第10話 陽宮の過去、かつての時代

 ————国家機密部隊の演習場からは遠くに富士山が見えて、そこに夕日が姿を隠す頃に大体その日の訓練が終わりを告げる。もちろんそれより前に終わる事は無いのだが、それより後、つまりは夜中になっても続く事は多々あった。

 つまりはその日の上官次第と言う事だ。

「いやー。今日は割と早かったな」

 海堂が演習場の端に腰を下ろしている陽宮のもとへ寄る。夕日が半分ほど富士に隠れて辺りはオレンジ色に染まっていた。

「最近は早いから少し気が抜けてしまうな。俺達が新人の頃にこれだったらこれ以上無い喜びだったろうけど」

「良く言うぜ」

 海堂は隣に腰を下ろし陽宮の肩を小突く。入隊当時から誰よりも力を持て余していた陽宮は海堂が知る限り、動けないどころか弱音すら吐いた事が無い。汗をかいても息を切らしても指示があれば誰よりも先に動く奴だった。そして今もそれは変わらない。

「陽宮せんぱーい!」

 暮れかけた演習場の向こうからゆるゆるのヘルメットを押さえてこちらに走ってくる男に陽宮は手を挙げる。

「陽宮。お前も災難だよなぁ。事実上トップだから当然とは言え、国家機密隊始まって以来の劣等生なんかと組まされるなんて」

 陽宮は手を挙げたまま海堂に振り向く。

「あいつは成績は最下位でも誰よりも真っ直ぐで一生懸命だ。だからきっといつか俺達なんかあっという間に追い抜いてしまうよきっと」

「そうか? そうは思えないけどなぁ」

「頑張れるってのは何よりの才能だ。どんなにダメでもつらくても悩んでも音を上げない。それって誰よりも強いって事だろう?」

「心の芯ってやつか。確かに一番大事な部分ではあるな。でもなぁ……」

 海堂は前方に視線を向ける。屈託の無い笑顔で走ってくる男に覇気はまるで感じられなか

「それにな……」

「ん?」

「あいつ。割とお前に似た所あるんだ」

 陽宮は笑うが、海堂はウゲッと舌を出して顔をしかめた。あんな奴に似ている訳が無い。そりゃ最初は成績あんまり良くなかったけど最下位なんてない。中間から今となっては二位まで上り詰めた。一位は当然陽宮だが、それでも最下位の奴と一緒にされたらたまったもんじゃない。

「せんぱいがた! 今日もお疲れさんっした!」

 目の前で足を揃えて敬礼をする。あどけない顔は少年時代の面影を残したまま成長したようだ。と言ってもまだ彼の歳は二十手前なのだが。

「健太郎。そんな畏まらないでいい。もう訓練は終わったから。それに口調は相変わらず固さのかけらもないね」

 陽宮が笑って敬礼を解かせる。海堂は横で溜め息をついて笑った。彼の名は佐々木健太郎。国家機密部隊が始まって以来のワースト成績を誇る逆レジェンド。そのダメっぷりから一体どうやって審査をパスしたのかわからないと有名になり、それは国家機密部隊七不思議の栄えある一番目に認定された。

 しかし、持ち前の愛嬌もあり、誰よりも真剣に訓練に取り組む姿は誰が見ても好印象で、そのおかげか今では「ケンタロー」というマスコットキャラのように扱われている。

「ケンタロー。今日もお前ビリだったろ。諦めない姿勢は認めるけど少しは篠原を見習えよ」

「はい! すいませんっす!」

 海堂に頭を下げる健太郎に陽宮はまぁまぁと宥める。篠原は海堂のパートナーでムラがありながらも新人の中では割と成績優秀な方であった。もちろん当時の陽宮や海堂にも劣る成績ではあるが。逆レジェンドであるケンタローを生み出した世代なのだから当然と言えよう。

 つまり、この世代は不作なのだ。

「健太郎。パッと風呂に入って飯にしよう。ほら海堂も」

「はいはい」

 陽宮に合わせて海堂も腰を上げる。健太郎は一礼して並ぶ二人の後ろについていった。健太郎は意図せず周りからマスコットキャラのように扱われていたが、陽宮だけは一隊員として接してくれていたので彼を物凄く慕っていた。海堂の目には懐いているようにしか見えなかったが、誰もが憧れている陽宮に対して臆する事無く話しかけて来る姿は好感を持っていた。

 もちろん健太郎自身も周りと違って海堂はいつだってしっかり見てくれて厳しく指摘してくれるので陽宮と同じくらい慕っていた。


 一同、風呂から出て食堂に向かうと毎度騒がしく、先輩後輩入り乱れて飯にがっつく光景が広がっていた。

 元々、食堂では同期グループで飯を囲むのがセオリーだったが、健太郎はちょくちょく陽宮と海堂のもとへ来て一緒に食事をする事があった。そんな時は、いつだって訓練での反省とそれに対してどうしていくべきかを散々自分で悩んだ後でどうしても答えが出せず、二人にどうしたらいいかを聞きたい時だったので二人も真剣にアドバイスを重ねた。しっかり自分で自分を見つめながら真剣に向き合い、先輩に教えを請う健太郎の姿勢は徐々に同期達を始め周りを感化していき、最終的には世代の垣根を壊してこうやって新旧入り乱れた騒がしい食事の場へと変わっていった。もちろん真剣な話をする時は真剣に討論をしたし、笑い話はみんなで笑い合った。

「あ! 陽宮さん! ここどうぞ!」

 後輩の一人が椅子を引いて陽宮を促す。その横で海堂が眉をピクンと動かした。

「俺の席はねーんだな?」

「あ! あぁ! いえ! ここです! ここです! ここどうぞ!」

 海堂が低い声を出してその後輩に視線を送ると、後輩は慌ててその隣の椅子を引き何度も指差す。

「おいおい! ビビンなビビンな! ねーよって言ってやれ!」

「勘弁して下さいよー……もう」

 海堂よりも先輩の男がふざけると後輩は泣きそうな顔で訴えた。その姿を見てみんなが笑う。陽宮も健太郎も、もちろん海堂も。

 陽宮は圧倒的すぎて恐れ多い存在だったが二位とは言え、まだそこまで常人離れしていない海堂は後輩はまだしも先輩からはこうやってからかわれたりもした。



 明朝、朝五時。訓練は演習場にて開始する。この日は野営訓練。近くにある山を越えてその先の山の中腹で夜を越す過酷なものだった。いつものペアで順番に山へと入っていく。普段なら全体で行進して行くのだが、隊長代理曰くペアの結束力を高めるため。との事だった。

 海堂は、何を今更。と鼻で笑っていたが、隊長の命令に背く事は無く指示にはちゃんと従った。

「次! 海堂篠原! 行け!」

 時間差で進まされルートは五つに分けられている。本来なら他のペアとかち合う事は無いのだが、海堂は陽宮にアイコンタクトを送った。それはいつもの場所で。という意味を込めていて陽宮も勿論それを理解していた。幾度となく使われていたこの山には陽宮と海堂が内緒で落ち合う場所が存在していて、何だかやってられないという訓練の時は二人でこうしたズルもしていた。

「海堂先輩。こっちは指定されたルートとは違いますが……」

 篠原はズンズンと予定とは違うルートを進む海堂の背中に声をかける。海堂は立ち止まらずに振り返り、そして頷いた。

「そうだ。指定されたルートじゃない。よく気付いた。これケンタローだったら絶対気付いてないぞ……っぷ!」

 口を押さえて笑いを押し殺す海堂。全く答えになっていないが篠原はそれ以上何も聞こうとはしなかった。海堂がこうやって笑っている時は何を言ってもダメだと言う事はペアを組んでいる内に学んでいた。

「よし。ここでしばらく待機だ」

 海堂は大きな木の根に腰を下ろした。

「まだそんなに進んでませんけど……」

「いいんだよ! 疲れたから休憩してるわけじゃねーんだ! ほらお前も座れ! 向こうはお荷物背負ってるからまだ当分こねーぞ」

 海堂に促されるまま横に腰を下ろす。海堂の発言でどうやら誰かを待っているようだと篠原は悟った。そしてそれは恐らく陽宮ケンタローペアだと言う事も。

「いいんですか? ルール違反でしょう?」

 篠原はヘルメットを脱いで頭をポリポリ掻く。陽宮の癖の真似事だった。

「お前は……陽宮に憧れるのは結構だが、その癖まで真似てどうすんだ? それ別にカッコ良くないだろ?」

「い、いいんですよ! 放っといて下さい!」

 顔を真っ赤にして怒る篠原に海堂は指を指して笑い出す。

「そんな恥ずかしがるならやらなきゃいいのに! ははは! まぁいっか! ルール違反だっけ? そんな固い事言うな。大体意味ねーだろ。ペアの結束なんてもう十分じゃねーか。お前らももうすぐ同期でペア組む事になるんだから。今更やらなくてもなぁ。だったらこれを利用して思い出作りでもしようじゃねーのって気になるだろ? 折角こうしてペアを組む事になったんだから。例えズルでも楽しい思い出一個増やすくらいバチあたんねーだろ」

「そうは言われましても……」

「気にすんな! バレたら責任は全部俺が被るからよ! お前らは先輩からの最後のプレゼントだと思ってありがたく受け取れ! そして良い先輩と組めて良かったと泣け!」

 笑いながらバシバシと背中を叩いて来る海堂に「ありがとうございます」と叩かれる度にお礼を言う篠原は心の中で呟いた。

(最後の最後まで豪快だったな。海堂先輩)


「お。やっぱり先に着いてたか」

 横から陽宮が姿を現して、その直ぐ後ろでケンタローが涼しげな表情の陽宮とは対照的な顔で息を切らしてた。

「おう。何だよケンタロー。もうバテてんのか?」

「いえ! 大丈夫っす!」

 ブンブンと首を振って顔を上げる。その顔は汗だくだった。

「ちょっとペース上げて来ちゃったからね。少し休もう」

 陽宮と健太郎も近くの木の根に腰を下ろした。

「あの……状況は海堂先輩に伺ったのですが、大丈夫なんでしょうか? あんまり休憩していたら……その。野営ポイントまで距離もあるし……」

 心配そうな顔で見つめて来る篠原に陽宮は海堂と視線を合わせて笑うと、そのまま笑顔を向けて篠原に説明した。

「実はね。この山には良いルートがあるんだよ。海堂と発見したんだけどさ。そこを抜けて行けば時間はかなり短縮出来る。だから安心して。かなり楽な道だから!」

「そうだ。気にせずついて濃い。最早これはピクニックだ」

 篠原は黙ってコクコクと頷く。先輩達がここまで言うのだから安心して任せようと心に決めた。

 そこからの道のりは、新人二人にとって今までの登山訓練の中でも群を抜いて易しいものだった。傾斜もそれほどキツくなく、ペースもゆっくりで海堂が内緒でたんまりと持って来たビーフジャーキー等の軽食をつまみながら本当にピクニックのように歩を進めて行った。休憩も多く、その度に昔の珍事件なんかを面白おかしく語る陽宮と海堂の話に健太郎と篠原は訓練中だと言う事も忘れて腹を抱えて笑った。

 万年最下位の健太郎の体力でも余裕を残すくらいなのだから他の三人にとっては散歩のようなものである。登山訓練と言えば、毎回登れば登る程口数が減って行き、後半ではほとんど喋らなくなっていたものだが、今回の登山ではむしろ口数が多くなっていた。いつもはそこまで口数の多くない篠原もここぞとばかりに会話に参加して普段聞けないような事を健太郎と共に沢山質問した。

「お! もうすぐ夕焼けだな」

「そうだね。時間的にもバッチリだ」

 海堂と陽宮はハイタッチを交わして先へ進む。もう既に山は越していて、後は中腹にある合流地点に向かうだけなのにルートはまだ外れたままだった。

「よっしゃ! 最高のタイミングだ!」

 海堂が後ろを歩いている健太郎と篠原に手招きをする。隣で笑う陽宮も海堂もその顔がオレンジ色に照らされていた。二人は急いで駆け上る。

「うわぁー!」

 二人は声を揃えてその光景に見蕩れた。生い茂る木々に視界が阻まれていた山の中、そこはまるで誰かが作ったかのように開けていて、さながら映写幕のようだった。写し出された山並みの上にオレンジがかった太陽が眩しく世界を染めている。

 風が凪いで、ふと静寂が訪れた。

 無音の世界。言葉は無い。

 誰も口を開こうとはせず、ただただ目の前に写し出される自然のドラマを眺めていた。

 世界はこんなにも美しいのだ。

 先輩から後輩へ最後のプレゼントだった――――。



 合流地点に着くといつもの訓練の空気が流れ出す。陽宮ペアと海堂ペアはここで離れて各自、テキパキとテントを張り出した。

「健太郎。それ引っ張って」

「はい! これっすね!」

「そうそう。そしたら次はそれ」

「了解っす!」

 陽宮の的確な指示で健太郎もテキパキと動ける。決して早くはないが、失敗は無く滞り無くテント設営は終わった。

「健太郎。失敗しなくなったなぁ」

「もう何百回もやってますから! ようやくっす!」

「うん! それでいい。焦って失敗するより丁寧に的確に。それが出来てからスピードに手を付ければ良いよ」

「はい!」

 健太郎は火起こしの準備に入る。陽宮は手伝わず、それを眺めていた。陽宮だけでなく先輩陣はみんな後輩達の成長を親のような表情で眺めていた。ペアでこうした訓練をするのは恐らく最後になるだろうからみんな後輩の一人立ちを確認したかった。

「陽宮先輩! 出来ました! 自己記録更新っすよ!」

 小さく燃える火。振り向いた健太郎は嬉しそうに笑っている。結局スピードは周りと比べてそこまで上がらなかったが最初に比べれば段違いに早くなった。

「うん。合格だ。さて食事にしようか」

 辺りはもうすっかり暮れていて、各ペアの起こした火が点々と照らしているそこは武骨な集団がいるとは思えない少し幻想的な空間になっていた。

「こんな雰囲気で食べるレーションって何だか場違いですよね」

「まぁね。でもここでショートケーキを食べるのも間違ってないか?」

 それもそうっすね。と笑って健太郎は最後の一口を口に運んだ。

 火を消してテントに戻る時、真っ暗になった野営地の天井は満天の星だった。

 翌日の下山は全体での移動だったので行きのような気楽さはなかったものの、周りのペアとは違い、行きでそれほど体力を消費せずに済んだので体力的には苦もなく終える事が出来た。

「それでは、本日の訓練を終了する。解散!」

 隊長の号令が夕暮れの演習場で響き渡る。クタクタの隊員達の中で陽宮と海堂は疎か、新人の健太郎と篠原までもが平気な顔をして施設に戻る姿は周囲を驚かせた。

 四人は互いにアイコンタクトを取って笑い合う。これでこのペアは解散。陽宮と海堂は再びペアに戻るはずだった。


 ――――しかし、彼らはこのペアのまま、とある紛争地帯へと派遣される。


「いいか健太郎。ここは新人がいきなり任される任務としては危険過ぎる。とにかく俺の指示に従って自分が生き残る事を優先してくれ」

「りょ、了解しました!」

 崩れかけた壁に身を隠しながら、ヘルメットを押さえて健太郎は頷く。陽宮のペアは陽動を任されていたため単独行動をしていた。

 この任務。新人には荷が重過ぎると陽宮と海堂を筆頭に隊員達は猛反対をしたのだが、国は疎か隊長すら人員不足を理由にそれを押し切り、全隊員を派遣した。口ではベテランが新人をフォローして必ず全員生きて帰れと命じていたが、やはり国から派遣されてきたこの隊長代理は単なる国の飼い犬でしかなかったのだ。本当の隊長が戻っていたら意地でもこんな命令は通さない。例え自分が解任されようともそうしたはずだ。

 しかし、こうなってしまっては文句を言った所でどうしようもない。隊員達は互いの無事を祈りながら何より全力で生き残る事を胸に近い出動した。

 決意を一つに行動する部隊の活躍は素晴らしいもので、戦況は着実にこちらへ傾いていた。そして最後の作戦で一番重要な任務である陽動を任されたのが天才、陽宮とそのペア健太郎である。陽宮は一人で行くと進言したが、紛争地帯の兵隊はそれを許さなかった。もし陽宮がやられてしまえばそこで作戦は終わってしまう。そうなった時に代わりとなる者を同行するように言った。陽宮はペアを変える事も考えたが、ベテランと組んでしまえば力に偏りが出来てしまうし、今から他の新人とペアを組んでも噛み合う訳が無い。道は一つしかなかった。陽宮は健太郎に被害が及ばないよう心に決めてそれを承諾した。

「ちゃくちゃくと上手くいってるみたいっすね! どんどんこっちに兵力が集まってる」

 チュン! と壁をかすめる弾丸に身を屈めて健太郎は強がった。ライフルを持つ手がカタカタと震えているのを陽宮は見逃さない。

「大丈夫だ。もうすぐみんなが本部を叩いて終わる。だからもう少しの辛抱だ。絶対に顔を上げるなよ」

 ライフルを構えて二発威嚇射撃を放ち、また身を隠す。敵に悟られぬよう細かく移動を繰り返しながらこれを繰り返している。健太郎は常に身を隠しているだけで陽動は全て陽宮が行っていた。その成果はこちらに集まる弾丸の数で分かった。恐らく、今は最終局面。かなりの銃撃が集まっている今を乗り越えれば無事に生還出来る。陽宮は更に神経を研ぎすまして慎重に行動した。

「健太郎。大丈夫か」

「大丈夫っす!」

 チュン! チュン! と弾丸が壁に当たる。陽宮はタイミングを計ってもう一度威嚇射撃を放った。

「なぁ健太郎。帰ったらきっと休日が貰える筈だから、そしたら四人でまた、あそこへ行かないか?」

「あそこですか?」

「うん。あの夕日を見た場所。あれ見るとさ何かこんな事している自分がちょっと浄化される気になるんだ。鬱屈とした何かを溶かしてくれるって言うのかな」

 壁に当たる弾の数が更に増える。健太郎はライフルをギュッと握りしめて微笑んだ。

「先輩……意外とロマンチストっすね」

「今ごろ気付いた? 海堂なんか俺以上だよ?」

「え? そうなんすか?」

「ははは!  うそ!」

 陽宮の笑顔に健太郎の固まった体が少しほぐれる。相変わらず雨のように銃声が鳴っているが陽宮に不安や怯えは感じられなかった。

「よし。このままC地点に移動しよう。健太郎。最後の踏ん張り時だ。合図で走るぞ」

 健太郎はコクンと頷いてひみやの手を見つめた。三本立てられた指が二本、一本と減って行く。

「ゴー!」

 合図とともに二人は走り出す。鳴り響く銃声の中、いくつかの弾丸が横の壁に当たる。身を屈めながらそれでも足を止めずに必死に走った。脇目も振らずに、ただ目の前を走る陽宮の背中を見つめて。

「よし。ストップだ」

 陽宮は健太郎に手の平を向けて足を止める。地点まではもうすぐ。そこに誘導してしまえばもう陽動作戦は成功だ。陽宮は威嚇射撃を何発か放ち、敵部隊を誘導する。ここまで作戦は完璧だった。

「よし! こっちに向かって来た! 行くぞ健太郎!」

 陽宮は敵部隊を双眼鏡で確認すると再び走り出した。健太郎もその後に続いている。はずだった。

 ――――足音が聞こえない。

 走り出した時には確かに後ろについて来ていたのに、ふと気付けば足音は自分のものだけになっていた。

 足を止めて身を隠し、振り向いて後方を確認すると健太郎は少し離れた場所で止まっていた。しかも明後日の方向を向いて。

「おい! 健太郎! 何やってるんだ! 早く!」

 小さな声で叫ぶが、健太郎はそこから動こうとはせず震える顔をこちらに向けて、さっきまで自分が見ていた方向を指差す。陽宮はその方向に視線を伸ばした。

「なっ! 嘘だろ……」

 そこには一人の少年が物陰に隠れてうずくまっていた。恐らく現地の人間だろうが、この地の人達はとっくに避難している筈だ。どうしてこんな所に少年がいるのか。

 陽宮は瞬時に思考を巡らせる。しかし、この状況下であの少年を助ける術は見つからない。こうしている間にも敵部隊はどんどん距離を詰めている。少年を拾って戻った時にはきっと追いつかれてしまう。そうすれば自分も健太郎も少年も生き延びる事は出来ない。

「健太郎。諦めろ。あの子は助からない」

 陽宮は苦渋の決断をした。自分を、健太郎を守る為に。しかし、健太郎はその言葉に首を振った。

「ダメだ! あの子は救えない! 俺達まで死ぬぞ!」

 健太郎は歯を食いしばって首を横に振った。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。陽宮が更に説得しようと口を開くが、その前に健太郎はライフルを地面に置いて走り出した。

「おい! ダメだ! 健太郎! 戻れ!」

 陽宮は少年のもとへ走る健太郎の背中に必死で手招きするが、振り返る訳も無く健太郎は少年のいる物陰に辿り着く。健太郎はガタガタと震える手で少年を抱きかかえると無理矢理笑顔を作った。

「も、もう大丈夫だよ」

 少年にはきっと健太郎の言葉は通じていないが震えながら笑う彼の目を見て何度も頷いた。

 健太郎は少年を抱きかかえると陽宮に視線を送る。陽宮は早く戻って来いとその場から動かずに必死で手招いていた。

「やっぱり……待っててくれたんすね」

 健太郎は自分の腕をギュッと掴む少年を抱きかかえたまま陽宮に頷いた。

 銃声はすでにこちらに向かってあられのように降り注いでいる。陽宮は何とか敵部隊の気を逸らそうと銃撃を繰り返すが、集まりすぎた部隊は全く怯む事なく銃撃を続けた。

「待て。まだだ。俺がもう一度向こうに引っ張る」

 陽宮の声は届かなかったが、健太郎は自分に向けられた陽宮の目と手の平で指示を理解した。健太郎が頷いたのを確認すると陽宮はもう一度、今度は単独でさっきの場所へと戻る。降り注ぐ縦断が腕を掠めたが全力で走りきる。

「うおおおおおお!」

 陽宮は銃撃を敵部隊に向ける。あと少し、もう少しだけ引き離せれば何とか。

 カラン。

 その時、健太郎の足元に何かが転がった。

「マズい!」

 それを見て咄嗟に走り出した健太郎。転がって来たのは手榴弾だった。恐らく、敵部隊が位置も掴めないまま適当に投げたのであろう。こんな浅はかな行動は健太郎のような新人に違いない。しかし、それは奇しくも同様に浅はかな行動に出た健太郎を捉えてしまった。

 鳴り響く爆発音。飛び出した健太郎は少年もろとも爆風に吹き飛ばされるが、咄嗟の判断が功を奏し深手は負っていない。

「大丈夫か!」

 ————チュン!

 顔を上げて少年を確認すると同時に弾丸が少年を貫いた。そして、その矢先に数発また少年もろとも健太郎を貫く。飛び出した先はもはや何処からも丸見えの路地だった。

「やめろおおおおお!」

 陽宮は一人、敵部隊に銃を乱射する。それでも弾丸は自分の方へは向いてくれない。

 健太郎は少年を抱きかかえたまま地面に横たわる。陽宮はそれでも彼らに降り注ぐ弾丸をどうにかこちらへ向けようと必死に銃を向けた。まだ息があると信じて。まだ間に合うと、助けられると信じて銃を乱射した。

 ドーン! と爆音が鳴り響き、遠方で煙が上がる。どうやら敵の本部かららしい。爆撃したとなるとどうやら本隊の方も制圧に失敗したのであろう。想定される中で一番避けたかった展開だ。こうなるのなら陽動は何の意味も持たない。最悪な決着だった。

 本部の爆撃によって敵部隊は一斉に引き下がり、降伏に転じる。味方の部隊がそれを次々に捕らえていく中、陽宮は静けさを取り戻した戦場を走り健太郎のもとへ向かった。

「健太郎! おい! 健太郎!」

 陽宮に抱き起こされて健太郎はうっすらと目を開ける。少年はすでに息をしていない。

「健太郎! おい! 目を開けろ! 健太郎!」

「せ……んぱい」

「健太郎!」

 健太郎は全身を撃たれて迷彩服はそこいら中、血で滲んでいた。

「あの……子は?」

 健太郎は腕を伸ばし少年に触れる。陽宮は首を振った。

「そう……ですか……すいません……指示に、背いて」

「もういいから! もう喋るな! 終わったんだ! もうすぐ救護部隊が来る!」

 健太郎は何度も深く息を吐きながら泥だらけになった顔を微笑ませる。

「陽宮……先輩。最後の……最後まで……迷惑……かけて、すいませんでした。俺……やっぱり……先輩みたいに……できなかったっす……先輩なら……きっと……もっと……簡単に……できちゃうんだろうな……って……思うんすけど……やっぱダメっすね……結局……救えなかった」

「健太郎! もういいから! しゃべるな!」

 健太郎は笑ったまま首を振る。

「わかってます……もう無理だって……自分の事……ですから。先輩……俺ね……後悔してないっす……だって……俺、人を守りたくて……ここに志願したんすから……指示に……背いちゃったけど……あの時、あの子のもとに走って行けた……自分が……間違ってたなんて……思わない……海堂……先輩も、どんなに……成績が良くても……自分を貫き通せなきゃ……国家機密部隊として……失格だって……良く言ってたでしょ?……どんなに……ダメダメでも……万年最下位……でも……最後まで……貫きましたよ……俺……自分の……信念を……曲げませんでしたよ……これで……俺も……胸はって……国家機密部隊の……一員だって……言えますかね?」

「あぁ……言える。お前は立派な国家機密部隊の一員だ。俺なんかより……ずっと」

 陽宮は涙を流しながら何度も頷く。健太郎は陽宮の手をとって首を振った。

「陽宮……先輩は……俺の、憧れでした……すごくて……カッコ良くて……何より……陽宮先輩も……海堂先輩も……そうでしたけど……絶対に……俺をからかわずに……一隊員として……見てくれた……厳しく……指導……してくれた……だから……俺……頑張れたんす……嬉しかった……先輩……?」

「何だ? いいぞ。何でも言ってくれ」

「俺……先輩と……ペア組めて……良かった……迷惑ばっか……かけちゃったけど……楽しかった……あと……」

 健太郎の手の力が弱まる。陽宮は健太郎の手をギュッと握りしめた。震える口元が小さく動く。

「夕日……見る……約束……守れなくて……すいませんでした……また……見たかっ……」

「――――健太郎! 健太郎! 健太郎!」

 陽宮が握った手から力が抜けて、健太郎はそのまま息を引き取った。

 海堂達が陽宮のもとへ駆けつけた時も、陽宮はずっと健太郎の亡骸を抱きかかえながら健太郎の名を泣き叫んでいた。

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