2-8 ヤタガラス編16

ーーー

夜は深まり、時刻はそろそろ日を跨ごうとしていた。私は明日の講義の自主休講をすでに決めているが、教育が義務であるマツリはそうはいかないだろう。

『自分の学習は義務じゃないから別に良いってわけじゃないでしょ!?』

ケットシーならそうツッコんだだろうか?

「はぁ~。」

私はみんなに気づかれないよう、小さくため息を吐く。

腕に抱えた化け猫はまだ目を覚まさない。

いつもは五月蝿いだけだが、今はほんの少し肩の上が寂しい。



カトブレパスの探知能力で、逃げたヤタガラスの居場所を割り出し、深き山中を歩くこと三十分。深夜に登山。道は険しくなるばかりだ。

だから私は先頭を行くカトブレパスを制止する。

「き、休憩しよう。」

「何?」

「いや、登山は想定外だったもんで。」

か弱い学者系主人公の私にこれはあまりに酷い仕打ちだ。

「ヤタガラスの傷が癒える前に奇襲をすると言ったのは、お主じゃろう。

早いに越したことはないはずじゃ。」

「・・・うっ。」

その通りなんだけどさ。

私のか細い筋肉に溜まった乳酸が既に鈍痛を与えている。


「でもさ、思ったより遠いみたいだし、対峙する前に息切れしてたんじゃあ作戦も何もないでしょ?」

そんなことを考えて、同意を求めるようにマツリの方に眼を向けるが・・・

「?」

汗ひとつかかず、ケロッとした顔で疑問の表情を浮かべていた。

そうだ、この子は生物使い。

加えてバレエを習っていて、天才少女で帰国子女。このぐらいの登山は、軽いハイキング、いや近くのコンビニに行く程度なのだ。

「ぐぬぬ・・・。」

「な、何か?」


「とにかく、もう一歩も動けませーん!」

駄々っ子のように、スカートの汚れも気にせずあぐらをかいて座り込む。もっとも幼稚な抗議の姿勢。お尻に伝わる地熱と砂利と樹木の根っこの感触に、私はこの星の息吹を感じた。


「・・・お姉さんが、どうして賢者になれたのかはわかりませんが、魔法少女になれた理由はなんとなくわかった気がします。」

・・・軽くバカにされてる?

さらに肩口からフェニックスも顔を覗かせてこう続けた。

「情けないわねぇ。

肉体のコントロールを万全に出来てこそ理系でしょ。」

「体調管理と一緒みたいに言わないで!

そんなこと出来るのは生物使いだけなんだから。」

マツリは以前も今も生物使いである。彼女の身体能力の高さはそこに由来する・・・だけではないかもしれないけど。

「だいたいフェニックスは鳥じゃない!山の起伏のシンドさを知らないでしょ?」

「知らなーい。」

「くぬぅー。」

どいつもこいつも、思いやりってモンがないの?

「まぁ、そうじゃの。体力のない者にはこの登山は少しばかり負担かもしれんな。

しかし、マヂカよ。お主の体力のなさは、おそらく世の平均を大きく下回るぞ。」

「うるさいなぁ。清楚でか弱い女の子なんだから良いでしょべつに。」

「清楚?」

「か弱い?」

「女の子、ですか?」

ちょっと!最後のやつにまで疑問符がつくのは失礼でしょ。

しかも、言ったのマツリじゃない!

自分の感情を出すのは苦手なくせに、他人の評価はストレートって・・・

まるでナイフのようだわ。


「私はもう心が傷ついて血まみれよ。」

「・・・血まみれ。」

「こんなところで油を売らずとも、目的地はもうすぐそこじゃ。」

「ホントに?」

江戸時代の故事より(?)無駄な時間を過ごすことを『油を売る』と言うのだが、この場合の油とは燃料油ではなく、女性のための整髪料だったらしい。油屋がお客に長々と話をしながら売っていたため、油を売るイコール時間を消費するということに繋がった。

今も昔も化粧品関連は商売上手ってことね。

はぁー、しかし疲れた。帰ってお風呂に入りたい。

いや、それも目的を遂げてから、か。

私は心の傷を縫い合わせ、自身を奮い立たせて立ち上がる。

「もうちょっとだけ頑張ってみるか。」


そこから先の道は意外に平坦だった。

どうやらこの山はひっくり返したプリンのような形をしている。現在地はちょうどカルメラのあたり。私はあの焦げた感じのちょっと苦みのある部分が好き。

そんな窪地を進み、頂上付近になるとひときわ大きな杉の木が見えた。まっすぐな幹に何本もの太い枝が伸びている。そのうちの一本、深緑の葉で身を隠すようにヤタガラスは身体を休めていた。

茂みに潜んで私たちはヤタガラスの動向を伺う。予想通り、傷を癒すため元素の鍵から供給されるエネルギーの“待ち状態”である。

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