第7話 再度、作戦決行

 ちゃんとは寝れなかったが、ヘリが施設に到着してはずみちゃんに声をかけられた時には随分と頭がスッキリしていた。

「よし! 食うぞー!」

「その意気よ! 私も食うぞー!」

 力強く歩を進め、食堂を目指す。まるで絶界樹に立ち向かう時のように。

 今日のメニューは洋食中心だ。何種類ものピザやパスタ、それにハンバーグステーキなどガッツリしたものが数多くある。気合いを入れろって事なのかなと変に勘ぐってしまいそうだったがはずみちゃんの言う通り頭を回転させる事はせず、ひたすら味付けの濃いものを中心にがっついていった。

 はずみちゃんが恒例のラストおかわりを食べている時に、食後のコーヒーを飲みながら徐々に頭を回転させていく。ぼーっとしているのと大差ないくらいのスピードで回転する頭は遊びの内容を決めるようにこの後の予定を思考する。何をしようか。どこに手を付けようか。


 食事を終えたはずみちゃんと共に食堂を後にする。

 部屋の前で別れて俺はベッドに腰掛けた。

「やり残した事はきっともうないよな。だとしたら今までやった中での見落としが無いか探ってみるか」

 思った事を口に出してそれを聞いて頭がもう一度整理する。今までやって来た事。起こった出来事なんかを口に出してその時に考えた事柄も口に出してもう一回頭にインプットさせた。

 こうして再確認すると濃密に見えたここでの日々も割と単純で行った行動の種類自体は少ない。その時は状況に着いていこうとするので精一杯だったけど、受け入れてしまっている今ではなんて事無く感じた。

 でも、それでもキッカケは何も出てきはしなかった――――。



「おはよう京耶君! 行くよ!」

「え? 何処へ?」

 扉を開けてはずみちゃんが俺の手を引く。そのままベッドから立ち上がり部屋を出ると、その足は作戦会議室へ向かっていた。

「ちょっと! まだ時間は早いだろ? 朝の五時だぞ?」

「状況が変わったみたいなの! とにかく急いで!」

 会議室の扉を開けると、そこにはもう各責任者とブレイバー達が既に集結していた。

「成上。事情が変わった。今から出発だ」

 海堂さんが座ったまま顔だけ向けて口を開く。全く飲み込めていない俺は返事をする余裕も無くはずみちゃんに座らされて、それを確認すると陽宮さんが資料を片手に立ち上がった。

「ついさっき成長スピードの再計算が終わりました。これでもう間違いないと思います。ただ状況は深刻です。このまま行きますと富士の絶界樹は今日の午前中には実をつけ始めると思われます。そして全国に絶界樹が広がりきるまで一週間。ここへ来て絶界樹は更に成長スピードを速めています。思った以上に時間がない。今から行かないとこのままでは実の液体に触れてしまう危険性が出て来てしまいます。程度は曖昧ですが、こちらの見解ですと少しでも触れてしまえば確実に命は枯れる、つまり死に至ると考えています」

 腕を組んで目を瞑りながら聞いていた海堂さんがパッと開いた目を資料を捲る陽宮さんに向ける。

「打開策については……どうだ」

 陽宮さんは伏し目がちに首を振った。

「そうか……残念ながらこちらも同じだ。昨日と違う所と言えば絶界樹が成長している事くらいだ。恐らく成功する確率はかなり低いだろう。だが、何もしないのでは我々がいる意味が無い。行こう。こうしている間にも時間は過ぎている」

 海堂さんは立ち上がり、後ろに並ぶブレイバーに振り返った。


「出動だ!」


「おう!」

 ブレイバー達は力強く歩き出した。その姿は勇敢そのものである種の覚悟が見える。

 俺は座ったまま目を奪われていた。

 海堂さんが俺の肩に手を置く。

「こうなったらやるだけだ。成上」

「は、はい」

 行くぞ。と部屋を出て行く海堂さん。俺は陽宮さんや周りにいる責任者に一礼して部屋を出ようとする。

「成上君」

「え? はい!」

 陽宮さんに呼び止められ、俺は足を止めて振り返った。

「私たちは何も諦めていません。今も、あなた達が出動している間も研究と調査を続けています。何かわかったら直ぐに連絡しますので」

「わかりました! 海堂さんにも伝えておきます!」

 俺は走ってブレイバー達の後を追った。例え勝算がなくても行かなければならない。希望的観測に縋るようなものでもやらないわけにはいかない。一分の望みに賭ける。期待はしない。ベストを尽くすだけだ。

 ヘリに乗り込むみんなの顔に悲壮感は微塵も感じられない。やれる事をやるだけ。みんなの意志はしっかりと固まっていた。

 俺の乗り込むヘリには海堂さんとはずみちゃん。飛び立つヘリの中で海堂さんが俺に今回の作戦を説明する。

「いいか。やる事は昨日と変わらないが、今回は枝も葉も広がっているから昨日よりかなり離れた位置に着陸する事になる。それでも絶界樹の上には違いないから、着陸した瞬間から成上は剣を抜いて絶界樹に突き刺しながら一緒に進んでくれ。かなりの距離を歩く事になるが、出来る限り進んで昨日より奥まで行こうと思っている。道中何か変化があればその都度切り替えていくから少しでも何か変わった事があったら何でも言ってくれ」

「わかりました。やれるだけやってみます」

 その意気だ。と海堂さんが俺の胸に拳を当てると、窓の外の絶界樹が朝日に照らされ姿を露にし出す。

「ったく……なんちゅう光景だ。くそ」

 海堂さんは舌打ちをして食い入るように窓の外を睨みつける。はずみちゃんは絶界樹から目を離さず、俺の腕をぎゅっと掴んで来た。俺も窓の外に映っている絶界樹の姿に息を呑む。昨日とはまるで別物だ。完全なる木の姿をしているのに、その規格外の大きさのせいでひどく不気味だ。ファンタジーはファンタジーでも、これはダークファンタジーだ。神々しさなんてまるでない。地球を食いつぶす化け物のようだ。

 生憎の雲一つない天気のせいで全貌が見えているぶん、絶界樹の難攻不落っぷりをたっぷりと堪能させてもらった俺達は着陸するまでその姿から目が離せなくなっていた。

「――――よし。行くぞ!」

 海堂さんはヘリから降りる際、俺とはずみちゃんの背中を同時に叩いた。それはまるで俺達に、大丈夫だ。と言い聞かせているようだった。

「よし。これより作戦を開始する。成上準備はいいか?」

「はい!」

 ブレイバー達に囲まれ、俺は剣を絶界樹に突き刺す。もちろん刺さらない。それを確認してブレイバー達は進行方向へ向き直り、放射状に広がった。

「行くぞ!」

 海堂さんの掛け声と共に前進する。はずみちゃんは俺の隣で歩いているが、何度も突き刺そうとしては弾かれ続けている剣を気にもしていなかった。俺は余計な事は考えず、集中してひたすら剣を木に突き刺しながら進む。前も見ず、足下の木だけを見て。

 どれくらい進んだだろうか。何十回、何百回と突き刺して来たが、禁秘の理は一回も絶界樹を削る事すら無く弾かれ続けるだけ。握力も大分無くなって来て腕にも力がなかなか入らない。それでも俺は何も言わず、剣を突き立てる。ブレイバーのみんなも何も言わずに注意を払いながら歩き続ける。すると足下に影の境界線が映って俺は顔を上げた。

 ようやく葉の下に、辿り着いたらしい。日差しを完璧に遮断する程に枝は広がり、綿密に入り組んでいて大量の葉を生やしていた。

「一応、視認可能な暗さだがここからはライトを点けていくぞ」

 海堂さんの合図でみんなヘルメットを被りヘッドライトを点ける。俺もはずみちゃんにヘルメットを渡され被ると、はずみちゃんがスイッチを入れた。

 ようやく葉の下に入ったとは言え、まだ先は長い。地面は奥深くへと続いていた。

「後、少しで昨日の地点を越える。今の所、状況に変化は無い。予定通り進めなくなるまで行くぞ」

「了解!」

 声を揃えて再び歩き出す。俺はガツンガツンと音を立てながら剣を突き刺す。逆手で持っていた剣を順手に持ち替えて斬りつけるように振り下ろすと幾分、楽になった気がした。

 ガツン!

 ガツン!

 ガツン!

 足音と剣が弾かれる音だけが響く。何も好転はしないままそれでも前に進んだ。

 すると海堂さんが歩くのをやめて立ち止まる。それに合わせて全体が立ち止まると海堂さんは隊の先頭で振り返った。

 ガッ!

「やっぱり無理か……」

 その場にしゃがみ込み、取り出したナイフで絶界樹に斬りつけるも禁秘の理と同じように弾き返されてしまう。

「じゃあこいつはどうかな?」

 海堂さんは立ち上がって全員に距離を取らせるとハンドガンを取り出し、斜め下に発砲した。しかし、木にダメージは与えられなかった。

「まぁそうだよな」

 銃をしまう海堂さんに俺は駆け寄る。

「どうしたんですか急に」

「ああ。他の武器ならどうなるのか試してみたくなったんだ。ナイフは無理そうだと初めから分かっていたんだが銃ならもしかしてと思ってな」

「だって禁秘の理で突き刺すしか方法は載ってないのに」

「わかってる。これでどうにかしようと思ったんじゃなくて、せめて絶界樹の欠片でも持って帰れたら分析出来るかと思ってな。でも結果は見ての通りだ」

 海堂さんは手の平を上に向けて踵を返し、またフォーメーションを直す。

 また進みながら剣を振り下ろす作業の中で、俺の心に一抹の不安が残った。

 伝説の剣が歯が立たないどころか、他の武器と全く同じ結果なんておかしい。銃はもちろん、あんなに刃渡りの短いナイフとも同じ結果だなんて。これってもしかして場所がどうこうの問題じゃないんじゃ無いか?


 ピチャ。


「ん?」

 足下に何かが落ちて来た。水滴? しかし落ちた後は一瞬だけ灰色の波紋を広げて直ぐに消えてしまった。見上げてみても深い闇があるだけで太陽は疎か、空も見えない。と言う事は雨ではない。

 ピチャピチャ。

 今度は二、三歩先に二摘落ちる。これも同様に灰色の波紋を広げて消えていった。はずみちゃんも見えたらしく、歩みを止める。

「止まって下さい!」

 はずみちゃんの声にみんなが振り向き、立ち止まる。はずみちゃんは人差し指を口に当てて周りを囲むブレイバー達に視線を送った。途端に俺の腕を掴んで自分に引き寄せる。

「聞こえる……まずい! みんな離れて!」

 はずみちゃんが手を大きく振りながら右へ走り出す。俺は物凄い力で引っ張られながら、上から唸るような轟音を聞いた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!

 物凄い早さでどんどん大きくなる音。ブレイバー達は一斉に左右に走り出した。その直後にさっきまで居た場所へ液体がババババと大量に降り注ぐ。まるで滝のように落ちて来て液体は地を滑りながら下の方へと流れていく。

「離れろー! もっと! もっとだ!」

 滝のように降る液体は幅を広げていく。海堂さんの声がかろうじて聞こえた。

 はずみちゃんと必死に走るが、俺の足が遅く液体との距離がドンドン詰まっていく。迫り来る液体に何度も振り返りながら逃げる。もうすぐ後ろまで来ている。

「――――うりゃああああああ!」

 はずみちゃんは俺の体を抱きかかえて大きく前方へジャンプした。そのまま横になってヘッドスライディングのように滑り込む。体に衝撃が走り、少し息苦しいが顔を上げて液体を確認するとつま先ギリギリのラインで灰色の跡が消えていった。どうやら液体は流れきったみたいだ。

「大丈夫かー!」

 海堂さんがこちらに走りよって来る。剣をしまいながら無事を知らせると、そのまま左右に散ったブレイバー達に大声で叫んだ。

「次も来るぞ! 退却!」

 ブレイバー達は返事をする余裕も無く、来た道を全速力で引き返した。はずみちゃんと俺と海堂さんも揃って走り出す。

「……まずいぞ。こりゃきっと例の実の液体だ。絶対に触れるなよ」

 前方を走る海堂さんは振り返らずに忠告する。あれが例の液体って事は流れていった方向にある街が気になる。生命を枯れさせると書いてあった。それにあんなに大量で恐ろしいスピードを出しながら迫る液体から逃れる術は俺達にはない。

 ……避難圏内より先に行っていないといいんだけど。


 行きの十分の一の時間もかからずにヘリに戻れた。即座に離陸し、窓から液体が流れていった方角を確認する。

「なんだあれ……」

 そこには液体が流れた跡がくっきりと残っていた。液体が流れた所の樹海がまるでバリカンでも入れたかのように綺麗に枯れ果てている。広い一本の道のようになっているそれはずっと先まで続いていた。

「おい。あれを見ろ」

 海堂さんが絶界樹の方を指差す。そこには大小さまざまな灰色で丸い実を携えた絶界樹が立っていた。

「くそ! まだ九時にもなってねーのに。また成長スピードを速めやがったのか」

「……隊長。あの大きいやつ。何か揺れてません?」

 はずみちゃんの指差す一際大きな実が確かに揺れていた。そして次の瞬間、大きく弾けて中の液体がドバッと下に流れ出し、樹海を削りながらまた流れていく。見えないが恐らく草や木だけでなくそこにいた動物も死滅しているのだろう。姿が見えないと言う事はもう土に戻ってしまっているのだろうか。

「おい陽宮。まずいぞ。もう実が割れ始めている。このまま樹海がまっさらになったら三十キロじゃ済まない。避難範囲を五十キロまで広げろ。それと戻ったら直ぐに出撃の準備だ。俺達で割れる前に撃ち落とす」

 ヘリの連絡装置を使って海堂さんは陽宮さんに今見て来た事を細かく説明した。陽宮さんは全てを聞いてそれを承諾すると回線は切れた。はずみちゃんが海堂さんに振り向く。

「隊長……このままじゃ」

「わかってる。富士の絶界樹が完成したとなると次は全国に広がっていく段階に入る。そうなりゃ俺達だけでは到底無理だ。何か手を考えないと」

 海堂さんはくそ! とヘリのドアを叩いた。はずみちゃんは黙って絶界樹を見つめている。

 結局、俺は何も出来ないまま終わってしまった。状況は悪くなる一方で解決策は見つかる兆しも無い。実を撃ち落とすにもきっと限界がある。となれば俺達日本国民は徐々に死滅していくのを待つしか無いのか?

 ジリ貧の未来に活路は見出せぬまま、俺は施設に取り残され戦闘機で出撃していくブレイバー達を見送る事しか出来なかった。

 ブレイバーの中で唯一人、出撃しなかったはずみちゃん。

 彼女は俺のサポートが最優先事項なので戦闘機に乗る事は無く、こうして俺と共に本部へと向かっていた。

「――――埼玉県、堂平山で発生確認!」

「――――静岡県の八高山で発生確認しました!」

「――――乗鞍岳で兆候が見られます!」

 扉を開けると、そこは戦場さながらの光景だった。機関銃のように飛び交う絶界樹の情報に鳴り響く電話の音。そしてバタバタとかけずり回る人々。目の前の大画面モニターは細かく区切られ、次々に別の場所に切り替わっている。まだ変化は見られない場所から、絶界樹が伸びて来ている場所もあった。

「成上君。こっちへ」

 扉を開けて突っ立っていた俺を陽宮さんが引っ張る。はずみちゃんと共に連れて来られたのは、誰もいない作戦会議室だった。

「今、少しまずい状況なんで……」

 陽宮さんは部屋の明かりを点けて俺とはずみちゃんを座らせた。扉の前に立ったままの陽宮さんは頭を掻きながら溜め息をつく。

「俺……モニターで少し見えちゃったんでわかります。もう各地に発生し始めているんですよね?」

「それもありますが……」

 陽宮さんは口ごもる。それもありますが。とは他にも何かマズい事が起きているみたいだ。

「他にも何か?」

 はずみちゃんが陽宮さんに顔を向けるが陽宮さんは視線を合わせず俯き加減で頭を掻いていた。

「教えて下さいよ! 俺達にも何か協力出来る事があるかも知れないし!」

 ガタッと椅子をならして立ち上がる俺にようやく陽宮さんは顔を向けた。しかし、その表情は暗いと言うより何か気まずそうな雰囲気を持っていて、尚も陽宮さんは悩んでいるようだった。

「陽宮さん。状況は切迫しているんでしょ? だったら尚更です。私たちにも協力させて下さい」

 はずみちゃんも立ち上がり陽宮さんに視線を投げる。すると陽宮さんはもう一度深い溜め息を吐いてスッと顔を上げた。

「……わかりました。でも一つ条件があります。これを聞いた後、私の指示に従う事。これを約束出来るのなら」

 俺とはずみちゃんは頷く。陽宮さんはそれを確認して口を開いた。

「では……端的に言うと成上君が勇者じゃないんじゃないかと疑う意見が出始めています」

 陽宮さんは俺の顔を真っ直ぐ見ている。はずみちゃんは勢い良く俺に振り向いたが、俺の目は陽宮さんから離れない。

「情報が足りな過ぎる文献なので色んな想像が出来てしまいます。昨日から様々な仮説を立てている上で勿論、この仮説も出ていましたが除外されていました。しかし、この切迫した状況下、何より二度の失敗。これによって君を疑う者が増えつつあります。禁秘の理を抜いたは良いが、効果を引き出せない。これは剣が偽物か……あるいは勇者が偽物なんじゃないかと。禁秘の理は他の者には持てない事が実証されているので偽物の可能性は限りなくゼロに近い。それよりもただ持っているだけで扱えているとは言えない成上京耶が実は勇者ではなく、本当の勇者がどこかにいるのではないか? と。では成上京耶は一体何故剣を掴めるのか? これに対しては様々な意見、仮説が出ていますがまだ有力なのはありません。だが、どれも君を勇者ではないとしているのは同じです」

 俺の心臓が鼓動を早める。室温は高くないのに汗が頬を伝っていった。

「何よそれ……意味分かんない!」

 はずみちゃんが陽宮さんに向き直り声を荒げる。だが陽宮さんは全く動じる事無く話を続けた。

「気持ちは分かります。ですが状況は悪くなる一方ですし、皆かなり追いつめられていますから」

「それでも言って良い事と悪い事があるでしょ! 京耶君行こ! そんな事言っている人達気にする事無いよ」

 はずみちゃんは俺の腕を引いて歩き出す。そして扉の前に立つ陽宮さんのもとで立ち止まった。

「どいて下さい」

「約束したでしょう。指示に従うと。君たちは少し内部が落ち着くまでここで待機していて下さい。今は急激な状況の変化に追いつけていないだけですので、少し時間が経てば冷静さを取り戻すはずです。だからそれまでここにいて下さい。そう時間はかかりませんから席に戻って下さい」

「嫌です。そんな納得のいかない理由じゃ指示には従えません。どいて下さい」

「ダメです」

「どいて」

「戻りなさい」

「もう……どいてって言って……え?」

 はずみちゃんは手で陽宮さんの肩を持ってどかそうとしたらしく、俺の腕を掴んでいる手にも力がこもっていた。

 しかし、陽宮さんは微動だにしない。

「樫倉隊員……戻れ」

 陽宮さんは、はずみちゃんをキッと睨みつける。

「――――戻れ!」

 ビクッと手を離したはずみちゃんは一歩後ずさった。陽宮さんはそのまま踵を返して扉を開ける。

「ここは責任者以上のカードでないと開かないようロックしておきます。何か緊急事態が起こったら私の方に連絡して下さい」

 では。と陽宮さんが去り、扉が閉まる。

 目の前で起こった出来事で逆に落ち着きを取り戻していた俺は、目の前で固まっているはずみちゃんの顔を覗く。

「……大丈夫?」

 はずみちゃんは自分の手の平を見つめながら呟いた。

「全力で押したのに、ビクともしなかった……何なのあの人……」

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