第14話 束の間、ランデブー

 市街地を抜けて山道を抜けて、もう一度市街地に入ってその外れでようやく休息を取る事にした。

 もうすっかり日暮れ前で、はずみちゃんは車から降りると直ぐにテントを設営し始める。

 休息場所に決めた所はどうやらキャンプ場のようで、広がる広場の奥に川、その向こうに山々が広がっていて自然に囲まれ緑豊かな、これぞキャンプ場といった場所だった。

 普段なら都会の喧噪から離れてこの静かな緑に囲まれた場所でリラックスするのだろうが、もとよりまるで無音の街をずっと走り続けてみた俺達にとって違いは特に感じられなかった。

「京耶くーん! そこちょっと押さえてて!」

「ん! わかったー!」

 手際良く準備をするはずみちゃんの手伝いは少し緊張する。あんまり使えない所を見せて呆れられたら最悪だ。俺はそれほど出番のない手伝いに全力を費やしていた。

 ほとんどはずみちゃんの手によって準備された今晩のキャンプ地はアウトドア上級者を思わせるような出来映えで、少しだけレジャー感が出そうだったがやはり使用している物資が部隊用のモスグリーンや鉄剥き出しで統一されている為すぐ現実に戻される。洒落っ気と言うものは必要ないのだ。

「んじゃ夕飯作っちゃうから火だけ見といて!」

 はずみちゃんは設置した台の上に食材と調理器具を広げて調理に取りかかる。俺は火から少し距離を開けた所で座って火とはずみちゃんの背中を交互に見ていた。


 ……はずみちゃんの料理をしている姿がたとえ迷彩服を着ていても女性らしく感じるのは気のせいではないだろう。

 

 トントンと小気味良く鳴る包丁の音は手慣れている証拠だ。

「……はずみちゃんの手料理初めてだな」

 さりげなくアピール。これは手料理を振る舞っているのだと意識させる為だ。雰囲気は自分から作らないと。

「んー。そう言えば親以外で誰かに料理を作るのは初めてかも」

「ってか料理するんだね」

「そりゃそうですよ。一人暮らしみたいなもんだもん。なめんなよー」

「なめてないなめてない。でも意外だな。こういう部隊の人達ってレーションだっけ? そういうのばっか食べてるんだと思ってた」

「うーん、それも間違ってないけどね。手軽だし。目的がレジャーじゃないからさ。でもやっぱりこうして作った方が美味しいからこんな時くらいはね」

 はずみちゃんは一度も振り向かずに下ごしらえをしながら背中越しで会話をしていた。きっと優しさなんだろうな。こうしてレーションで済まさずに食事を作ってくれるのは。

「ありがとう。楽しみだなはずみちゃんの料理。何か手伝う?」

「んーん! 平気! 本気出すから火を見ながらお腹空かせてて!」

「空かせなくてももう腹ぺこだよ!」

「そっか! 私も!」

 はずみちゃんは振り返って笑う。包丁片手で微笑むはずみちゃんの姿が一瞬、エプロン姿で映った気がした。

 ここはキャンプ場じゃなくてマンションの一室で俺は休日にテレビを見ながら晩飯が出来上がるのを待っている。そんな光景が脳裏に浮かんだ。

 火の上に設置された鍋と飯盒を見ながら二人で並んで座る。料理は定番のカレーだった。

「京耶君。小さい頃カレーばっかり食べてたよね」

「うん。今でも大好物。多分、一生。よく覚えてるね」

 はは! とはずみちゃんは笑う。パチパチと燃える火の明かりがその顔に影を揺らした。

「そりゃあれだけカレーカレー言ってれば忘れらんないよ」

「そんな言ってたっけ?」

「言ってた!」

「そうかなぁ……」

 あの頃は確かに何処に何を食べに行ってもカレーを食べたがってた気がするけど。

 夕飯何が良い? と聞かれればカレーと答えていた気がするけど。……うん。確かに言ってるな。

 それでも良く覚えていたと思う。あの頃の俺にとっては友達と呼べるのははずみちゃんしかいなかったけど、はずみちゃんは持ち前の明るさでみんなから好かれていたし、今になって思えばタイキはきっとはずみちゃんの事が好きだったんじゃないかと思う。きっとあいつが興味持っていたのは俺じゃなくてはずみちゃんだったんだ。その証拠にはずみちゃんが引っ越してから何となくからかってくる事はなくなっていったから。

 だからあれだけ人見知りで引っ込み思案だった俺にずっと構ってくれたはずみちゃんはある種の恩人なのだ。はずみちゃんはいつだって俺の側に居てくれて、誰かから誘いがあっても絶対に一人で行かずに俺を連れて行ってくれて、そこでやっぱりあぶれている俺の側にいるもんだから結局二人で何かしているような状態になってしまって。関わる人は沢山居たはずなのにこうして忘れずに居てくれているはずみちゃんの優しさに少し申し訳なくなる。

 一人きりになって変わって行った俺は色んな事を忘れてしまったみたいだ。一体何を忘れたのかも分からないのだから始末に負えない。

「よーし。そろそろかな。うん! おっけー!」

 はずみちゃんは鍋の中を確認すると飯盒も火から外して皿に盛りつける。広がるカレーの香りはこの非日常を少しだけ忘れさせてくれた。

「はい! どうぞ!」

 ありがとう、と手渡されたカレー皿を受け取る。山盛りだ。

 はずみちゃんも隣に座って二人とも両手を合わせて声を揃える。

「いただきます!」

 ルーと白米の境目にスプーンを入れて口に運ぶ。熱々のカレーにハフハフと息を吐き出しながらその熱を冷ます。

「んー! 美味い!」

 一口目を食べ終えてはずみちゃんに振り向くとはずみちゃんも一口食べて「うん! いい出来!」と笑って頷いた。

 やや辛口のカレーは具沢山で一口サイズに切りそろえられた野菜達は食べやすいし、肉もなかなか柔らかい。しっかり下味もついているからまるで隙がない。

 俺はそのままガツガツと一杯目を平らげた。

「おかわりありますけど?」

「いただきます!」

 はずみちゃんはちょっとだけ嬉しそうに二杯目をよそってくれた。そしてその嬉しそうな表情のまま自身も大盛りで二杯目をよそった。

 ガツガツと食べている間は会話も無く、ただ時々目が合っては互いに笑ってまたカレーと向き合った。用意されたペットボトルの水はそんなに冷えてはいなかったけど熱々で辛口のカレーとの対比のおかげもあってか、物凄く美味く感じた。


「――――ごちそうさまでした!」

 空の食器を置いてはずみちゃんに頭を下げるとはずみちゃんもお辞儀を返してくる。

「いえいえ。お口に合ったようで良かったよ」

「いや、実際モロ好みの味だったよ。また食べたい」

「やった! それ最高の褒め言葉!」

 はずみちゃんは勢い良く立ち上がり俺の食器を持ってテントの方へ行ってしまった。料理を作ってもらって洗い物までさせるわけにはいかない。俺は後を追いかけて食器を奪い取りはずみちゃんを戻らせた。

 ――――また食べたいの返答を聞けていない事に気付いたのは洗い物が終わってからしばらくした頃だった……。



 満腹感に酔いしれながらパチパチと音を立てる火を眺める。辺りはすっかり暗くなっていて何処までも続いている暗闇に本当に電気が止まっているのだと感じたけど不思議と恐怖感はなかった。

「これでもかってくらい真っ暗闇だな。きっとこんな夜はこの先味わえないんじゃないか?」

「そうよね。少なくとも私たちが生きている間はきっとないよね。あ! そうだ!」

 はずみちゃんは火に何本か薪をくべると、俺の手を取って立ち上がった。

「あっちの川の方へ行こ!」

「え? う……うん」

 ずっと火を見ていたから暗闇に目が慣れない。はずみちゃんに手を引かれていなければ自分が何処に向かっているのかも分からなかっただろう。と言うより、はずみちゃんはどうしてこうもスタスタと歩けるのだろう。

 少し歩いているとようやく目も慣れ始めて来る。足下はゴツゴツと石が並んでいたがはずみちゃんがライトで照らしてくれたので躓く事も無く進む事が出来た。

「ここらでいいかな。座ろ!」

 丁度いい岩場を見つけて向かい合って座る。はずみちゃんの位置の方が少し高くて、約一メートルくらい離れた場所から俺ははずみちゃんを見上げる形になった――――。

「うっわ!」

 思わず声を上げる。暗闇に慣れた目が捕らえたのは笑顔で俺を見るはずみちゃんの顔とその後ろに満天と輝く星空だった。

「やっぱり! これだけ暗いと夏でも星がかなり見えるね!」

 はずみちゃんは足をパタパタと放りながら斜め上を見上げた。

 絶景とは正にこの夜空を指す言葉だろう。本気でそう思った。光害って言葉は聞いた事があるけど、地上が真っ暗だと空はこんなにも輝くものなのか。

 俺はしばし、会話も忘れてただ空を見上げていた。

 見渡す空。

 時折視界に入るはずみちゃんの姿はどんどんハッキリしていく。

 ――――ふと、俺は口を開いた。

「はずみちゃんってさ……何で俺をそんなに信じてくれるの? こんな何も出来ない俺を疑わずにいられるの?」

 今更聞く事ではないのかも知れない。聞いた所でどうしようもないし、下らない質問だ。

 でも、何故だか聞かずにはいられなかった。きっと誰よりも自信がなかったから。

 はずみちゃんは見上げていた顔を下ろして俺に目を向ける。

「そんなの……」

 はずみちゃんはまた空を見上げた。

「そんなの決まってるじゃない。京耶君が約束守ってくれたからだよ」

 前にも聞いた、約束。

 俺は何を約束したんだろう。

 どうして忘れてしまったんだろう。全く思い出せないのが歯がゆい。俺はいつどこでどんな約束を守ったのだろうか。

「京耶君ってさ。絶対に約束破らなかったじゃない? 破っちゃうのはいつも私の方。トンネルの時もそうだったでしょ? でも京耶君はいつだって笑って今度は自分から約束してくれるの。そして絶対に守ってくれた。だから私はずっと信じて待ってたんだと思う。例えおばあちゃんになっても待っていられたと思う」

 はずみちゃんは空を見上げたまま語りかける。俺には何の事だかさっぱりわからない。だから何も返せなかった。

 はずみちゃんはまた顔を下ろして俺に微笑む。そして岩から下りて俺に手を差し伸べた。

「そろそろ寝よっか。明日も早朝に出発しなきゃだし」

「う……うん」

 手を取って俺も立ち上がる。帰り道、何も言わず、何も聞かずにはずみちゃんは黙って俺の手を引いて歩いた。俺が今でも思い出せていない事に気付いているのだろう。それが悲しいのか、寂しいのか、何とも思っていないのか。分からないけど、何も言わずに何も聞かずにいてくれたのは優しさの他ならない。

 でも、俺にはその優しさがとてつもなく痛かった。

 いっその事聞いてしまおうかとも思ったけど、やっぱり聞けなかった。

 俺は思い出せるのだろうか。思い出せないまま死にたくはないな。と漠然と思った――――。



 早朝、片付けた荷物を積み込んで四駆は走り出す。

 あんな感情でもしっかり眠れるのだから自分の神経は割と太いのだろう。

 いや、寝袋で離れているとは言え二人一緒のテントで寝ている状況から目を逸らせたのが大きいか。

 とにもかくにも俺達はしっかりと休息を取って一路、海子居村を目指して出発した。

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