第32話 ベネチアンカーニバル

 その日の私といったら。

 地球で過ごす間、落ち着くはずもなかった。


 私のアバターボディは、エルルちゃんの部屋に置いてきたまんま。


 そのせいで、通勤電車を乗り間違える始末。

 元が貨物線なためか、JR武蔵野線は何かと不便が多い。通勤時の混雑は酷いし。


 私の職場に近い、とある夢の国方面への電車と。反対方向の海浜幕張行きの電車が同じホームから交互に出ているので、よく確認しないと。南船橋経由で遠回りになってしまう。

 だから今日は、会社の送迎バスに乗れなくてタクシーだ。 


 私の地球での職場は、倉庫街のはずれにある大手企業の物流センター。

 若い頃、ゲーム製作者を目指して挫折し。職を転々とした後にようやく落ち着いた退屈ながらも安定した職場だった。

 しかし、老朽化した設備の更新に伴って。2019年秋頃の閉鎖がすでに決まっている。


 法改正により、2018年から運用される「無期転換ルール」によって。勤続5年以上のパートと嘱託社員は、申込みによって雇用契約の期限を定めない「無期雇用」になれる。 


 うちの職場でも、その受付が始まった矢先の出来事だったから…当然、不満の声はあった。

 しかも移転先は、今勤めている人たちが通うには遠い場所。


 でも私には、そんなことはどうでもよかった。

 むしろ、自分を変える機会が来たと内心喜びもした。


 慎重過ぎて、ここぞという場面で冒険できない私は。こういう環境の変化でも無い限り、思い切った行動には出られないのだ。


 もう、自分に不向きなことを無理に我慢しなくていい。

 発達障害で不便な思いをしている私の立場を理解しない…人はみな同じで。自分が簡単にできることは、誰にでも容易にできると思い込んでいる石頭を相手にしなくてよい。

 こちらを人間のクズみたいな目で見る、意識の低い連中もだ。


 そう思うと、退屈な勤務時間はあっという間に過ぎていく。

 

 会社帰り。今日はすぐ家には帰らない。

 認知症の母が通院の日だから、父は遠くの専門病院まで送り迎えで精一杯。

 とても食事まで作る余裕は無いから、ショートメールで最低限の連絡を交わして。


 私はWi-Fiのあるカフェへ。

 そこでコーヒーとパスタの軽食をとったら、ノートPCを広げてプログラミングの勉強をはじめる。


 今の職場が無くなったら、エンジニアに転職するつもりだ。

 ゲーム会社には入れなかったが、プログラミングに関しては昔に専門学校で学んだ多少の知識もあるし。

 エンジニア人材の不足、プログラミング教育の将来的な必修化。さらにはネット上の学習サービスの充実など、追い風も吹いている。


 何故、そうするのかって?


 地球で人集めをするための、SNSの開発だ。

 勇者候補生として、氷都市に招くための。

 できれば、氷都市で見聞したことを土台にRPG風のSNSをつくり。表向きはテーマパークのような「なりきり」を売りにしながら、相応しい人物をスカウトする場に育てていきたい。


 今は、MPミリタリー・パレード社のPBWプレイバイウェブにあるゲーム内SNS「小隊掲示板」から、仲間に声をかけているが。

 私の目から見て、勇者候補生に適さない者も少なからずいるのが現実だ。


 たとえば、馬鹿みたいにレベル上げにしか関心が無いとか。対戦コンテンツで勝つために、他人を駒のように扱い束縛するとか。前例が無いと言うだけで理不尽に自由な発想を封じ込めようとするだとか。


 かつてのPBWは、人間のゲームマスターが行為判定をするから。ゲームソフトのRPGには無い、自由な発想で攻略できることを売りにしていた。

 けれども現実には、誰もが豊かな発想力を持てるわけではない。


 運営が掲げた、勘違いした定義での自由は「何をして遊べば良いか分からない」と。プレイヤーを惑わすだけだったし。

 システムもシナリオも、数年かけて緻密に練り上げられた大手の人気シリーズにはとてもかなわなかった。

 結局彼らは、何がやりたかったんだろうか?


 木を見て、森を見ず。そんな言葉が浮かんでくる。


 MP社の最大の過ちは、プロのシナリオライターに頼らず。お世辞にもストーリー作りのセンスがあるとは言えない社長が、いつもトップダウンで世界設定を決めてしまうことだと思う。


 つまらなくても、歪んでいても公式設定。逆らう者は許さない。

 そういう姿勢だから。建前では二次創作に寛容なふうを装っていても、MP社関係の同人誌を見かけることはほとんど無い。


 こんな独裁が十年以上続けば、よほど適性のある人でない限りネタ切れに陥る。

 そして、自由な発想が禁じられた状況下で。ネタ切れの解決策を、一般プレイヤーからの投稿アイデアに求めるのは無理があった。


 新作を立ち上げても、3年を待たずに閑古鳥。また逃げるように新作を立ち上げては、その度に新規キャラクター用イラストの需要を煽って。少しばかりの売り上げをどうにか稼ぎ出す。

 この15年間、MP社はそんなことを何度も繰り返して来た。


 当然、こんな澱んだ場所には。エロ絵だけが目当てのガラの悪い連中も出入りするようになる。そんな奴らに、氷都市は荒らさせない。

 今はここぐらいしかあてが無いとはいえ、なるべく早くに代わりを見つけたい。

 無ければ、自分で作るより他にないだろう。


 一応、長年世話になった義理からMP社に配慮すれば。


 私は部外者で、岡目八目の立場にいたから。彼らの行いを冷静に分析できるが…。

 もし社員であったり、社長の立場であれば。日々の業務や会社の経営に追われる中で、どれだけ的確な判断ができたかは疑わしい。


 ここ数年で、表立っては目立たない形で。多くの人が運営に見切りをつけ、人知れず去っていった。

 私だって、いつまでも甘えてはいられない。


 まだ、残っている人たちもいるにはいるが。

 彼らは、自分で事態を打開しようとはしない。運営を批判する者には、お決まりの「それでも楽しんでいる人がいる」の一点張りで。


 名も無き村人Aの嘆きなら、もう聞き飽きた。

 勇者が立ち上がるなら今だぞ。本物でなくてもいい、勇者になりきれ。


 本当に、稀にだけど。

 この「大いなる冬」と呼んでも間違いじゃない状況の中で。時には、掃き溜めに鶴

としか思えない出会いも何度かあった。


 お互い苦労が絶えない中で、優しさを持ち寄って…心の灯りになるような。

 それは、闇夜に道を照らすひとすじのオーロラ。

 私が作りたいのは、そんな仲間が集まる「なりきり」専用のSNS。


 他の大手SNSに人集め用のコミュニティを作っても…たぶん、上手くは行かないだろう。


 自分の理想を掲げ、旗を挙げろ。

 そこは、きっと明るく楽しい場所になるだろう。


 誰もが身分や出自を問わず、別人になりきって楽しめる。

 現代の仮面舞踏会となるように。

 私は願いを込めて、自分のつくるSNSに「ベネチアンカーニバル」と名付けることにした。

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