karma3 氷見野優の怒り
地下シェルターに来て1ヶ月が経った。通院の甲斐あって着実に脚は治ってきている。ギプスが外され、薬を飲むだけ。松葉づえも必要なくなり、大抵のことは自分でできるようになった。
ギプスが外れて嬉しかったのは、なんと言っても手間をかけずにシャワーを浴びてもいいこと。ギプスを濡らさないためにはカバーを装着して入らなければならず、片足が使えないために壁に手をつきながら浴室へ移動していた。それがめんどくさくなって清拭で済ます日々を送っていたのだ。
煩わしいことが減って、シャワーが入れる。水を得た魚の気分だった。
氷見野はユニットバスから出る。濡れたセミロングの茶色の髪の上にタオルを被せたまま冷蔵庫に近づき、ペットボトルに入ったお茶を取り出す。お茶を新品のプラスチックのコップに注ぎ、口に運ぶ。少しの苦味を持った冷たさが喉を通っていく。息を吐き出し、ベッドに腰かける。
ベッドの近くに置いたローテーブルの上にはパソコンがあった。家から送ってもらった愛着のあるパソコンは、たくさんの料理画像を表示している。
以前から利用していた料理交流サイトの仲間に今まで顔を出さなかったことを詫び、再び交流ができることを喜び合って、早速みんなの料理を見ている。
部屋の中は物が増え、様変わりした部屋。綺麗に整頓され、床はピカピカ。主婦スキルを存分に発揮させて久しぶりに掃除したのだ。氷見野は充実した一人暮らしを満喫していた。
その午後、氷見野は地下5階にあるカフェで雑誌を読んでいる。買い物の途中で雑誌が目につき、ついつい買ってしまった。ちょっとだけ現実逃避をしたかったのだ。
仕事をするにしても、何をしようかと悩む。今の生活レベルを維持したまま貯金をしていくには、正社員か契約社員くらいの給料が必要だった。バイトなら最低でも2つを掛け持ちして、週4でみっちり働く。
そこにバリエーションを加えるのもいいかもしれないと入念に考えていたら、頭がオーバーヒートして疲れてしまったのだ。だから、このオシャレで落ち着く店内でカプチーノを飲みながらファッション雑誌を読んでいる。
オレンジの床と壁。壁には黒塗りの人のシルエットが描かれており、丸い照明が壁と天井に点在していた。氷見野は雑誌に書かれた啓発的な人生の生き方みたいなページをふむふむと熟読していく。
すると、店の外から歓声が聞こえてきた。なんだろうかと外に視線を振ったが、店の窓からは見えない。
氷見野は気になったついでにお店を出ようと思った。
店を出て、歓声が聞こえる方向へ向かう。広場に出ると、特設ステージが設けられていた。地面から1メートルほど上がったステージの床下は骨組みが丸出し。とても手作り感のあるステージだった。
アルバイトがプラカードを持って、通行人が行き交うステージに近い通りで宣伝している。観客はステージに正面を向けて椅子に座っている。席はいっぱいで、設けられた椅子に座れなかった人たちは立ち見をしていた。
黄色のスーツを着た司会者らしき男性がステージ端に設置された台の前で、ステージ中央にいる人たちに笑みを投げかけながら話している。
ステージ中央で椅子に座っている人が3人。その真ん中にいずなが座っていた。両横にいる人も
氷見野は気になって、人だかりの後ろで見学しようとする。
観客席は年配の人が多く見受けられた。楽しげな笑い声、司会者のマイクを通した軽快な話術。和やかな雰囲気の中心にいるのは、
いずなたち
ここの人は
ステージでは隊員の日々の生活について話が及び、面白いエピソードを屈強な体つきをした金髪の男が話している。いずなが日常生活でドジを踏んだ話をしているようで、いずなは不満そうに金髪の男を睨んでいた。その話を聞いて会場が沸く。
誰も彼も腐ってる。未成年を戦場に出すことをよしとするなんて。理解できない空気が吸いたくなくて、無意識に何度も息を止めていた。
彼女がそれを受け入れていることが
「おー怖い怖い。そんな物騒な顔つきでみんでくれよ」
突然聞こえてきたしゃがれた声。氷見野は視線を向ける。
いつの間にか腰の曲がった白髪のおじいさんが氷見野の隣にいた。杖で体を支え、上目遣いで丸眼鏡の奥のつぶらな瞳を向けてきていた。
氷見野は突如指摘されて、「すみません、私、そんな怖い顔してました?」とぎこちない笑みで尋ねた。
「ああ、すごかったよ。般若みたいだった」
おじいさんは皺のある顔で笑う。
「見ない顔だな。最近来た人かい?」
「はい……」
「そうかそうか。大変だったろ」
「そう……ですね」
氷見野は苦笑を零す。
「そろそろお時間が来てしまったようです。これにて、
司会者がそう締めると、会場が拍手に包まれた。いずなたちは手を振りながらステージを下りていく。軍服を着た人たちに囲まれて、通路の奥へと消えていった。
イベントを見ていた人たちは散らばっていく。
「あんたさん、そこのベンチで少し話さないか?」
「あ、はい……」
氷見野は思わず頷いてしまった。おじいさんは微笑み、通路の端にあるベンチに向かってしまう。腕時計を見て時間を確認し、ま、いっかとおじいさんの後をついていく。
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