karma7 あと一歩
ここ一週間、氷見野はどこか上の空だった。仕事でもミスをしてしまうほど浮き足立っている。
悩み抜いた。どうなるかはわからない。でも、このまま日々を消化していくだけの日々でいいのか。少しでも彼女の助けになるのなら、どんなに苦しくても、彼女の望んだ未来を叶えてあげたい。
自分の部屋にいた氷見野はバッグの中から携帯を取り出し、メールを開いた。中島とのメールがずらりとある。なんてことないやり取りだ。
お互いの近況や夕食を共にする予約のメール。中島とはたった数週間でこんなに親しくなれている。二回りくらい年齢が離れている人とメールをすることになるなんて、思ってもみなかった。
きっとあっちに行けば、今のようにお互いの部屋を行き来することもできなくなる。せっかく仲良くなれたけど、中島のおかげで自分にも人を守ることができるとわかった。
氷見野はメールを打っていく。白い背景の中に短い言葉。唐突だけど、これが氷見野の答えだ。氷見野は迷うことなく送信ボタンを押した。
氷見野は携帯をローテーブルに置いて、長く息を吸い、吐き出す。うまく行けば、この部屋ともお別れだ。氷見野は平穏な生活にさよならを惜しむように、部屋の中を見回した。
氷見野は居酒屋、お手伝いロボットレンタルサービス店に、12月末で仕事を辞めたいと伝える。アルクと板倉は驚いていたが、最後には「頑張って」と笑顔で応援を送った。
休みの日、氷見野は地下7階の役所を訪れる。
氷見野は国民カードを提出する。受付の女性はカードに埋め込まれたチップを専用リーダーで読み取る。
座ったままデスクの下にある自動発行機に手を伸ばし、紙を取る。
「こちらを基地局に提出してください」
ゆったりとした話し方をする受付の女性は、紙を渡す。
「はい」
氷見野が受け取った紙には【防衛軍入隊申込書】とあった。
氷見野は手元に置かれたもう1枚の紙を手にして、出入り口へ向かう。歩きながら防衛軍入隊申込書をクリアファイルに入れ、バッグにしまう。
今から提出する紙を手に、氷見野は人が変わったように凛々しい顔つきになる。氷見野の手に連れられた紙には、外出届の文字が躍っていた。
20分後、氷見野は無機質な大きいトンネルの中にいた。いつもよりオシャレな服装をし、首回りには見慣れない水色のゴムが装着されている。ブリーチャーに察知されないための乱磁性ループ。ウォーリアから無意識に発せられている電磁低周波を抑えるものだ。
これを装着していることにより、ブリーチャーから襲われるリスクが減少する。しかし、1つの乱磁性ループの効果は2日のみ。その間に基地に戻る必要があった。
どうしても地上で暮らしたいウォーリアは、乱磁性ループの装着を義務付けられる。継続的な装着を怠ったがために被害が出たケースもあり、基地への入所が国の基本的な方針となっていた。
乱磁性ループを着けている人が、知らない人から突然暴言を吐かれるなど、ウォーリア差別も起こっていると聞いたことがある。
ウォーリアと呼ばれた人たちの中でも、様々な信念の下、地上に住むことを決断した者もいた。差別と戦うためにあえて地上に住むことを決断した人たちもまた、
いつでも発進できると言わんばかりに、エンジン音を鳴らした車が停車している。車の前には重厚な隔壁が道を塞いでいた。氷見野は開いていた後部座席のドアから入る。ドアを閉めると、隔壁が大きな音を立ててゆっくり上がっていく。壁横にあるランプが黄色い光を回転させる。
トンネルは入り口が見えないほど長い。隔壁がめいいっぱい上がりきった。ランプが消え、運転手が車を発進させる。トンネルの上部の壁に埋め込んであるライトが、トンネルの中を照らす。
車の窓に映っては後ろに流れていく等間隔に並んだ小さなライト。必死に白く輝こうとしている。私はここを通って来たんだと、地下に来た日のことを思い馳せる。
ボーっとしている間に、車はトンネルを抜けた。眩しい光が車の中に入り込む。地下の中の光とは比べ物にならない。思ったよりも眩しかった。
窓に差し込んでくる光を放つ太陽を見上げる。地下ではすべて壁に囲まれている。機械にも囲まれ続ける毎日で、自然の太陽の光なんて地下に入ってから一度も浴びたことはない。すぐそばには海が見え、左には山林。見たこともない場所だった。
ここは山形。これから行く場所は神奈川にある。長い旅路になると思い、座席の背にもたれて目を瞑った。
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