karma2 死のうわさ

 オレンジ色の街灯の明かりが丸窓から差し込む店内。老舗風な床や壁にかすかな陰影を映す。飾りでガチャガチャしている壁には、埜川葉津子のがわはつこと書かれた扇子や女形のポラロイド写真などが目につく。

 氷見野がなんとなく同僚に聞いたら、「これはすべて店主の趣味で飾っているんだ」と言われた。年配の人に喜ばれるのだそうだ。

 店内が落ち着いた時間にマニアックだなと思いながら内装を見回していると、決して年配の客寄せのために飾っていないことがわかる。最近若い人たちの間で人気となっているFMRフィールドミクセドリアリティの送信機が壁に取りつけられていた。


 FMRフィールドミクセドリアリティは一部の空間において、そこにいないはずの人と共に、同じ現実を過ごす体験ができる技術だ。FMRの送信機が設置されている場所から有効範囲に受信機を持った人物が入れば、仮想空間にいるはずのキャラクターが三次元の世界に出現する。一緒に現実の街を歩きながら話すことも可能だ。

 周りにいる人たちを認識しながら動くバーチャルキャラクターは、まるでその場にいるかのような錯覚を持つとの高い評判がネット上で漂流しているらしい。


 すべての会話内容はホストにインプットされるため、生きた会話をしていると感じさせてくれる。アウトプットする際、個人情報と思われる内容については、TPOに応じてアカウントがいる時しか話さないようプログラムされている。

 また、バーチャルキャラクターは古い記憶は忘れてしまうという人間らしい一面を見せることもある。それらが人気に拍車をかけ、今や友達や恋人よりFMRのキャラクターと遊びに行くという人も少なくない。ただ、同じようなキャラクターが店内に何人もいるカオスな光景に、氷見野はまだ慣れていなかった。


 来る者拒まず、むしろ誰でも来てという内装の店の中、氷見野はテーブル席の食器類を片付け、テーブルを拭いていく。

 年季を感じられるテーブルはいつ付いたかわからない汚れが付いている。よく見ないとわからないので相当潔癖なお客さんじゃないとクレームを言うことはないだろう。

 テーブルに置かれたメニュー表の位置を整え、見映えをよくする。


「なあ、聞いたか?」


「何を?」


「ああ、また攻電即撃部隊everが死んだって」


 近くに座っていた中年男性3人のお客さんの声が聞こえてくる。氷見野は気になってしまい、必要のない他のテーブルのチェックをし出す。


「マジかよ。何人死んだんだ?」


「2人だってよ」


「なんでまた……」


 3人は声を潜めて話しているが、元々声の大きいお客さんたちで、近くにいれば余裕で聞こえる大きさだった。


「ふん、どうせまたやらかしたんだろ」


「違う違う。どうやら今回は隊員のミスってだけの話じゃねぇみてぇだ」


「どういうことだよ?」


「ブリーチャーの新種にやられたらしい」


「は? 新種って、別の種類がまた地球に侵入してきたのか?」


 動揺の声色は氷見野にも伝播でんぱし、頭の隅で転がる記憶を呼び起こす。寒気が氷見野の皮膚を摘まんでくる。


「まあ、噂程度の話だが、どうやら地球で産まれてるらしい」


「じゃあ、ブリーチャーは新種の赤子を産んでるってことかよ。進化するの早くねぇか!?」


「で、普通のブリーチャーとどう違うんだ?」


「俺にもよくわからねぇ。隊員を2人も殺せてしまう力があるってことだけさ。なんせ、情報が制限されてるみたいだからな」


「こえーなぁ、新種とか絶対会いたくない」


「ああ、俺たちが出くわしたら即死だろう」


 男性たちは通夜の帰りのような雰囲気を醸しながら黙ってしまった。氷見野の脳裏に浮かんだ亡骸。そんなことはあってほしくない。でも、それがいずなだったら……。

 氷見野はざわついている心を押し留め、カウンターの裏のキッチンへ向かった。


 氷見野は居酒屋のバイトが終わって店を出る。1、2歩足を踏み出すと、走り出した。エレベーター前に辿りつき、下のボタンを連打する。同じエレベーター前で待っていた数人は、氷見野の様子に困惑しながらあとずさる。


 服の袖を掴み、忙しなく視線が動く氷見野。上下ボタン枠の上に表示される赤いデジタル数字が5になるのを待っているだけで歯がゆさを覚える。そそっかしい様子の氷見野は今しがた会ったばかりの他人が見ても、異様であったと言わざるを得ない。エレベーターに乗り、B8のボタンを押した。

 エレベーターが閉まり、1つ下りただけでエレベーターは開いた。一緒に乗っていた人たちは一様に地下6階で降りていく。エレベーターが閉まり、氷見野だけがエレベーターの中に残された。

 立ち止まっている時間が不快感を増長させる。氷見野は不安げな顔で電子板に表示された数字を見つめ続ける。


 エレベーターのドアが開ききる前に氷見野は飛び出した。地下8階の通路を歩いていた白衣姿の人たちは、血相のすぐれない走っていく氷見野を呆然と見送る。氷見野の目に見えてきた観音扉。氷見野の足がゆっくり減速する。荒々しい呼吸をつきながら、扉横のインターホンを押した。


「はい」


 氷見野はわずかに口の中にある唾を飲み込む。


「氷見野優です。あの、聞きたいことがありまして、お時間ありませんでしょうか」


「ああ、いいですよ。今開けますから、勝手に入ってきてください」


 扉が空気の抜ける音を立てる。氷見野は痺れる感覚を携えた両手で扉を押した。

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