karma8 門の前
普段講義で使う教室は異様な空気に包まれていた。壇上に講師の人はいないのに誰も話していない。話せる状況ではないというのもあるだろうし、緊張しているのもある。氷見野は両方だった。
受験ってこんな感じだったかもしれないと懐かしみ、周りに散らばる候補生たちを見回す。
みなが長机の端に座っている。長机の両端にいる候補生の距離は人3人分くらい。そんな状態の座席が扇状の教室にずらりと並ぶ。
同じ机を共にする、氷見野がいる席と反対に位置する席には、偶然にも西松清祐がいた。必死になって教科書にかじりついている。アワアワしながら忙しなく教科書のページをめくっていた。
大丈夫かなと心配していたら自分も不安になってしまう。緊張をほぐすため、目を瞑り、深い息を落とした。大丈夫と何度も心で唱えていく。
スーツの人たちが前のドアからぞろぞろと入ってくる。
席に座る候補生たちは視線を注ぐ。試験にこんな必要かというくらいの人が入ってきて、氷見野は驚く。
ガサ入れですか、とトリッキーなツッコみに頭を使っていたら、壇上の真ん中に立った男性が凛々しい表情で試験の開始を告げ、机の上にある教科書などをしまうように促される。
候補生はコネクターの電源を入れていく。電池残量は満タン。試験の途中で電池が切れたら困るのは自分だぞ、と講師に酸っぱく言われていた。
候補生の前に置かれたコネクターの中心部がピンクから一瞬水色に光る。開いていいのかどうか周りの様子を
氷見野は何かあったんだろうかと注視する。候補生はコネクターを持ちながら試験官に何かを言っている。すると、他の試験官がタブレットを持ってきて、候補生に渡した。候補生は指導官にコネクターを渡し、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
壇上の真ん中に立っていた試験官が大きな声で話す。
「お手元にテキストデータが届いているか確認してください」
コネクターの画面を立ち上げる。円形のコネクターの中心部から柔らかい光が上へ広がるように照射され、宙に浮いた四角い画面が表れた。仮想画面を持つように触れ、傾きを調整する。
画面は受信箱の中を映し、【試験1】という名前のテキストデータに、新着の知らせであることがわかるびっくりマークがついていた。
それをつつくと、『このテキストはパスワードが設定されています』と表示される。おそらくこの中に試験問題があるのだろうが、パスワードを知らない。
画面の右端のキーボードアイコンをタッチし、手前にスワイプする。横長のキーボードが手前に出現する。
全候補生の画面に異常がないことが確認されると、壇上の真ん中でスピーチスタンドに両手をついている男性試験官が、テキストデータを開くパスワードを発表した。試験が始まった合図だ。
入力窓にパスワードを打ち込み、問題が表示される。
映像で作られた立体キーボードの上で踊る指先。各ステージでタップダンスが披露されていく。審査員のように候補生の周りを歩く試験官が目を光らせている。試験官はカンニング防止もあるが、コネクタートラブルに対処するためにも立ち会っていた。
連なる文字を読み解き、問われていることを噛み砕く。氷見野は落ち着いていた。キーボードの上で的確に打たれていく。噛みごたえを感じるたびに自信に変わっていくのがわかる。この指先が期待と近い将来を紡いでいくようだった。
試験は終了した。途中休憩を挟みながら240分。緊張から解き放たれる感覚を携え、教室を出た。
「氷見野さん、お疲れーっす!」
西松たちが歩み寄ってくる。試験前の西松の慌てぶりは一夜漬けをしたんだろうと思わせるほど必死な形相だったのに、試験が終わった解放感からハイになっている。
「お疲れ様」
「どうでした?」
興梠は微笑み、少し疲弊した様子で聞く。
「どうだろう……自信ないな。みんなは?」
「できたような、できなかったような?」
「どっちだよ」
御園は鼻で笑って西松にツッコむ。
「いよいよ明日で決まるね」
葛城は高揚の笑みを投げかける。
「次こそはぜってぇ
「意気込みで終わらないようにな」
「氷見野さん、ノーテンキなアホはほっといて行こうぜ」
「お前らひどくね!? 試験中の友達に対する言葉かよ!」
置いて行こうとする御園たちを追いかける西松。
明日は氷見野にとって鬼門だ。試験では男性も女性もない。対等に比べられる。女性だからとか、年だからという言い訳は通用しない。できることはやってきたと胸を張り、意気込む。グッと拳を握りしめ、ガヤガヤとする廊下を歩き出した。
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