~決別~・2

 デューがまだ記憶喪失になったばかりの頃、最初の冒険もこの聖霊の森だった。

 出会って間もないミレニアと共に、シナモンを探しにやって来たここにはシュクルもいて……


「感傷に浸ってる暇はなさそうだな、嫌な予感がする」


 入口付近に足を踏み入れたところだというのに早速そんなことを呟くデューに「脅かさないでくださいよ」とリュナン。

 しかしその直感は、頭巾の下の耳をぴこりと動かしたカッセの言葉に裏付けされることになる。


「暫し静かに……なにか聴こえる」


 人より感度の良い彼の、人のものではない耳は遠く微かな物音を察知したようだ。


「これは、話し声……花畑の方でござる!」





――時間は少し遡る。


 森の奥深く、緑に隠されるように存在している花畑。

 石碑を背に、細身の長剣を手に。石像の如く動かずただそこに座していた騎士の、閉ざされた瞼が静かに開く。


「……ここにいれば会えると思っていた」


 背中まで伸ばした淡い金髪を緩く括り、顔の左半分を布製の眼帯で覆っているがそれでも隠しきれない傷跡が彼の過去を物語っている。

 年のころはガトーやトリフと同じか少し上だが、鍛え上げられ引き締まった肉体は若い騎士にも引けを取らないだろう。


「何故ここがわかった」


 騎士の目の前に音もなく姿を現したのは彼が仕える主君、変わり果てたモラセス王。

 城にいた時に纏っていた衣服ももはや必要なくなり、その大半を黒く異質な皮膚に覆われて表面的には魔物そのものとなった上半身を隠すことなく晒している。

 そんなモラセスの姿に、騎士は藍鼠の目を苦しげに細めた。


「父から……ブオルから密かに聞かされておりました」


 懐かしい場所で聞く懐かしい名前に王が僅かに片眉を上げる。

 騎士は四十余年前ここで起きた事件の唯一の目撃者、当時の騎士団長ブオルの息子であった。


「……そうか。ならばどうする、スタード?」

「今は亡き父の代わりに、貴方を止めねばなりません」


 スタード、と呼ばれた騎士は剣を眼前に掲げ、詠唱を始める。

 間髪入れずに閃いた風の刃が、飛び退いた王の白髪を掠めた。


「ほう、私を止めるか?」


 王は口許を歪ませると両翼で羽ばたき、一気に距離を詰めてスタードに腕を振るう。

 咄嗟に剣で防いだ騎士の腕に重い衝撃が伝わり、ぎりりと歯を食い縛る。


「ぐっ……」

「前線を退いて腕が落ちたか? ……いや、鈍っているな、これは迷いか。狂った王を討ち取るには、それでは足りぬよ」


 硬く冷たい魔物の皮膚に覆われた王の右腕が剣をものともせずに押し返す。

 分が悪い体勢から一旦離れると、スタードは刃先を降ろし荒く息を吐いた。


「……城に、お戻り下さい。今ならまだ……」


 だが、彼の言葉が終わらないうちにモラセスの目の色が変わる。


「まだ? 何がまだだ! ブオルも死に、娘も失い、ガトーも、ルセットも、皆、みんな去って行った……もう俺にはカミベルしかいない!」

「モラセ、……っ!」


 激昂した王は素早くスタードの前に迫り首を掴むと、軽々とその体躯を持ち上げた。

 がっちりつかまえたそれはいくらスタードがもがいてもびくともせず、地につかない足が虚しく空を蹴る。


「がっ、うぁ……」

「ここでは戦いたくない。そろそろ終わりにしてやろう」


 ス、と切れ長の目が鋭く細まり、王の足元から延びる影の触手がスタードを貫いた。


「――ッ!」


 衝撃に硬直し、直後だらりと脱力した肢体を乱暴に投げ捨てると、何人もの足音が近付くのを尻目に王は姿を消す。


「……討……わけ、ないだろ……」


 貴方は、王なのだから。


 ひどくゆっくりに感じる時の中で、スタードは掠れてほとんど音にならぬ声をぽつぽつと零した。

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