1章「絶望の中で」

 辺りはマンションの倒壊によって生じた粉塵が漂い、まるで濃霧のようだ。視界はゼロに等しい。

 被害を免れたユイ・キサラギは、夢遊病者のように仲間を探して歩いていた。日本人特有の艷やかな黒髪は、汗でじっとりと濡れている。

「みんなー……。どこに行ったとですかー……」

 寂しい。怖くて大声も出せない。時おり味方兵士のものと思わしき呻き声も聞こえるが、すぐに砲声にかき消される。


 ぐちゃり。


 何か、柔らかいものを踏みつけてしまった。

「ひっ」

 慌てて飛び退き、今しがた踏んだものを見てみる。……予想通り、それは兵士の亡き骸であった。瓦礫がヘルメットを砕き、その内側にある頭蓋をも貫いていた。おまけに、腕も一本潰れている。


「うぅ……」

 反射的にたじろいでしまうが、悲鳴をあげたりはしない。

 新兵とはいえ、ユイは訓練された兵士である。片手の指で数えられる程だが、南防衛線で実戦経験も積んだ。さらに、衛生を担当している以上、これよりも惨たらしい死は何度も見たことがある。


(もー、はじめから無茶な作戦やったんですたい……。私バカやけど、こんな状況になってもおかしくはないことくらい、分かっとったよ……)

 司令部には司令部なりの考えがあったのかもしれないが、現代の戦闘で浸透戦術を主軸に置くなど、冗談も甚だしい。


 とにかく、今は分隊員と合流しなければならない。倒壊に巻き込まれて、動けなくなっているかもしれないのだから。

「ケイ姐さーん。シンヤさーん。ライノ分隊長ー。どこにおるんですか~?」

 繊細なユイの声が、粉塵の濃霧で満たされた街へ溶けていく。


 しばらく砲声と呻き声しか聞こえなかったが、やっと聞き慣れた声が返ってきた。

「ユイっち? そこにいるのか?」

「分隊長!?」

 分隊長である、ライノ・トーチの声であった。一気に寂しさが吹っ飛び、反射的に駆け出すユイ。


 急いで声のした方に走っていくと、見慣れた二人組が立っていた。長身イケメンのルカ・クロードと、赤髪サイドテールの貧にゅ――もといレティシア・テイルだ。しかし、何故かライノの姿が見当たらない。

「ルカさん! レティシアさん! 無事やったんですね! ……ん? 今ライノ分隊長の声が聞こえた気がしたとですけど……あれれ?」

 気のせいではないはずだ。はっきりと、ライノの声が聞こえたのに。


「ユイさん……」

「……っ」

 ルカとレティシアは、何も答えなかった。その代わり、黙ったまま何故か視線を足元に落とした。

「……?」

 つられてユイも、ルカとレティシアが見ているものに視線を向けた。


 そして、見てしまった。

「きゃっ!」

 目を逸らしたくても逸らせない。いや、『現実から目を背けるな』と、ユイの全身が告げている。


 そこにあったのは、姿

 左足は無く、右脇腹は大きく抉れて骨と内臓が見え隠れしている。辺り一面は、彼の赤黒い血液で死の泉を形成していた。


「や、やあ……ユイっち。無事だったか……。相変わらず、綺麗な黒髪……だ」

 まだ息がある。こんな姿になっても、ライノはライノのままだった。

「ど、どうして……! どうしてこんなことに!」

 駆け寄り、変わり果てたライノを抱き上げる。

 ユイには一目で分かった。もう、この人は助からないと。それでも、ありったけの包帯と止血剤を取り出し、必死に流血を食い止めようとする。

 彼女とライノの付き合いは、決して長くはない。それでも、この激しい戦いを潜り抜ける中で、彼の明るい性格と確かな経験は心の支えでもあった。それを、こんな形で……こんな早く失いたくはなかった。


 その最中、憑りつかれたように包帯を巻き続けるユイの腕を、そっと手を添えて引き留める者がいた。ルカだ。

「もう、楽にしてあげませんか?」

「……っ!」

 はっと、夢から現実に引き戻されたようにユイは手を止めた。涙が次から次へと溢れてくる。それをぐっと拭い、ルカとレティシアに問うた。

「いったい、何があったとですか⁉ こんなの、ライノ分隊長に限って……!」

 強めの口調とは裏腹に、ユイの声は弱々しく震えていた。

 そんな彼女に対し、レティシアは顔色一つ変えず、ある一点を指さす。

「……あれよ」

 レティシアが指さした場所に、答えはあった。


『キョウイ』


 装甲兵ホプリテス。ペキンでも遭遇した機械兵士達が、生き残った連合軍兵士と交戦していたのだ。……いや、交戦という表現は正しくないかもしれない。指揮系統が混乱している連合軍兵士は、碌に連携できず蹂躙されていた。

「あれに、やられたってこと……?」

「そう」

 重機関銃。パイルバンカー。人体をバラバラにするには充分な威力を持つ武器を振るうホプリテスに、ライノは挑み倒れたのだ。


「ユイさん、レティシアさん、お願いがあります」

 突如、ルカがショットガンを構えて言った。

「奴らは、じきに僕達をも狙ってきます。そうなれば、この混乱した状況では全滅は不可避です。僕が奴らを食い止めるので、お二人はパルターさん達を探してきてください」

 なんと、ルカはホプリテスの集団に挑もうというのだ。

 さらに、それを聞いていたレティシアもルカに並んだ。

「はっ、何言ってんの? あんただけじゃ、大した時間稼ぎにもならないわ。私も、腹が煮えくり返って辛抱堪らないのよねぇ」

 スラリと伸びた綺麗な脚を軽くほぐし、臨戦態勢の構えだ。


 当然、ユイは二人を引き留めようとする。

「ダメっ! これ以上……私を!」

 いくらペキンで実力を見せたルカとレティシアであっても、並の歩兵を遥かに上回る戦闘能力を持つホプリテスの集団が相手では、万が一にも生きて帰れるわけがない。

 これ以上、仲間を失いたくはない。これ以上、壊れたくはない!


「ユイさん」

「ユイ……」

 そんな彼女を尻目に、二人は既に走り出していた。

「男には、勝てないと分かっていても……戦わねばならない時があるんですッ!」

「あんたは、生きて……!」

 それだけを言い残し、二人は絶望へ向かって去っていった。


 また、寂しさが戻ってきてしまった。心が果てしなく冷たい。

「う……あ……ユイっち……」

 ユイの腕の中で、ライノが最期の力を振り絞って、必死に何かを伝えようとしている。だが、ユイの心はどこかに行ってしまっており、断片的にしか聞こえてこない。


「う、裏……切り……者は――。この作……戦は……その……ために――」


 直後、辺り一帯に砲弾の雨が降り注ぎ、あらゆる生命を抹消した。

「い……いや――」


 ***


「いやあああああああああああああああああああああああ‼‼」

 痛々しい悲鳴と共に、ユイ・キサラギがベッドから飛び起きた。着ている服はおろか、枕やシーツも大量の汗でぐっしょりと濡れている。

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 過呼吸に陥り、正常な呼吸もできなくなってしまっている。


 そんな彼女を、ベッドの傍らにいたマリア・フロストが優しく抱きしめる。

「大丈夫。私がついてるから……」

 聖母のような優しさに包まれ、少しづつユイの呼吸は落ち着きを取り戻していく。

「ありがとう、マリア……」

 一粒の涙が、ユイの頬を静かに伝う。



 パオトウ奪還作戦から一週間が経った。重傷だったパルターとアベルの怪我もだいぶ癒え、他の兵士達と共にパオトウ市街の整備と拠点設営の手伝いに駆り出されている。

 だが、体の傷は癒えても、心の傷は簡単には癒えない。今も、ユイは毎日のように悪夢にうなされているようだ。


「……今日もまた、ユイは例の悪夢を見たみたいだな」

 テントの中から聞こえた悲鳴に、シンヤは思わず耳を塞ぎたくなった。それはあまりにも痛々しい悲鳴で、聞いた者の心をも貫くからだ。

「こんなにも早く、心の支えを失ってしまったんだからな……」

「ユイ殿……」

「今は、マリアちゃんが付きっきりでケアしてるから大丈夫みたいだけど、もう戦線離脱させた方がいいかもしれないわね」

 パルター、アベル、ケイも同様の反応であった。これ以上、ユイを前線に置いておくわけにはいかないだろう。


 なんにせよ、ライノ分隊は事実上の壊滅だ。再編成され、皆はバラバラになるに違いない。

「でも小生は――」

 ふと、アベルがこんなことを口にする。

「小生は、あの三人が死んだとは信じていないでござる。きっと、今もどこかで生きている。そんな気がするでござる」

「「「…………っ」」」

 サムライとしての野性的な勘か。シンヤ達も、完全には否定できなかった。

 理由はいくつかあった。一つ、ユイは混乱しきっていて記憶が曖昧であること。二つ、ホプリテスと交戦したという場所は、敵の砲撃に晒されてどの死体が誰のものであるか判別できていないこと。三つ、他に目撃者がいないこと。


 しかし、一週間経っても三人が帰ってこないということは、おそらく『そういうこと』だろう。

「……やめておこう。判別が済んだ時のショックが大きくなるだけだ」

 パルターは諦めたように呟く。彼の考えもまた、一理あった。

「くっ、小生は諦めないでござる!」

「勝手にやってろ! あいつらはもう死んだんだ!」


「やめろおおお‼ 今は、そんなことを議論している場合じゃないだろッ!」


 ガシャンッ! と、シンヤは近くにあったパイプ椅子を蹴り飛ばした。二人の気持ちも痛いほど分かるが、このことでモメてもどうしようもない。

「す、すまない……」

「つい、カッとなってしまったでござる……」

 掴みかかろうとしていた手を引く二人。壊れそうになっているのは、ユイだけではないのだ。


 ……と、そんな彼らの元へ歩いてくる人影があった。

「これはこれは、ライノ分隊――いや、元ライノ分隊の新兵達じゃあないか」

 相変わらず鼻につく台詞を吐くのは、第一歩兵師団師団長のノーランドであった。

 その姿を見るなり、パルターは拳を握って駆け出しそうになった。

「て……め……ッ!」

「パルター! やめて!」

 咄嗟に、ケイが羽交い締めにして事なきを得たが、当然パルターの腹は収まっておらず、闘牛の如く鼻息を荒げている。

 別に、ノーランドがあんな無茶な作戦を押し通したわけではない。もっと上の力が働いている。……そんなことは分かりきっていたが、他に感情をぶつけられるものはない。


 そして当のノーランドは、自分に大男が拳を振り上げて向かってこようとしているにも関わらず、いつもの調子で言った。

「一応、『ご苦労だった』とでも言っておこう。ホワイトレイヴンの撃退に続き、かのブラックフェアリーの撃破補佐までやってのけたのだからな。貴様らの出世は確約されたようなものだろう」

 珍しく褒めて(?)くれている。確かに、末端の歩兵分隊にしては異例の戦果だ。しかし、素直に喜べないのが現状でもある。


 さらにノーランドは続ける。

「……それと同時に、『残念だったな』とも言っておこう。貴様らの仲間をはじめ、我が軍は優秀な人材を数多く失う結果となった。もはや、これは勝利とは言い難いのだ……」

「……っ」

 これを聞いて、暴れていたパルターがようやく落ち着きを取り戻した。いつもは嫌な上官のテンプレート的な人物であるが、やはり人の心を持っているのだ。


「知っての通り、先の戦いでは投入された機甲戦力も三分の一を失っている。弔い合戦……つまり、『第二次ワンリー攻勢』が発動できるようになるまでは時間を要するのだ。その間、貴様らにはやってもらうことがある」

「やってもらうこと……?」

「そうだ。貴様らのような猿にだってできる簡単なことだ」

 またパルターが暴れ出したが、ノーランドは見向きもせずに続ける。

「これから、エルダーの特技兵小隊や貴様らを含めた、第一歩兵師団の選抜部隊を編成する。選抜部隊には、先行して第二次ワンリー攻勢の主力に合流してもらう。我が師団参入の基盤をつくるためにな」

 なるほど、ノーランドの言っていることは理解できた。シンヤ達が選抜部隊に抜擢されたのも、ブラックフェアリー撃破補佐のネームバリューがあるからだろう。


 だが、一つだけ腑に落ちない点があった。

「中佐……今の私達には分隊長がいません。いったい、誰が私達を指揮するのでしょうか」

 ケイも、同じことを考えていたようだ。最低でも、現場レベルの判断ができる分隊長がいなければ、兵士間の連携もくそもないだろう。しかし、今のシンヤ達には、新たに分隊長となる人物が割り当てられるという話は聞かされていない。だからこそ、もう分隊は解散するのではと思っていたほどだ。


 では、誰が最低限の指揮を取るのか。選抜部隊のリーダーとやらだろうか?

「ははっ、心配には及ばんよ」

 ノーランドはそう笑い飛ばすと、『ある人物』を指差した。

「慢性的な人員不足で、新たに経験豊富な兵を配属させるのは難しい。だから、貴様が分隊長をやりたまえ」

 ノーランドが指さした人物は、シンヤのすぐ近くにいた。


「――ッ! 俺が……分隊長……だと?」

「そうだ。この面子の中で最先任である――パルター・オーガスト伍長、貴様が新たな分隊長だ」


 果たして、この大男はシンヤ達を導くことができるのだろうか?

 ケイが何やら意味深な表情をしているが、下手に関わらないほうが良さそうだ。

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