~閉じられた幕の先へ~・2

――どうして自分は独りだった?


 どんな生き物にも、親はいるだろう。


 けれども自分の覚えている限りの記憶では、両親の姿はなく、気付いたらシブースト村のはずれにある森で、獣らしく自給自足の暮らしをしていた。


 そういえば、狩りはどうして知っていたのだろう。


 自分が聖依獣であることも、聖依術のことも、どうして……


『知りたいか?』

(……え?)


 意識の海を漂っていたシュクルの頭に響いたのは、世界の終わりを告げたあの声。

 忘れようはずもない“総てに餓えし者”のものだった。


『物心つく前の記憶など普通は鮮明に思い出せないだろう。けど、私ならそれを引き出せると言ったら……?』


 嘘みたいに甘やかな囁きがシュクルの内側に浸透していく。


(……騙されぬぞ。そうやって、モラセス王や他の者の心を弄んで、意のままにしてきた貴様の甘言など……)

『そうやって身の丈に合わない言葉を選んで、小さく見られないよう虚勢を張って、そうならざるをえなかったのは独りだったからだね?』


 君はまだまだ甘えたい子供なのに。


(――っ! うるさいうるさい、黙れ!)

『いいかい、君を独りにしたのは……――』


 いくら喚いてもシュクルに拒否権はなく、周囲の景色ががらりと変わる。


 緑に囲まれたそこは……聖霊の森。

 聖依獣の夫婦が仲睦まじく並んで歩いており、彼等の間にたどたどしい足取りのウサギ……ではなく、今より一回りほど小さなシュクルがいた。


(あれは、余……それに、余の両親……なのか?)


 口では拒絶していたが、いざ目の前に見せられた光景に釘付けになった。


 四足歩行はシュクルと同じで、母親は淡い桃色のやわらかな体毛で優しげな面差しの、父親は山吹色をした穏やかそうな獣だ。

 父親の首には、立派な蛍煌石が飾られた首輪があった。


 両親など見覚えのないはずなのに、何故かひどく懐かしく、いとおしく思えた。


「綺麗な森……たまにはこうやってアラカルティアを散歩するのもいいわね、カルバドス」

「ああ、ファリーヌ。ここは人間もあまり来ないし、里への入り口も近いからな」


 シュクルも、楽しいだろう?


 父親にそう言われて素直に頷く子供は、心から嬉しそうな顔をしていた。


 しかしごく普通の幸せに包まれた家族に見えるが、現在のシュクルにはそれがない。


 その事実が意味する結末は……知りたくない。知らないでいい。


 嫌な予感に我知らず尻尾を丸めるシュクルの怯えをよそに、忘却の彼方だったそれはぼやけることなく進んでいく。


『ほら、役者の登場だ』


 靴が土を踏む音が妙に耳につき、言い知れぬ悪寒が駆け抜けた。


「にん、げん……?」


 だらしなく背筋を丸め項垂れる人間が、虚ろな瞳に聖依獣の一家を映す。


「聖依獣……きさ、貴様らのせい、で……」

「な、なんだこいつ、何かおかしいぞ……!」


 ふらふらしながら近寄ってきた男がおもむろに顔を上げるとカルバドス達が息を呑んだ。

 頬まで侵食している人間のそれとは異なる黒い皮膚……現在のシュクルなら、それは“総てに餓えし者”の眷属によるものだとすぐにわかる。


『そう、これからお前の家族は壊される……この人間のせいでな』

(……!)


 異常な状態とはいえ、人間を憎んでいる訳でもない彼等に人の形を保っているこの男を攻撃できるはずもなかった。


 不気味な威圧感に屈した幼い聖依獣が、うまく動かない足で逃げようとするが……


「まずはお前からだ」

「ひっ!」

「シュクル、危ないっ!」


 凶刃が肉を裂く嫌な音が、静かな森に響いた。

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