第53話 帰れない三人
失われたはずの記憶が、頭の中に満ちてくる。
黒衣の少年は、異世界の夢を見ていた。
(そうか…オレの名前は…)
目を覚ますと、そこは洞窟の中だった。外は酷い嵐だ。キャンプの焚き火の隣には、栗色の髪のボーイッシュな女性が座っている。雨で濡れた衣服を焚き火で乾かしている最中で、素肌にまとっているのはマントだけの悩ましい格好だ。少年もまた、黒衣を脱いで肌着だけで毛布に包まっていた。
「あ、起きた?さっきから何度も起こそうとしたんだけど」
「何かあったか?マリス」
マリスと呼ばれた女性が、少年の顔をのぞき込む。少年は全く動じることもなく、マリスの顔を見つめ返した。
「何かあったか、じゃないの。あいつら、最前線の方に行っちゃったよ」
「最前線?」
耳慣れない言葉に、少年がけげんそうな顔をする。
「
それらの名前には、少年も覚えがあった。マリスから話を聞いたこともあるし、夢の中でも何度か聞いた。
「罪も無いお前を追放した、勇者とは名ばかりの卑怯者と。そいつらを罠にはめた狂信者どもか」
「そうだよ。あいつら、キミが追い回してる間に結構強くなったけど。このままじゃ殺されちゃうよ」
少年が、さらに不思議そうな顔をする。
「殺され…いや、やられても夢落ちで地球に帰るだけじゃないか?」
「
少年の顔が嫌そうに歪む。
「本当か!?」
「とにかく、これを見て」
マリスが何もない空中に両手を差し入れて、左右に開く。すると、空間に穴がこじ開けられた。穴の中には、どこか別の場所の光景が映し出されている。
「
「ジュウゾウ、そっちはどうだ!」
「弾幕を浴びせているが、効いた様子が無い。例のガキみたいにすり抜けるんじゃなく、弾かれてるんだ」
「三十六計、逃げるに如かずです!」
「おいポンタ、慌てるな!」
地球人を含めた、全ての知的生命体は。夜、眠っている間に精神だけが身体を抜け出して…どこかの異世界で冒険している。その行き先は、もちろんバルハリアだけではない。
「あの三人、
異界の森の中で、三人の冒険者たちを追う者の姿は。かつて百万の勇者たちが倒したはずの、そしてミキの宿敵である道化の外見そのままだった。
「あいつらを助けよう!キミだって、殺すつもりは無いんでしょう?」
「死んじまったら、罪を償わせることもできないからな」
少年が急いで身支度を整える。毛布を畳んで丸めてリュックへ押し込み、生乾きだが黒衣を身にまとい、杖を手にする。マリスも素早くチューブトップとホットパンツを身につけ、マントを羽織り、
「忘れ物、無いよね?」
「大丈夫だ」
最後に、リュックを背負った少年が焚き火を踏み消す。
「ああ、そうだ」
「なあに?」
「オレはクロノだ」
マリスの表情に、驚きの色が浮かぶ。
「記憶が戻ったの!?」
「そう名乗ることにした。いつまでも名無しじゃ困るだろ」
「うん、そうだね。よろしくクロノ」
マリスがクロノに、軽くキスをする。クロノも軽くハグをして、肩をポンポンと叩いた。
「改めてよろしくな、マリス」
「じゃあクロノ、飛び込むよ!」
マリスが空間の穴に手を突っ込み、さらに上下左右に押し開いた。もう、人一人が入れるほどの大きさだ。穴には、道化に追われる三人の姿が大写しになっている。
「先に行って。向こうでの会話は念話を使うよ」
「オレは奴らに面が割れてる。顔を見せても、逃げられるだけだ。だから、精神体になって森の上空から援護しよう」
「分かったよ」
クロノが、異界の森へ通じる穴に飛び込む。マリスもすぐ、後に続いた。ふたりが飛び込んだ後、穴は音もなく静かに小さくなり。やがて完全に閉じていった。
三人の冒険者は、川沿いの林を走っていた。時刻は夜。空には地球で見るような美しい満月が浮かび、川に沿って立ち並ぶ柳が風にそよぐ。今にも幽霊か妖怪が現れそうな、中華風の雰囲気があった。けれど必死に逃げる三人には、当然景色を楽しむ余裕などない。
「こんなところに、異界の冒険者。さてはアナタたち、百万の勇者ですね?」
「知らねぇよ!人違いだ!!」
他の二人から社長と呼ばれている、剣士風の男が叫びながらも死にそうな顔で走る。臆病なポンタはもちろん、冷静沈着なジュウゾウでさえ余裕のない状況だ。
「ここは
「…何だか知らんが、マズいところに迷い込んだようだな」
「だから、嫌な予感がしたんですよ!」
ジュウゾウが顔をしかめる。ポンタは占いの結果を信じないからこうなったと不満そうだ。
「まあ、夢渡りの冒険者だったとしても…たっぷり恐怖と絶望を味わせて
道化がそうつぶやいた直後、逃げる三人の進行方向から突然閃光が走った。
「うおッ!まぶしいッ!!」
思わず目を閉じ、立ちすくんでしまう三人。その横を黄金色の光線が通り抜けて、高速で玉乗りしながら疾走していた道化に直撃する。光線はまっすぐ放たれていたにも関わらず、直前で三人だけを迂回するようにカーブし、三人の影から不意を突く形で道化を強襲していた。
「ぐおっ、何ですか!?」
思わず玉から落ち、転倒する道化。我に返った三人が前を見ると、そこにはフード付きマントをかぶった小柄な人影が
「てめぇ誰だ!危ねぇじゃねぇか!!」
「いいから逃げな、おっさん!」
片手半剣の粗野な男が声を荒げると、活発な女性の声が返ってくる。
「どうやら、敵じゃなさそうだな」
殺し屋ジュウゾウがフードの女を見定める。フードの奥からは、鋭い眼光が三人の背後に倒れている道化へと向けられていた。
「どなたか知りませんが、ありがとうございます。では我々はこれで…!」
陰陽師ポンタが周囲に呪符をばらまく。するとそれらは風船が膨らむように三人組そっくりな姿に変わっていき、等身大にまでなるとそれぞれがバラバラな方向へ逃げていく。近くで見るとその作りは荒いが、遠目から見てターゲットを誤認させるには十分だ。本物の三人組も、それに紛れてその場から上手く逃げ出した。
「アナタ、何者ですか?」
道化が、糸で吊り上げられたような不自然な起き上がり方をする。その人形のような目からは、氷のように冷たく、射抜くような殺気を帯びたまなざしがフードの女へ放たれている。
「あんたに名乗る名は無いよ。海賊参上、とでも言っておこうか」
そこへ、精神体となって上空から推移を見守っていたクロノから思念が飛ぶ。
(マリス、面倒なことになった)
(なに?こっちは庭師と交戦中だよ)
クロノから、彼の見ているイメージがマリスに送られてくる。異界の森の中を逃げる三人組を、上から見下ろす視点の映像だ。その三人組の進路の先には…また別の魔物から逃げている最中の、女の子の二人組が見えた。格好からして、一人は異界の冒険者。もう一人は中華風の服を着た、現地の住民のようだった。
このまま進めば、三人組と女の子たちが鉢合わせする。しかも、女の子たちを追う魔物の数は相当なものだ。
(ああもう!そっちは適当に頼むよ)
(オレが直接介入すると面倒そうだが…)
(こっちは適度に足止めしたら、夢渡りで撤退するよ。その後で、そっちにも迎えのゲートを開く。なるべく全員を庭師から遠ざけてね)
(分かった)
思念と思念で会話する念話は、一瞬の間に大量の情報量をやりとりできる。そのため、マリスは対峙している道化に隙を見せることなくクロノとの通信に対応できた。
「ちょっと分が悪いけど、甘く見たら死ぬからね。ボクをなめるんじゃないよ」
「あの三人をかばって、足止めですか。百万の勇者の考えそうなことです」
「その名で呼ぶな!あんな卑怯者!!」
マリスから、周りの空気を震わせるような気迫が放たれる。そして瞳が青く光り、蒼きオーラの炎があふれ出る。
「やはり、蒼の勇者!ですが彼らを嫌っている…となると、彼らが追放した
「その事件だって、元はお前らの陰謀でしょ?ここでシメてやるよ」
本気のマリスが海賊刀を構えて道化に肉薄する。その踏み込みの風圧でフードがめくれ、怒りに燃えるマリスの素顔が表れる。無敵のカラクリを誇る庭師と、それすら見破るアウトローの女傑との激突が始まった。
「パンちゃん、ここを切り抜けたら氷都市まで逃がしてあげるね!あそこには親友のミキちゃんがいるから!」
ピンクの髪をサイドテールにまとめ、ワンピースのスカートに赤系の革鎧を着て弓矢を携えた少女が。もう一人の少女の手を引いて走っている。
「レティスちゃん、ありがとなの!」
パンと呼ばれた、中華風の装いの少女が無邪気に微笑む。身体能力は意外に高いようで、息を切らしている様子もない。そして彼女の肌は、まるで死人のように青白かった。
レティスと呼ばれた少女は、パンの微笑みに癒されて少しの元気を取り戻す。それから勇気を振り絞り、迫り来る獣の一体に弓で狙いをつける。
「キミのハート、射抜いちゃうぞ♪」
レティスの弓から、ハート形の光の矢が放たれた。それは狙いを外さず獣の額を射抜き、転倒させる。その獣がむくりと起き上がると、すでに矢は消えており。レティスではなく他の魔物たちの群れへと突っ込んでいった。魔物が同士打ちを始める。
「あたまなの?ハートなの?」
「まあ、上手くいったからいいっしょ!」
パンの子供みたいな言動に、レティスが苦笑いを浮かべる。そこへ突然、
「きゃ〜!パンちゃんコワイの!!」
「な、何!?」
突然の出来事に、パニックを起こしたパンが女の子とは思えない力でぎゅっとレティスに抱きつく。レティスはパンを安心させようと抱き返しながら、この子は自分が守らなくてはという想いで必死に冷静さを保ち、事態を見極めようとする。
すると、二人の目の前に空から黒衣の少年クロノが降りてきた。精神体であり、その姿は半透明に透けている。魔物たちを見ると、今の攻撃魔法で結構な数が消し飛んでいた。
「助けてくれたの?ありがとう」
レティスの感謝の言葉に、クロノが険しい表情で答える。
「説明は後だ。もうすぐこっちに冒険者の三人組が逃げてくるから、彼らと一緒にあっちへ急げ。避難用のゲートを開いておく」
クロノが川の下流を指差す。
「…もしかして、氷都市の迎えの人?」
「知らんな。とにかく時間が無いんだ。オレはもう行くからな」
あの三人組と直接顔を合わせたら、話がこじれる。クロノは森の上空へ飛び上がると、大切な相棒マリスの元へと急いで飛んで行った。
それからわずか数秒後。レティスとパンのところに、道化の追跡を逃れた三人組がやってくる。
「あ、ホントに来…」
「死にたくなかったら、伏せろ!」
ジュウゾウが
「この雑魚が!」
ジュウゾウがマシンガンを掃射する。銃口から激しく
クロノの爆炎魔法とジュウゾウの掃射で、さすがに柳の林はなぎ倒されたり火がついたりしていたが。
「あ〜ん!パンちゃんコワかったの」
「よしよし、もう大丈夫だからね」
レティスが身体を起こすと、すぐにパンが泣きついてくる。その姿を見たポンタが、思わずギョッとしてつぶやいた。
「きょ、キョンシー!?」
「そいつも魔物か?」
リーダーの長剣男が、二人に疑いの目を向ける。
「パンちゃんは、ネクロス族なの!」
「聞いたことない種族だな」
長剣男は警戒を解かない。
「わたしは元
それから、レティスは三人組の誤解を解くために色々説明した。この中華風の世界が「コウコチュウゲン(江湖中原)」と呼ばれていること。
「そうそう、さっき親切な人が助けてくれたの。あなたたちと一緒に、川の下流へ逃げろって。そしたら、避難用のゲートを開いてくれるみたいだよ」
「嘘じゃないよな?」
「この状況では、信じる他ないでしょう」
レティスの説明をいぶかしむリーダーに、一応は知恵袋のポンタが進言する。
「俺たちはさっき、玉乗りピエロに襲われたところをフードの女に救われた。あれが庭師とやらか?」
「それそれ!道化は無敵化のトリックを知ってないと倒せない強敵だよ」
「追いつかれる前に、早く逃げましょう!」
ジュウゾウがレティスと情報交換する。それでさっきの不死身ぶりが納得できたのか、ポンタと顔を見合わせてリーダーに進言した。
「俺もポンタと同意見だ。社長、ここは逃げるが勝ちだと思うが」
「ま、こまけぇことはいいんだよ。そうするか」
一同の考えはまとまった。一応、三人組もレティスたちに自己紹介する。
「社長の懐刀、殺し屋のジュウゾウだ。お前たち、今は味方で良かったな」
「陰陽師のポンタです。社長の補佐をしています」
「オレはビッグだ。器の大きい、ミリタリー・パレード社の社長って覚えときな」
「おお〜、ちょっとカッコいいの♪」
パンが、好奇心をにじませた瞳で三人組を見る。一同は無邪気な笑顔に元気を取り戻すと、川の下流へと急いでいった。途中、持病の腰痛を発症したポンタが助けてもらったお礼代わりに、実は身体能力の高いパンに背負われる一幕もあったが。
「なんで、こいつがここにいるんだよ」
「お前たちが死んだら、地球でアコギな商売をやってることへの罰を与えられなくなるだろ。それに一応、社員やスタッフに食い
マリスが確保した避難場所で、ビッグがクロノとにらみ合っている。助けると決めた時点で予想できたことだったが、こうなるとやっぱり頭が痛い。
「喧嘩するなら、他でやってくれない?」
「ケンカしちゃダメなの〜」
マリスがビッグに冷たい視線を向ける。その横では、二人の因縁を知らないパンがなんとかビッグとクロノをなだめようとしている。
「あの、ありがとうございました!みんなとはぐれたときは、どうなるかと思いました」
「みんな、ありがとうなの!」
レティスがクロノ、マリス、そしてビッグたちに深くお辞儀をしている。パンも彼女にならって、改めてお礼のあいさつをした。
「ボクたちはそこの三人が危ないとこへ行かないよう、見張ってたんだけどね。もう結構ボロボロでね、勘弁してほしいよ」
実際にマリスはマントも服もボロボロだった。男性陣が目のやり場に困るくらい。
「分身とはいえ、あの『いばら姫の道化』を一人で足止めするなんて。マリスさんはお強いんですね」
「助けが遅くなって済まない。大丈夫か、マリス?」
マリスから話を聞き、その強さに驚くレティス。クロノはビッグに対する時とは全く別人のように、パートナーを気遣う姿勢を見せた。
するとマリスは、一同の見ている前でクロノに抱きついてキスをする。
「こうすればオッケー!食事をとれば回復するよ♪」
「!?」
さすがのクロノも、少々押され気味になる。すると一同の見ている前で。マリスが幸せそうに頰を緩めるのと時を同じくして、衣服やマントの損傷が少しずつ修復されてゆく。
「はわっ!お二人って、恋人同士だったんですか?」
「なかよしなの♪」
レティスが顔を真っ赤にする。パンは、はしゃいで騒ぎ立てた。
「けっ、彼女持ちかよ」
ビッグが不機嫌そうに、プイとそっぽを向く。
「不思議ですね…もしや、魔族の方ですか?」
「夢渡りの民だよ。全ての知的生命体は夜、寝ている間に精神が異世界に飛んでって自由気ままに冒険してる。ボクらは実体を持たない代わり、夢渡りに特化しててね。色々と便利なことができるんだ。地球の伝承じゃ、悪魔憑きとかサキュバスとも呼ばれるけどね」
ポンタの疑問に、マリスが答えると。レティスの表情が不意に罪悪感に曇った。
「マリスさん、わたしと同じ元
デーモン、あるいは
「ああ、追放のことならもう気にしてないよ」
なんでもないよと言うように、マリスがレティスに手を振る。こいつも魔物か、とあからさまな嫌悪の視線をマリスに向けるビッグ。ジュウゾウがそれを目線で制する。ポンタも無言で首を振った。一応、助けてくれた相手への礼儀もあると。
「過去に何があったとしても、マリスはオレのパートナーだ」
クロノがマリスを抱きしめる。マリスは再度幸せに包まれて、肌艶が良くなった。その様子を見て、レティスもほっと胸を撫で下ろした。
「…ところでさ。その傷、いつから付けられてたの?」
マリスがビッグ、ジュウゾウ、ポンタを指して問いかける。言われた三人が自分の身体を確認すると。いつの間にか、各自の身体のそれぞれ別の部分に×字の傷が付けられていた。
レティスがそれに気付いて、ハッとなる。
「ミキちゃんの、胸元の傷と同じ…!」
「それは、
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