第50話 封印都市

 凍結した路面を踏みしめる、スパイク靴の足音がザクザクと。

 廃墟の街にこだまする。


 あたりは、時が止まったような静けさに包まれていた。


 バルハリア大陸を覆う、数千メートルもの厚い氷の下。地底の大空洞に広がる都市の遺跡を、九人の冒険者たちが周囲を警戒しながら進んでいた。


 先頭は、イーノファミリーの五人。迷宮案内人ダンジョンガイドのユッフィーが光刃の杖を構えて前方に注意を払い、握りの長い波状刃の両手剣フランベルジュを肩に背負った異神器使いデモンストレーターメルが右翼に睨みを利かせる。左翼を固めるのは、円形の盾を構えて三日月型の鎌状剣ハルパーを持った再起英雄ライジングヒーローのミカ。後方には両手杖サイズの巨大な絵筆を握った紋章士へラルディックモモが控えている。


 アバターボディを操る四人の勇者候補生に守られて、アウロラの巫女エルルは陣形の中央に立っている。そして不安そうな表情で手元のタブレットに視線を落としていた。画面には、遺跡内の簡易マップと自分たちの位置を示すアイコンが表示されている。マップの後方には、つかず離れずの距離から五人を見守るベテラン冒険者三人と、各種機器のテストとデータ採取のために同行している研究者の反応があった。

 

 「勇者の落日」でのわずか三人の生還者、クワンダ・アリサ・ミキと。三人を逃がすために犠牲となった紋章士ベルフラウの弟、リーフだ。姉の意志を継いでクワンダのファミリーに加わり、紋章院という象牙の塔を出て前線に立つ覚悟を決めている。三人は氷都市にとって貴重な人材であるリーフの護衛で、勇者候補生たちの訓練を監督するコーチでもあった。


「『氷結の呪い』が満ちている遺跡内でも、タブレットは正常に動作してます。今はエルルさんに加え、ミキさんまでいますからね。新しい通信方式にして正解でした」

「おかげさまで、私も皆様に情報支援を行えます」


 リーフが紋章盤タブレットの調子を見ていると、画面から女性の声が聞こえる。


「私と巫女たちとのつながりを通信に利用するとは、考えましたね。私の加護が遺跡内に届く以上、タブレットの通信もそう簡単には途切れないでしょう」


 女性の声は、女神アウロラだった。冒険者たちを、この遺跡の過酷すぎる環境から守る加護を巫女たちに授けている本人だ。その極光の天幕オーロラヴェールがなければ、一行は絶対零度の極低温により即座に氷像と化すだろう。そして正体不明の呪いに囚われ、遺跡を守るアニメイテッドの群れに加えられてしまうのだ。

 だから、パーティの中で巫女は最優先で守り抜かなければならない。ミキのように本人が滅法強い場合を除いては。


 普通、アウロラの巫女に戦闘力は無い。巫女の修行をどう勘違いしたのか、我流で格闘フィギュアスケートを編み出してしまったミキが例外なのだ。冒険者たちに守ってもらう立場である普通の巫女たちにとって、敬愛する女神が加護を授けるだけでなく直接声をかけ励ましてくれるのは何より心強いことだろう。


「エルル、私も一緒です。落ち着いて行きましょうね」

「はいですぅ、アウロラ様ぁ!」


 戦闘経験のほとんどないエルルだが、いつ魔物が出るか分からない状況でも女神の応援でいつもの元気を保っている。ちなみに、タブレットに投影されるアウロラの姿は持ち主の好みでカスタマイズ可能だ。それは、彼女がスーパーコンピュータの如き超絶した高速演算力で容姿や性格の異なる数多あまたのアバターを同時に操り、たくさんの勇者や英雄たちをもてなすやり方にも似ている。


「手練れの三人に加えて、リーフ様が完成させた転移紋章石もあります。万が一あの道化の襲撃を受けても、即座にベースキャンプまで撤退できますの」


 エルルの丈夫な肩掛けかばんと、リーフのリュックサックには。「勇者の落日」での教訓から開発された緊急脱出アイテムが入っている。量産化に成功したとはいえ、高純度の星霊石など高価な素材と複雑な加工の手間を必要とすることに変わりはない。なるべく使わず徒歩での帰還を目指すようにと、一行は出発時にリーフから念押しされていた。もちろん、無償ではなく自費でレンタルしているのだ。


 その価格は、1個の使用料金が100万エンクラッド。使わずに返却すれば十分の一のレンタル料で済む。クラッドは氷都市を中心とする「オティス商会」の経済圏で発行されている通貨で、地球の米ドルやオーストラリアドルのようにいくつかの種類がある。エンクラッドは地球のお金を持ち込めない地球人たちへの配慮から新設されたもので、1エンクラッドの価値がおおよそ1円になるように他の通貨との為替レートが定められていた。


 ここまで準備して、ようやく勇者候補生たちを遺跡に派遣できる。万全の備えを確かめるようにして、ユッフィーがエルルと画面の中のアウロラに声をかけた。


「アウロラ様が探索や索敵までサポートして下さるのは助かりますが、それでも危険をいち早く察知するのが案内人の務め。油断はしませんわ」

「その調子じゃ。これはおぬしらの修練、わらわたちはいないものと思って気を引き締めるが良い」

「はいですの、アリサ様」


 進路に目を凝らし、わずかな変化も見逃すまいとするユッフィー。女神の加護が寒さから守ってくれる以上、もう動きにくい防寒具などまとっていない。まるで周囲に見えないエアコンがあるかのように、暑くも寒くもない適温の空気が一行を覆っている。周囲の見るもの全てが凍りついている、視覚から感じる寒さはあるだろうが。


「女戦士と言えば、ビキニアーマー!」


 その見た目の寒さを吹き飛ばすように、気合いを入れるメル。ドワーフ族の小柄な背丈の割には、ツンとハリのある豊かな膨らみを堂々と誇っていて。金属ビキニの色は、情熱の赤。真っ赤な長手袋とタイツも着用している。

 なお、栗色の髪に赤いメッシュまで入れている気合の入れようだ。アバターボディ使用者なら、髪の色を全部変えるのは簡単だ。けれどメッシュは実物同様に手間を要するので、紋章サロンあたりで設定を調整してもらって。戦闘モードで髪色が変わるようにしたのか。


「メルちゃん、大胆ですの」

「へへっ、カッコいいでしょ」


 迷宮案内人としての役目を全うしようとの意識からか、ユッフィーは探検家のような動きやすい半袖シャツに、活動的なキュロットスカート姿だ。上下ともタイツ着用で、首から下は完全に肌を隠した上で、ヘッドライト代わりの光る石のついたヘルメットを被っている。

 偽神戦争マキナのゲーム内イラストでは、ユッフィーもメル並みにきわどい格好をしている。でも今は、それをそのままこちらで再現する気はなかった。


「これが本来の私よ」


 ミカは戦乙女ヴァルキリーをモチーフにした軽装鎧と羽根付き兜に、スリット入りのロングスカート。日本製のファンタジーRPGでよく見かけそうな、美しくも凛々しい装いだ。氷都市民として認められた時点ですでにアバターボディの制限も緩和されており、黄金色サンライトイエローの六枚羽をその背に顕現させている。


「みんな華やかになったの」


 モモはチャイナドレス風の術士服で、大きく開いた胸元と背中、両脇の深いスリットが人目を引く。後ろから付いてくる、純情なリーフ青年が目のやり場に困るほどだった。


 四人は総じて場違いなほどの軽装というか、ゲームキャラのコスプレ風の装備だった。オーロラヴェールは寒さ対策だけでなく、個人用の強力な防御障壁バリアの役割さえ果たす。重厚な鎧など、迅速な行動の妨げになるだけだ。女神の加護も有限であり、遺跡内では氷結の呪いによって時間と共に消耗していく。それがパーティが迷宮ダンジョンに潜っていられる限界時間となる。動きやすいに越したことはない。


 また、一般人のいない遺跡内に氷都市のような服装規定ドレスコードなどない。なので勇者候補生たちは、各自が思い思いに好きな格好で冒険を楽しんでいる。RPG感覚なのだ。和製RPGによくありがちな、露出の多さに反して異様な防御力を持つ装備。それを極限まで突き詰めたような姿だった。

 楽しもうとする感覚は緊張を和らげ、余裕を生む。それが慢心を呼ぶほど過度でなければ、探索にはプラスに作用するだろう。今のところ、イーノの目論見は上手くいっている。


「あやつら、よほど腕に覚えありかのぅ」


 自らもサラシに袴姿のアリサが、冗談めいた笑みを浮かべる。


「ここは氷都市じゃないからな。格好をどうこう言うつもりは無いさ」


 クワンダも変わらず高地戦闘民族ハイランダー風のキルト姿で、ミキもファンタジックにアレンジされたフィギュア衣装風の装いをしている。


「エルル先輩、冒険にもディアンドル姿なんですね」

「お気に入りですからぁ♪」


 タブレットからエルルの声が聞こえる。端末間の通信も問題ないようだった。


 警戒を維持しつつ、一行は遺跡内の大通りを進んでいく。現在の観点からすれば、確かに人っ子ひとり住まない廃墟であり遺跡なのだが。そこには全く経年劣化や崩壊の様子が見られない。大いなる冬フィンブルヴィンテルという大災厄が起こったその日のまま、都市が丸ごと冷凍保存されているようなものだ。


 この世界の時計の針は、あの日からずっと止まったままでいる。それを再び動かし未来へ進めることは、全ての氷都市民の悲願。そしてユッフィーのアバターボディを動かしているイーノには、この氷の下に封じられた都市の姿が「失われた三十年」にあえいでいる日本の姿にも重なって見えていた。


 市街地の下調べは、以前にクワンダが単独で済ませている。とはいえ、風景は似ていても迷宮の構造は入るたびに変化する。熟練の冒険者三人も、これまでの常識が通じなくなった遺跡に鋭い警戒の目を向けていた。


 先頭のユッフィーが立ち止まる。そして遠くを指差した。地球組の皆がそちらを注視すると、アバターボディの機能で自動的に拡大されて見える。エルルは生身なので、双眼鏡をのぞいていた。


「あれは迂回しましょう。近寄らなければ、襲っては来ないと思いますの」


 大通りの先にあるのは、検問所のような施設。そこには以前にクワンダが目撃した巨像型のアニメイテッドが仁王立ちしている。流石に、初めての実戦であれに突っ込もうと言い出す者はいなかった。


「巨像を避けて、脇道に入りますわ」


 ユッフィーたち五人は、後ろの四人にもそう伝えると。大通りの脇から伸びる道を凍りついた石畳をアイゼンでしっかり踏みしめ慎重に進んでいった。

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