karma3 近くて遠い
その後も氷見野は訓練と勉学に明け暮れた。体調を見ながら自主練も欠かさない。時には西松たちと一緒にスパーリングをして、いつか来る戦いの日々のために力をつけていく。そんな日々を送り、夏が来た。
どのメディアを開いても水不足を叫んでいる異常事態となった今年の夏も、節水の呼びかけと共に、水製造事業を担う企業のCMが飛び交っていた。
今や水は富裕層の象徴だ。あらゆる水を買い占め、支配し、制限して売りさばく。それが常とう手段になっていた。しかし、ブリーチャーが住み着いている貯水池じゃないかと眉唾の情報を流されることもあり、水を
ブリーチャーの生活圏ということは、そこにブリーチャーの排泄物が沈殿していると推測でき、流された情報によって一時期、特定の水道事業者の契約数は激減、裁判沙汰にもなりかけた。
安全な水が脅かされていることも明るみになり、不安を募らせているのもつかの間、全国の水道シェア事業組合によって記者会見が行われ、ネットでいつでも貯水池や管理する貯水槽の様子を見られるようにしたと発表する。うちの管理する場所にブリーチャーはいないと示した形となり、不満と不安は終息した。
一方、地下に住まうウォーリアたちは気温という物に鈍感だったりする。他人事ではあるが、それは地上に住んでいるからこそ持つ悩み。地下にいることが義務みたいな風潮になっているウォーリアの立場としては、羨ましい悩みであった。
節水協力のアナウンスが東防衛軍基地内にも一日中流れている。氷見野は今日で三桁くらいは聞いているアナウンスを聞き流しながら、スーパーの野菜売り場を見ていた。
どれもこれも値段が上がっている。しばらくは趣味の料理を控えなければならない。休みのリフレッシュが1つなくなった。ため息を落とし、野菜売り場を離れる。
氷見野はスーパーから出た。買い物袋をさげ、エレベーターに向かう。
それでも、氷見野には自炊が習慣のように身についていた。自炊をしてないと何か失うような気持ちになる。使命とか、義務とか、大層なものじゃない。楽しみであり、自分のライフスタイルの一部なのだ。休みの日くらい普通の人みたく振る舞いたいと思っていた。
部屋に戻り、買い物袋の商品を整理していく。今日の晩御飯を決めようと携帯を取る。点滅する円盤のコネクターが
手慣れた指がコネクターを操作する。円盤の四方にあるボタンが氷見野の指に押されてへこみ、円盤の中心部から文字が浮かび上がる。
『検査のお知らせ――明日の午後2時、研究室までお越しください。ウォーリア研究室』
もうちょっと早く知らせてほしかった。せっかく2連休だと喜んでいたのにと不満が止まらなくなっている自分を制する。
今回連絡を受けた検査は、健康診断とは色合いが異なる。
個人が生体電気を発することのできる量によって、
検査当日。病衣になった氷見野は待合室にいた。
イヤリングやネックレス、時計などの貴金属をつけないようにとの説明を受けて、地味な装いの氷見野は待たされている。窓の外の廊下を右往左往する研究員の姿から忙しさが伝わってきた。狭い待合室には3人掛けの椅子が4つとテレビが1台。他にも検査待ちの候補生はいるが、特に会話をするほど仲のいい人たちでもない。
テレビが話してくれているおかげで気まずさは薄れているものの、なんだかピリピリしている。心当たりはあった。検査が始まる数日前くらいに、西松たちが話していたことが甦る。
この検査もまた、
ウォーリアの特性を向上させる特別な訓練も講義もない。
ネットや口コミでは能力向上の方法がいくつも流れてきた。実際は
そのことは西松たちも知っていた。やってみたが、特に効果はなかったようだ。検査が評価につながるかどうかわからないし、不確かな能力向上の方法をやみくもに試していくのも気が遠くなるだろう。
結局、氷見野は何もせず検査を受けることにした。初めての検査というのもあるが、他の候補生たちが放つ緊張感に感化されそうだった。
待合室のドアが開いた。
「氷見野優さん」
白衣姿の男性がドアから顔を覗かせて呼ぶ。
「はい」
氷見野は立ち上がり、待合室を出ていく。
「検査室までご案内します」
「よろしくお願いします」
氷見野は男性の研究員の後に続く。
廊下は整備フロアと何も変わらない。蛍光灯代わりの白く光る壁が左右から優しく照らす。静かで面白味に欠ける。ドアがあっても窓がなく、中の様子もわからない。ここまで部屋の中が見えない研究室も珍しい気がすると、疑念を持ってしまう。
時折、研究員や他の候補生とすれ違ってく。検査項目によって部屋を何度も変えるため、検査は待つことと移動が大変だと、西松たちは気だるげに話していた。研究員が必ずついてくるのは、好奇心に突き動かされた候補生が検査の移動中に研究フロアを探索し、薬品や研究資料を盗んだ過去があるからだとか。
考え事を巡らせていた氷見野の前から来る女性の研究員。その後ろの人物を捉えた氷見野の目が釘付けになる。
赤茶色の長い髪の少女は、氷見野に視線を向ける。すぐに視線を外し、氷見野とすれ違った。
久々に見たいずなは変わらず元気そうだった。どうやら
氷見野を先導していた研究員がドアを開け、「どうぞ」と促す。氷見野は部屋に入っていく。
検査が終了し、更衣室から出た氷見野は狭い自宅に戻った。椅子にトートバッグを置き、慣れない検査で募った微妙な疲れを落とす。魂が抜けきった体を預けるように、背中をベッドへ倒した。
眠いような眠くないような意識の中でまどろむ。
検査は物々しい機械に囲まれて行われた。過去に一度だけやったことのあるCT検査の機械のようなものの中に体を通されたり、軽く15分くらい首の付け根や頭にコードのつながった洗濯バサミみたいなもので、髪や皮膚をつままれた状態になって放置されたりと、色々やらされる1時間だった。
結果は後日コネクターに送信されるらしい。明日からまた訓練と講義の繰り返しだ。氷見野はゆっくりと体を起こし、鳴りそうなお腹を鎮めるためにキッチンへ向かった。
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