が表れていた。


 その頃、2人の行く先に変化が訪れる。息詰まるような圧迫感を携える通路の先で、あきらかに違う内装がお見えしていた。通路のふちを横切る。

 空間が解き放たれた広間。礼拝堂と比べると派手さに欠けるが、そこは古代遺跡に眠る神殿を思わせる。キスは初めて見るその広間を食い入るように見回した。


 修道女が魔鏡を持つ立ち姿や聖書を持つ髭を生やした霊王れいおうなど、教会に多大な功績をのこした偉人たちの彫像が、壁にずらりと並んでいた。彫像は壁をくり抜いてできたスペースに入っている。くり抜かれた壁の穴はまるで棺桶の形をかたどっていると思わせた。

 彫像と彫像との間の壁には、美しい色を持つ宝石の削りカスで作られたビーズで、様々な記号になるよう配置されている。棺桶の周りを彩る花たちを表したものだろうと、頭の中にある教会の文化知識からすぐに察することができた。


 床は黒曜石と、部屋の中心で重なるように大きな十字を描く白の大理石が配置され、十字の重なる正方形へ、12の彫像がある場所から1本の白い線が引かれている。

 天井は遥か高く、オレンジの光をめいいっぱいに放つ大きな電球がついていた。積み上げられたようにレンガ調の壁の上には、絶景のパノラマ写真と錯覚させる油絵具で仕上げられた激情的な絵があり、今にも動き出しそうな躍動感に目を奪われる。


 キスが圧巻されていると、エミリオは十字の前で立ち止まって振り返る。


「キス司祭」


「ん?」


「ミアラ主殿が、なぜキス様を早々と司祭にさせたか、ご存じですか?」


「……」


 キスは答えに詰まってしまう。


 自分が司祭になるということが、ミアラ主殿からみんなに伝えられた時、祝ってくれる人もいれば、まだ早過ぎると首を傾げる人がいたのも事実。しかし、キスが預言の力を持っていたこともあり、異例の出世を不思議がる人は大方の予想より少なかった。


「……いや、直接そういうことを聞いたことはない」


 今となっては、二度と聞くことはできない。ズキッと心臓に釘でも刺したかのように疼く。キスは薄暗く靄がかかったミアラ主殿の残像を思い浮かべ、悲哀に表情を崩す。

 エミリオは強く見据える瞳をキスに向け、思いがけない話を口にした。


「ミアラ主殿もキス様と同じく、預言の力をお持ちだからです」

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