karma3 幻

 2時間ほど自主練をした後、氷見野たちは汗を流すためお湯を浴びていく。機体スーツを着て動き回れば、真夏に家の中で大掃除をするくらいの発汗量が出てしまうため、機体スーツ装着後はシャワーを浴びることが必須になってしまう。

 1日3回のシャワーは普通なのだそうだ。そのせいで、ボディソープやシャンプー、トリートメントの減りが早くなるらしい。


 シャワーを終えて楽な普段着に着替えが済み、琴海たちと一緒に更衣室を出る。琴海は最近心配なことがあるようで、藍川にそれをぶつけていた。

 氷見野もそうだが、新隊員になって機体スーツを着ることが多くなったことにより、ずっと温度の高い密閉された空間の中に押し込まれる。すると、自然と髪が蒸れてしまう。髪が濡れる状態が続くことで、髪が傷んでいるのが嫌で仕方がないようだ。


「私も気になるのよね」


 氷見野も会話に入り込む。

 特に琴海や藍川のように若さのアドバンテージがない分、ダメージに敏感になってしまう。攻電即撃部隊everにも女性隊員は何人かいる。氷見野は竹中由姫子隊長を思い出す。戦歴も長いはずなのに、ロングの髪で綺麗だった。


 あの人はどうしているんだろうかと話に出た隊長に聞いてみたかった。いきなりそんな馴れ馴れしく聞いていいものか話していると、すれ違い様に氷見野の足が何かに引っかかった。

 氷見野はバランスを取ろうとしたが、前にいた琴海にぶつかってしまい、倒れてしまう。突然のことに、藍川は倒れた琴海と氷見野を見下ろして呆然とする。

 氷見野たちと対面するように歩いていた3人は、すれ違い様に倒れた氷見野と琴海の姿を立ち止まって振り返ると、哀れな2人の姿を見て口角を上げた。


「おいおい、平坦な廊下でコケてんぞ。これが攻電即撃部隊ever4に選ばれたんだってよ!」


 勝谷は声を張り上げて罵っている。


「あり得ねぇよ」


「な、こんなのが攻電即撃部隊ever4にいたら日本の恥だってのー」


 江夏と町戸がいやらしい笑みを浮かべて勝谷のノリに同調するようにけなす。


「2人とも大丈夫ですか!」


「つっ……」


「ごめん、琴海」


 氷見野は琴海の上からどいて謝るが、兄の目つきに似た怒りの視線を勝谷に注ぐ琴海は、氷見野の謝罪など聞いていない。


「あんたら引っかけたでしょ!?」


 琴海は立ち上がって勝谷に突っかかる。


「ああ? 人聞きの悪いこと言ってんじゃねえよクソガキ」


「足出すタイミングが下手くそだから、私の足にも当たってんのよ!」


 琴海は腹の底から出した声色で負けじと勝谷に対抗する。


「訓練のし過ぎで感覚が麻痺してんだろ」


「それとも、どっかで手に入れたクスリでラリってるせいかもな」


 琴海は歯を食いしばり、小さな声で「ふざけんな」と呟いた。すると、琴海が突然走り出す。


「琴海、ダメ!」


 氷見野は叫んだ。しかし氷見野の制止が耳に留まることはなく、琴海の拳が勝谷に向かって振り抜かれる。軽々とかわした勝谷は琴海の首を掴む。片手で琴海の体を持ち上げ、琴海の背中をおもいっきり壁に押しつけた。


「調子に乗ってんじゃねえよ。機体スーツも着てねえお前を黙らせることなんざ、片手で事足りるくらい簡単なんだよ」


 琴海の首が大きな手に締められていく。苦しそうにもがく琴海の脚は勝谷の腹を蹴っているが、うまく力が入っていないせいでまったく離す様子がない。


「お願い! 離して!」


 氷見野が懇願する。


「聞こえねえなあああ!!!」


「――――っ! っか!! ああ"!」


 琴海はより一層苦しみ出す。

 藍川は氷見野の後ろで密かに攻撃態勢に入る。乾いたばかりの髪が横にはねていく。


「ここで電撃を放てばどうなるか、分かってんだろうなあ?」


 ギラギラとした勝谷の瞳が藍川に注がれる。


「電気系統の破壊。最悪一時的なシステムダウン。予備のケーブルに切り替わってすぐ復旧するだろうが、その間に駐屯地からブリーチャーの報告があったとしても、まずこっちに報告が届くことはない。伝達の遅延の原因が軽率な行為となればインシデントもんだ。万に一つ、俺たちの策謀が発覚したとしても、お前らの電撃で遅延したことに変わりはねえ。その可能性を踏まえた上でやってんだ。軽率以外の何ものでもねえよな?」


 勝谷の不敵な笑みが突き刺さる。


「責任を取らされんのは俺たちだけじゃねえってことだよ」


 江夏は腕組みをしてふんぞり返る。

 藍川は厳しい表情を浮かべ、体の奥から湧き上がる電力の上昇を抑えた。

 琴海の動きが鈍くなっている。顔色もヤバくなっていた。だが身動きを取らせないよう2人の狛犬と仏の顔を被る悪魔が威嚇してくる。誰か助けに来てくれないかと期待するも、遅くに上がったために人通りがなかった。

 不穏な色合いに突き動かされた氷見野は立ち上がる。


「あなたたちの狙いは私でしょ!?」


 氷見野は勝谷たちを煽るように声を張り上げた。氷見野は今までこらえていた怒りを前面に出した表情で、勝谷たちに威勢を張る。


「だったら私に当たればいい。それとも、自分より若い子を相手にしないといけないくらい、臆病なの?」


「……ほう」


 勝谷の手が琴海の首から離れた。壁に押しつけられていた琴海が落とされる。


「上等じゃねぇか。喧嘩を売るくらいの覚悟はあるってわけだ」


 勝谷は血走った目を見開いて前へ躍り出る。氷見野も勝谷に向かって歩き出す。長身の勝谷に怯む様子もなく、氷見野は堂々と歩いていく。


 勝谷もその気になって、下から突き上げる血の高揚のままに氷見野を見据え、どうやって料理するかで頭がいっぱいになる。2人の距離が近づくたびに、誰にでも分かるくらい重たい空気が流れていく。

 おぼろげな意識に映ったかすかな映像。オッドアイの瞳は2人の様子をしっかり見つめていた。小さく動いた唇は声にならず、空気の中に溶ける。


 目の前で鼻を高くしているいい気になったばあさんを再起不能にさせること。勝谷の頭にはそれしかない。体の骨、果ては神経を痛めつけ、再起不能にさせる。穴埋めにもう一度部隊配置が行われ、必ず自分に攻電即撃部隊ever4の椅子が回ってくるはずだと。

 戦う気すら失せるほどに、蹂躙じゅうりんしてやろう。


攻電即撃部隊ever4の新戦力の肝がどれほどものか見せてもらおうぜ」


 町戸は面白がって煽っている。


 攻電即撃部隊ever4に入れなかったことよりも、氷見野優が攻電即撃部隊ever4に入れたことが何よりの仕打ちであったのだ。その屈辱を、いつも腹の底に抱え、この怒りの矛先を向けるべき相手に突きつけて仕返しすることを待っていた。

 勝谷の胸の筋肉が興奮でうずいて細動さいどうする。目の前で堂々と歩いてくる哀れな女の骨を折る感触をイメージして、待ち受ける末路を描いた。

 興奮の中にもちゃんと冷静があると自覚している。勝谷の表情に自信が消えていく。足が止まり、氷見野を見据えた視線が移ろう。

 サワサワと耳の近くで鳴っている音。勝谷は幻を聞いている感覚があった。意識が揺らいでいく。はっきりと氷見野の凛々しい表情が映っているのに、幻覚のように思えてならない。

 氷見野は勝谷から距離を取って立ち止まる。


「私はあなたたちと喧嘩をするつもりはない。だけど、言っておきたいことがあるから」


 氷見野は勇ましく強気な口調で話す。勝谷から少し離れて顔を突き合わす氷見野は、大きく目を見開いて立ち止まっている勝谷と、ガンの飛ばし合いをしているつもりだった。相手が動揺に囚われていることにも気づかないで。


 勝谷の意識は聴覚に向いていた。衣擦れのような小さい音に混じって、人の声が聞こえてくる。

 それは氷見野が口で発している音とは違うらしい。今の先制で突きつけられた。じゃあこの音はなんだと疑問に思いつつ、調子のいいおばさんをさげすむ言動を放つ。


「口には気をつけろ。減らず口が過ぎる時は、その薄汚ねぇツラに青痣つけちまうからよぅ」


 自分の声がこもって聞こえた。おかしい。耳がイカれたと心配になっていたが、耳障りな幻聴の中に、意志のある声が勝谷の脳髄へ入り込んだ。



“ 許さない! ”



 その音は氷見野の声によく似ていた。声はずっと頭の中で繰り返されている。

 勝谷は混乱していく。目の前に立つこのおばさんは、自分に得体の知れない何かをしている。

 どういうカラクリなのかと頭を回す。疑念が口を次いで出ようとしたが、ここでそんなことを口走ったら笑われる気がした。そして、こいつビビってるんじゃないかと。そう思われるのが激しい抵抗を生んだ。口は半開きになって眉の皺を刻む。

 藍川は勝谷の異変に気づいたが、それが何に対してなのか分からなかった。


「おい勝谷、どうした?」


 戸惑いが感染したように江夏が確認する。江夏と町戸にも、勝谷が聞いている声は聞こえてない。手を出せば何をされるか分からない、自身の頭が訴えている。

 幻覚が生じている今、意識をコントロールされでもしたら確実に醜態を晒す。それで攻電即撃部隊everから除隊勧告なんていう無様なことになったら、それこそ人前で顔を出して歩けないほどのはずかしめを受けながら、しばらく送る羽目になるかもしれない。


 勝谷から先ほどのまでの勢いがいつの間にか消え失せ、悔しそうな口元がゆがんで顔を背ける。

 勝谷は氷見野に背を向けて歩き出す。へたり込む琴海の横を素通りし、奥へどんどん進んでいってしまう。困惑を互いに投げ合った町戸と江夏は、狼狽うろたえた声を漏らして勝谷の背を追いかけた。


 思ったよりも冷めた対応だった勝谷に、肩透かしを喰らわされた気分になる氷見野。何が起こった、というか、何も起こってないのになんで? と疑問が残ったが、何事もなくてよかったと安堵が降りてくる。


 危機を脱した氷見野たちは妙な疲れと解放感に流され、ガヤガヤと話し出す。意識の低下が危なげな琴海を心配しつつ、その場を離れた。

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