karma7 狼狽に伏す神父様

 キスは自身の教会の近くにある修道院へ帰ってきた。いつもより重く感じるドアを開け、フラフラと部屋の中を進む。キスは部屋の隅に置かれたベッドに力なく腰を預け、綺麗に刈り上げられた頭を抱えた。


 ジャノベール。彼がなぜそんなことをしてしまったのか。キスは未だ信じられずにいた。彼はとても厳しく、修道士たちからも恐れられる人物ではあったが、彼の信仰心と熱意は本物であると、キスは知っている。

 それに、主殿が随一信頼を寄せるジャノベールだからこそ、主殿の身の周りの世話をされているのだ。


 ジャノベールの主殿への敬愛は唯一無二のものだったはずなのにと、キスは自分が尊敬している1人の男を疑わなければならない状況を嘆きたくなった。


 だから、乱れる心を紛らわそうと、ユヒアが連れて行ってくれたバーで飲めるだけ飲んでやった。

 儀礼で飲むワインの量を優に超え、キスの思考は快感の園へおもむくはずであった。だが、ユヒアはバーについてからも、今後の教会の行方について話し出してしまい、快感の園への入り口は固く閉ざされてしまった。


 主治医の話によれば、主殿はもうすぐ天へ召されるらしい。また癌が再発し、更に肝臓やリンパへの転移が見受けられ、もう手の施しようがないと、はっきり言われたそうだ。

 主殿はすべて存じており、自分の後継者として、ジャノベールへの主殿継承を行うことを決断された。ジャノベールが主殿になるのは許しがたいことではあるが、絶大な信頼を置いているジャノベールが裏切り者であると告げれば、主殿はとても悲しむだろう。


 ただでさえ病弱な体に鞭打つことはしたくないということで、主殿が安らかな眠りについたのち、信徒たちへすべてを告白する算段を立てていると、ユヒアは打ち明けた。

 ユヒアは記者に頼んで、公開の時期を主殿の死後にしてもらうよう手筈を整えてもらっているようだ。


 計画通り事が運べば、ジャノベールは1ヶ月もたたないうちに主殿の座から降りることになるだろう。

 それから教会内で主殿の選任が始まる。だが、選任はただのお飾りだ。

 翼祭よくさいの階位にあるユヒアを推薦する者が大勢出てくることは、キスでも容易に想像できた。その時には、キスに翼祭よくさいを任せたいと、ユヒアから打診されたが、キスは心ここにあらずといった様子で首肯せざるを得ない。


 今はまだユヒアが翼祭よくさいであるため、断ることもできた。しかし、主殿となったユヒアからもう一度打診があった場合、キスは引き受けるしかない。

 主殿は神に近い大天使と同義であり、神の子である聖職者が、主殿から受けた役を反故ほごにすることなどあってはならないというしきたりがある。今のキスには拒否権などないも同然というわけだ。


 キスは1つため息を落とす。キスは司祭用の簡素でありながら充分な広い部屋に目を散らしていく。薄暗い部屋の中は、生活感あふれる棚やクローゼットなどがところどころに見受けられる。

 それらとは別に、異彩を放つものが天井から吊るされた小さなスポットライトに照らされていた。クリスタルでできた十字架。いつでも神とつながっていることは、教会に所属する者なら当然の心がけだ。


 キスは身に収まりきらない不安とやるせなさで体が張り裂けそうだった。あのキラキラ輝く十字架が魅惑の力を放っているせいで、どうしようもなくなってくる。

 キスは衝動がせきを切った様子で、床に膝をつきながら、四つん這いで光の十字架へ近寄っていった。


 キスは膝立ちになり、両手を組んで、壁の端に据え置かれた、紫の布に覆われる台の上のクリスタルの十字架に懇願の眼差しを向ける。


「神よ。本当にこれでいいのでしょうか。ユヒア様の計画通りにいったとして、果たして信徒たちは、我々を信用するでしょうか。不安で仕方がないのです。差し支えなければ、どうかこの哀れな私に導きをお与えください」


 ここ最近のキスの祈りで、神が答えてくださったことはほぼ100パーセントだった。なのに、降りてくる啓示はない。待てども待てども時間だけが過ぎていく。


 部屋に蔓延はびこる無音が鳴っている。キスは両手を力なく胸元から下ろす。

 神のご意思は聞けなかった。それが教えられないのか、そもそもないのかすら分からない。


 最悪のケースを考えるなら、神は我々を見捨ててしまった。浮かしていた腰も下ろし、自然と正座になる。高い身長を持つキスの体は、部屋の中でとても小さく見えてしまう。顔が悲しげにうつむく。


「もう、私たちには、神のご加護に預かる資格はないのですか……」


 キスは小さく呟いていく。


「神よ。私たちは何もできないというのですか。お答えください、神よ」


 キスの表情はゆがみ、体は前に倒れる。床に両腕をつき、その上に額を乗せた。まるで土下座をするように悲愴に落ちていく。何も見たくないと目を瞑り、小さなうめき声が静寂たる空間に響いた。

 十字架を照らすスポットライトくらいしか明かりのない部屋は、もはや廃屋の中に漂う空気に満たされていく。


 キスはその状態のまま、しばしの時間を過ごす。車が走り去る音が外から聞こえ始める。すぐに音が去れば、さびれた空間が残るだけ。丸まった体は悲しみに震えているように見えた。


 その時、キスの脳にが飛び込んできた。


 これは教会の存続に導く答えではない。

 あの時と同じ、祈りを捧げていたら不意に見えてきたもの。暗い空間に立つ妙な衣服を纏う者たち。大勢いるようだが、どの人も祭服や修道服を着ていない。ほとんどの人物に面識はないが、エミリオたちもいる。


 しかし、このメンバーの衣服は教会に属する者らしくない。言うならば、武力組織。そして、その一員の中に、キスの顔もあった。集団の先頭に立つ者たちの中に、キスがいたのだ。

 なぜだか分からないが、彼らから恐怖心を抱かなかった。むしろ、彼らは希望のつるぎを持つ戦士に見えた。


 世界のために戦う、気高き者たち。大勢の者たちを率いる9人の戦士たちだけではなく、後ろにいる数えきれない者たちもまた、彼らと同じように青い光を持っている。

 とても強い光だ。その集団の中心では、先陣に立つ者たちよりも遥かに強い輝きを放つ者がいた。は少しずつ彼女にズームしていく。画が彼女の顔に寄った瞬間、花のように凛々しい顔が見えた。

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