第73話 その意味さえ知らぬまま

 世界が変わろうとしている。

 正確には、世界の方ではなく。自分たちの世界の見方が変わろうとしている。


 ここ数日の、連日の新発見に。探索隊のメンバーも、女神アウロラも、そして氷都市の人々にも。そんな予感が訪れていた。


 揺籃の星窟の探索も、だいぶ進んできていた。迷宮内のマッピングが進み、アウロラの索敵サポートのおかげもあって、余計な戦闘を回避して探索に専念できるようになったのが大きい。

 また、探索の費用面でも。星獣の生態解明や未知の紋章の探求に前向きな紋章院が報酬を出してくれた。さらには揺籃の星窟の利用価値に目をつけたオティス商会からも援助の申し出があったため、アルバイトに時間を奪われることなく探索に専念できる。


 第二小隊、マリスたちのパーティは。ある場面では隠密行動に長けたマリスの盗賊技能を活かし、またある場面ではクロノが精神体となって先行偵察に貢献し。オリヒメもアラクネ族の糸をロープ代わりに崖の上り下りを助けたり、ゾーラは溶岩を石化光線で固めて先へ進む足場を確保するなど。人数は少ないものの、探索面で順調に成果をあげていた。


「みんなのおかげで、だいぶはかどってるよ」


 マリスが、ぶくぶくと泡立つ湯に浸かりながらリラックスしている。探索の途中で火の星霊力と水の星霊力が上手いバランスで湧き出ている温泉を見つけたのだ。ぬるめの湯は高濃度の炭酸泉であるらしく、疲れが溶けていくような心地良さがあった。


「水着で探索にして、大正解っすね!」

「そうね」


 少し離れたところで、ゾーラもオリヒメと一緒に入浴していた。マリスは黒いビキニにホットパンツ、ゾーラとオリヒメも水着コンでの装いそのままで、クロノも黒いサーフパンツにパーカー姿だ。


「かなり深いところまで来たな」


 女子三人が、温泉でかなり気を緩めていることもあってか。クロノはマリスの隣で一緒に温泉に浸かりつつも、周囲への警戒は怠らなかった。


「ねぇ、クロノ」

「何だ?」


 ふと、マリスが顔を近づけてくる。その近さは完全に恋人の間合いだが、クロノもマリスのことはパートナーとして信頼しているので特に気にしない。


「クロノはさ、もし記憶が戻って地球で元の身体に戻れたら何がしたい?ボクも地球に行って、一緒に付き合ってあげるよ」


 マリスが自分の生い立ちを、クロノに打ち明ける。異世界「はじまりの地」のある犯罪都市のスラム街で親も知らぬ孤児として生まれ育ち、悪魔の力を身に宿すダイモニオンの素質があった故に冒険者となって成り上がり。百万の勇者ミリオンズブレイブの一行に加わることができた。

 しかし、おそらくは「いばら姫の道化」の企みなのだろう。悪魔ダイモンたちの暴走と反乱にまつわる事件により、ダイモニオンの存在は百万の勇者たちからも危険視され、数多くのダイモニオン能力者が勇者の一行から追放された。

 その後の彼らの末路は惨憺たるもので、信頼していた仲間に裏切られた心の傷から精神を病み、悪魔の制御を失い力に飲み込まれる者が多数出た。まさにそれが道化の狙いで、多くのダイモニオンが生きながらにしてアニメイテッドのような心持たぬ操り人形へと仕立て上げられ、かつての仲間たちと殺しあう結果を生んだ。


「それでね、ボクは力の暴走に飲み込まれるのを防ぐため。それまで苦楽を共にしてきた相棒のダイモンと別れる道を選んだんだ」


 ゾーラもオリヒメも、黙って話を聞いている。その時のマリスからは、普段の元気さや図々しさがすっかり消え失せて。まるで彼女に似つかわしくない繊細な、折れてしまいそうな儚ささえもが感じられていた。

 そんなマリスを、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるクロノだが。今は言葉少なに聞き役に徹する。


「そうか…」


 普段のマリスの振る舞いは、もしかしたらそんな辛い過去に押し潰されまいとして身につけたものなのかもしれないと。クロノはそう思った。


「ボクの下した判断も結局、ダイモニオンを追放した当時の百万の勇者たちと変わらなかったのかもしれない。でもね、そんなときにマリカちゃんと夢で会ったんだ」


 現在のマリスがその身に宿している、マリスとそっくりな夢渡りの民の少女マリカ。今ではすっかり一心同体の、切っても切れないパートナー。


「マリカちゃんもね、自分の世界で居場所を無くして迷子だったんだ」


 夢渡りの民。自由自在に夢を渡り、氷都市や百万の勇者たちに協力する謎多き種族の語られざる秘密を、マリスは三人に打ち明けることにした。そうすることが、ここまで共に困難を乗り越えてきた仲間への信頼の証だったから。


「夢渡りの民ってさ、各世界の『夢を見る知的種族』の中から生まれてきて。自分が世界の誰からも必要とされてない、ここは自分の居場所じゃないって真に自覚したとき。ほんとうの姿に目覚めるんだ。そんな者同士、ボクとマリカちゃんは夢渡りでたどり着く場所が同じだったのかな」


 そこは、南国の無人島のような異世界だったとマリスは語る。しかし空は異様な光景で、サイケデリックな色彩にあふれている上に。他の様々な世界の風景が、空に映り込んでいた。


「マリス…それって」

「そう。初めてクロノと出会った場所だよ」


 クロノの表情に、驚きの色が浮かぶ。


「地球でこんな話を聞いた。世界中の海に捨てられたゴミが、潮の流れに乗ってひとつに集まる海域があるという。オレとマリスが出会った無人島は…」

「そうだよ。たぶん、多元宇宙のあらゆる世界から捨てられた『ゴミ』が、オーロラの道を漂流した先に流れ付く世界だと思う」


 話のスケールの大きさに、ゾーラとオリヒメが思わず顔を見合わせた。


「でもさ、ボクたちってゴミなんかじゃないよね。悲しみもすれば笑いもする、憎みもすれば愛しもする、感情を持った人間だよね」

「もちろんだ。オレたちはゴミじゃないし、幸せになる権利だってある」


 クロノがうなずく。もし、自分が誰かに捨てられそこへ流れ着いたのだとしても。


「だから、ボクは別れた相棒の代わりにマリカちゃんを受け入れて、ひとつになった。そして、夢渡りの民として生きてくことに決めたのさ」

「オレも、地球人から目覚めた夢渡りの民なのかもな」


 まるで、親を無くした…あるいは親に捨てられた孤児たちがお互い身を寄せ合うようにして。クロノはマリスの手をとった。そうして見つめ合い、絆を深めあう。

 それは、傷の舐め合いなのかもしれない。信頼というより、依存に近いのかもしれない。けれども、そこには痛いほど純粋な愛がある。オリヒメはそう思った。


「お二人とも、お話ありがとっす。で、こうあったかい温泉に浸かって、さらに熱々カップルの惚気を聞かされると…さすがにのぼせてきちゃうっすね」


 ゾーラがお得意のユーモアを交えて、上気した頰で温泉から立ち上がる。そして、大きく伸びをした。


「故郷で疎まれたのは、私たちの先祖だって同じ。でもそんな疎外された者たちでも輝ける、敗者復活の場所があっていいじゃない。私にとっての氷都市は、そんなところよ」


 オリヒメも、目元はぱっつんに切り揃えた前髪で見えないものの。口元に笑みを浮かべて、湯から上がった。


「最初の問いに答えよう」


 クロノが立ち上がって、マリスを見る。もし地球へ帰ったら、何をしたいか。


「やっぱり、南国の砂浜でのんびりしたいかもな。こう冬ばかりの世界だと」

「ボクも賛成っ♪」


 マリスもガバッと立ち上がって、クロノに抱きついた。そして軽くキスする。


「さぁ、探索再開と行こうか。きっと最深部は近いと思うよ」


 クロノもマリスを抱き返す。そうして離れた後には、マリスはいつもの調子に戻っていた。


 それから、ほどなくして。マリスたちは、かなり広い空間に出た。これまででも最大級の大空洞だ。天井も高い。


「待って、嫌な予感がする」


 仲間を手で制して、マリスが油断なく周囲を探る。すると、周囲に林立する鍾乳石の石柱や石筍の影から隠れ潜む敵の気配を感じた。


「今回は、堂々の一騎打ちとかじゃないみたいっすね」

「…数が多いよ。十数体…もしかしたら数十体」


 マリスの研ぎ澄まされた感覚が危険を告げると、残りの三人も警戒の色を強める。


「モンスターハウスか」


 クロノの身体が透き通ってゆく。精神体になって、偵察役を買って出るのだろう。


「気をつけてね」


 オリヒメは、背中の星蜘蛛ヒザマルを実体化させて辺りを警戒しつつ。クロノの無事を願った。


「もうここで引き返すのは確定だけど、氷都市に帰って作戦会議の前に敵の規模を知っておきたいからね。ここはクロノに偵察をお願いするよ」


 マリスがリーダーとして判断を下す。なら役目を果たすまでだと、クロノはうなずいた。

 そこで、アウロラから異世界テレビフリズスキャルヴを通じた通信が入る。


「私の索敵サポートも精度が落ちています。周囲に満ちる星霊力が濃密過ぎて、それが星獣なのか、単に空間に満ちた星霊力なのかの判別が困難になってきています」

「それなら、なおさらオレが行かないとな」


 視界が、まるでドローンを飛ばすかのように上昇する。クロノは精神体でゆっくり飛びながら、洞窟の天井付近から敵の分布を探った。

 ユッフィーたちが交戦した、火牛の星獣がうじゃうじゃいる。あれらに一斉に突撃されたら、四人だけではどうしようもない。空中にも、火の鳥が多数巡回している。さらには、クワンダたちですら苦戦を強いられたケルベロスが複数。ざっと見て十体は下らない数が、一定間隔ごとに配置されていた。その陣形はあたかも軍隊のような、統率の整ったものだ。


(ボスの幻星獣ケルベルスに率いられてるか…厄介だな)


 さらに先へ進むと、洞窟は行き止まりになっており。壁には三つの大きな扉があった。それぞれ、特徴的なレリーフの施された扉だ。


(これは…夏のレリーフの扉に似せたのか?)


 絵柄は違うが、ステンドグラスを模したような色鮮やかな装飾の扉だ。それぞれ、右から順に。


 蝶のレリーフが施された、右端の青紫の扉。

 狼のレリーフが施された、中央の白銀の扉。

 悪魔のレリーフが施された、左端の黒い扉。 


 さらに、扉に近づいてよく見ようとすると。クロノの脳裏に低い男性の声が響いてくる。


(幻星獣の与えし創世の試練に挑む資格を持つ者、それぞれの扉より奥へ進むべし。試練の完遂あるまで、退くことまかりならぬ)


 三つの扉の装飾に選ばれたシンボルは。蝶は、背中に妖精竜の星獣ボルクスを宿すユッフィー。狼は、銀牙の槍の使い手クワンダ。悪魔は、ダイモニオンであるマリスを指しているように思われた。


(わざわざ、ご丁寧にな。ボス戦になったら引き返せないと説明していて、入る扉も分かりやすく指定している。罠の可能性はゼロじゃないが、ケルベルスは地球人の知識を吸い上げて「創世の試練」とやらを作り上げたのか、RPGじみた演出だな)


 良くあるライトノベルのように、異世界に転移したら何の理由も無しに「ゲームのような世界」になっていたわけではない。ここでは、あの水着コンで流行った背中の星獣ペイントを契機として目覚め、知性を獲得した幻星獣ケルベルスに地球人の持つ神話やRPGの知識が流れ込んだ。

 その再現として、洞窟内を巡回する強敵としてのケルベロスが作られた。そう考えるのが自然だろう。


(ここで悩んでいても仕方ない。後は氷都市へ帰還し、地球にいるユッフィーたちの準備が整うのを待って決戦に臨むか)


 創世の試練とは、具体的に何を指すのか。その意味さえ知らぬまま…クロノたちは揺籃の星窟、最深部の大空洞から一時撤退する。再訪の日は近いと予感しながら。

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